大佗坊の在目在口

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会津源朝臣正之献上燈籠

2009-02-25 | 會津
旧会津藩家臣による会津松平家初代保科正之から九代松平容保までの
記録を日誌形式でまとめた「会津松平家譜」という史料がある。

この「会津松平家譜」、慶安四年に次の項がある。
正之唐銅燈籠二基を東叡山東照宮に献ず
参河国瀧山寺の東照宮に石燈二基を献ず

東叡山東照宮の燈籠は、百九十五基あると言われる上野東照宮の
石燈籠が並んだ参道を進むと拝殿前に青銅燈籠五十基があり、
社殿に向って左側の御水舎の手前にある五基のうち二基が正之公の
奉納したもので、今も残っている。

愛知県岡崎の瀧山寺に会津少将正之が奉納した燈籠が残っているか
確かめに行った。瀧山寺の三門が今のお寺入り口石段から青木川
約850Mの下流にあり、寺社地はかなり大きかったと思われる。



旧暦の元日からの修正会法要の結願の日に、祖父面、祖母面、孫面の
三体の鬼と松明を持った男たちが本堂を駆け回って豊作を祈る、
“鬼走り”で有名なこの瀧山寺は、役小角が創祀したと伝えられ、鎌倉時代
初期の住職、寛伝が源頼朝の従兄弟であったため、鎌倉幕府の庇護を受け、
正保元年(1644)に三代将軍家光が境内に滝山東照宮を創建している。

名鉄東岡山駅からバスで約30分、滝山寺下で下車。直ぐよこに
お寺の石段がある。この石段の両側に石燈があった。しかしこの燈籠、
刻まれた文字がほとんど判別しない。



本堂前の石段を登りきったところに、ひと際、大きな燈籠の前に木札があり、
そこに会津松平の文字が!石燈に刻まれた文字はハッキリとしていた。





奉献上 石燈籠弐基 三州額田郡瀧山寺 東照宮大権現御寳前
慶安四辛卯年四月十七日 會津従四位上少将源朝臣正之



ちなみに上野東叡山東照宮の銅燈籠は、
慶安辛卯四月十七日 會津従四位上左近衛兼少将源朝臣正之

この四月十七日は東照大権現家康の命日、この日に合せて奉納していた。

瀧山東照宮



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