ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

痛み

2020年06月17日 | 家族とわたし
空よ、これはあなたのヨガマットではない😂


先週の木曜日の夜、本当に久しぶりに陰ヨガをした。
講師は明子さん。
彼女が誘ってくれた。
マットでポーズをとっていると、空と海がウロウロ周りを歩いたり、鼻先で太腿を突いてきたりした。

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去年85歳になった母は、今度は腰部(ようぶ)脊柱管狭窄症が悪化してきたらしい。
2月の下旬に頸椎調整脊髄症の手術を受け、本当なら1ヶ月は入院していなければならないのに、人の世話になるのが嫌なのと退屈すぎるのとで、2週間あまりで退院してしまった。
手術のために刈り上げたワカメちゃんカットが可愛らしかったのだけど、

手術後の血溜まりを抜くために空けられた大きな穴が痛々しく、そこが長いこと強く痛んだ。

ここ数年、母は歩き辛くなってきたのが嫌で嫌で、だからあまり出かけなくなってしまっていた。
食欲も落ちて、気分も塞いでしまい、ずっともうこんな状態が続くなら死んでしまいたいと、フェイスタイムで話すたびに言っていた。
良い整形外科の医者に診てもらいたいけど、良さそうな人はこんな田舎には居ない。
一緒に訪ねて行ってもらえる子どももいない(長女はアメリカ、長男は大阪で介護職で忙しくしている)から、全て独りでしなければならない。
夫が漢方や鍼治療をどれだけ勧めても、近くには良い漢方薬局も鍼灸師も居ないと言い、
もうこんな毎日なら死んだ方がマシだから、どうせ死ぬなら手術を受けてみたいと言い出したので、ああこれはもう止められないなと思った。

母は思い込んだら猪突猛進、とにかくそれを手に入れるまで絶対に考えを変えない。
それでわたしも根をあげて、母に連絡をするのが億劫になってしまった。
わたしが10日ぶりぐらいに連絡すると、母はさっさと奈良の病院に連絡をつけ、手術日を決め、翌日から検査入院をするところだった。
わたしたちはちょうど長男の結婚式のために東京に行くことになっていたので、手術から10日経ったぐらいの母を見舞いに行った。

わたしはその時もまだ、勝手にどんどん決めてやってしまう母に少しだけ怒っていた。
相変わらず気はしっかりしている母の、そろそろと歩いてシャワーを浴びに行く後ろ姿がとても弱々しくて、不意に涙が出そうになった。
自分がすごく親不孝をしているように思えた。

わたしたちがこちらに戻ってからすぐに母が退院して、それからまたフェイスタイムでの会話が始まった。
こちらはパンデミックの非常事態宣言が出て、一体どうなっていくのか見えない毎日が続いていた。
人の心配をしている余裕を失くしていた。
なので、母が、「痛みが全く取れない、前よりもっと痛む」と言って辛そうにしているのを見ると、どうしようもなく気持ちが重くなった。
整形の医者は、「もし前回の手術で痛みが取れない場合は、頸椎の手術をすれば良い」と言っていたが、さすがの母も、もう手術は嫌だと思っているようで、これはチャンスだと思ってもう一度鍼の治療を勧めてみた。
歩いて10分もかからない近所の鍼灸院をずっと前から見つけてあったので、「とにかく一回行ってみて」と、これまでになく強く言うと、あっさり「行ってみよかな」と言う。

そして母の治療院通いが始まった。
そうなると、我が家のお抱え鍼灸師に尋ねたいことがどんどん出てくる母と、頻繁に話すようになった。
頻繁といっても1週間に一回ぐらいの割合なのだけど、治療の成果がなかなか出てこないので、それに苛つく母をなだめるのがとにかく大変だった。
同じ鍼灸師でもそれぞれに施術方法や意向が違うのだけど、母にはそんなことは通用しない。
なんでなんでなんでと、何でもかんでも聞いてきて、彼女が聞きたい答じゃないと不機嫌になる。
そしてお決まりの「生きててもしょうがない」が始まる。

でも今回はわたしが勧めたことだ。
それに母が従ってくれた。
だからちょっとこれまでより頑張って支えていかねばと思った。
わたしにできることはただ一つ、母の話を聞くことだ。
夫は彼の弟が厄介なガンを患ったと分かってからずっと、もう何年もの間、毎日欠かさず電話をかけている。
その膨大な時間の共有のあたたかさを、夫も義弟もちゃんと感じているのが分かる。
だからわたしも真似してみようと思った。
母の娘歴63年の初めての試み。
画面の顔を見ながらだと疲れやすいので、ライン電話に切り替えた。
85歳にして初めてのスマホを手にした母と、ライン電話で毎日話しているうちに、これまでになく母の心が柔らかくなってきたことに気がついた。
わたしが言うことを聞いてくれるようになった。
今までだと何を言っても「そんなん無理」という返事が即、返ってきたのに、「ちょっと試してみるわ」に変わった。
試してみて、それがあまりいい結果が出なくても、「まあもうちょっと様子見てみる」と言うようになった。
以前だと怒りまくって「もう二度としない」と言う人だったのだから本当にありがたい。

ああわたしは本当に今の今まで、薄々気づいていたのに面倒がってやらなかった親不孝者だった。
インターネットのおかげでそれが簡単にできるのだから、母の痛みが少しでも和らぐまで、彼女の話を聞いていこうと思う。
夫は常々、「激しい痛みは体だけじゃなく心も蝕む。だから痛みを取る、軽減することは本当に大切。もう一度人間に戻れた気がするんだと思う」と言っている。
母の心が軽くなる日が1日も早く来ますように。
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