ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国『ウッドチップを盛る造園業者は食わせモノ』事情

2016年03月19日 | ひとりごと
1年以上もの間、一心不乱に家探しをしていた。
身の丈に合った、けれどもピアノのレッスンが気兼ねなくできる家を探していた。
大げさではなく100軒近く見て回り、気づいたのは、夫もわたしも古い家が好きなのだということ。
けれども、どうしてもこうしても、コレだ!というのが見つからない。
もうほとんどあきらめるというか、今回は縁が無かったのだと自分に言い聞かせながら、痛む目を押さえ押さえ眺めていた画面の中に、それはポツンと載っていた。

幅広の階段と黒光りした手すり。

よし、この家を見学の最後にしよう。
もし気に入らなかったら、家探しは一旦中止しよう。
そう決心して、担当の人と見に行った。

折しもそれは春の真っ只中で、家の真向かいの歩道に、満開の、今にもホロホロと花びらが散り始めそうな、それはそれは幸せそうな桜の木があった。

その家はレンガ造りの家で、すぐ横の空き地はまるで日本庭園のようで、あちらこちらに配置された大きな岩が、木や草花の間で心地よさそうに昼寝をしていた。
いろんな野生の花が、暖かな日差しを受けて、笑ったり、かすかに揺れたり、うとうととまどろんでいたりした。
そんな小さなものたちを、高い高いところから、優しく見守っているようなカエデの巨木に気がついて、それを見上げながらわたしはもう、家の中を見なくてもいいや、ここで暮らそうと決めていた。

家は、内側にも外側にも、築100年越えの風格と疲弊が刻まれていた。
売値が相場よりも安い代わりに、ありのまま、このままの状態を承知で買わなければならない。
お金に余裕があれば、入居する前に、気になるところ、修理や改装をしておかなければならないところを、まず片付けてから引っ越すのだろうけれど、
残念ながらわたしたちには、そんな余裕は全く無かった。
けれども、靴で歩くのもはばかれるぐらいに、埃と油の汚れでベトベトしていた一階すべての床板だけは、なんとかしなければならない。
ちょうど、お向かいさんの家が床板の修繕をしていて、頼んだ業者さんがなかなか丁寧な仕事っぷりで、しかもぼったくりではないことを聞き、そこにお願いすることにした。

まあ、日本からこちらに引っ越す時も大変だったのだけど、それ以上にとんでもなく大変で、もう二度と、本当に二度としない!と思うほど苦しかった引っ越しの疲れが、
カエデの大木を眺めたり、ゴツゴツした木肌にほっぺたをくっつけたりしながら立っているだけで、ほわほわと溶けて、カエデの根っこがどっしりと張り巡らされている地中に吸い取ってもらえるような気がした。

でも…その、なんとも優しく美しい庭は、家と別々に売り出されていたので、わたしたちには買うことができなかった。
しばらくして、土地を手に入れた不動産会社から依頼を受けた業者がやって来て、手当たり次第に木を切り落とし、小型のショベルカーで草花を掘り出してしまった。
そして、カエデの爺さんの、大人が3人がかりで囲えるほどのぶっとい胴体に、近い将来切り倒すぞという警告の、醜いショッキングピンクのテープが巻かれた。
悲しくて恐ろしくて腹正しくて、一日中胸がしくしくと痛んだ。

それから毎日毎晩、カエデの爺さんを見つめては祈り続けた。
どうか、どうか、この土地が売れませんように。
売れて、家を建てたいということになっても、どうか、どうか、カエデ爺さんを切り倒すようなことをしない人でありますように。

そんなこんなで6年半が経ち、その間に、カエデ爺さんはみるみる弱っていった。
まず、三つに分かれた幹のうち、我が家に一番近いのが、弱り方が激しい。
今頃になると、可愛らしい新芽がニョキニョキと顔を見せ始めるのだけど、その幹からの枝はどれもまだ、つるりとしている。
そして、遅れて若葉が出てきても、他のあとふたつの幹のそれに比べると、幾分サイズが小さい。
弱っているのだな。
木のお医者さんに来てもらわなければな。
でも、人の土地のものに勝手なことはできない。

近所の人たちも、この土地(というか、以前の日本庭園風の庭)がとても好きで、なんとかして守れないかと、いろいろと知恵を絞ってくれた。
市の職員を呼んで、ミーティングを開いてくれたりもした。
いろんなことを経て、結局はうちと、その庭を挟んだお隣さん夫婦のエステラとロバートとで、お金を出し合って土地を守ることになった。
だからとうとうお医者さんを呼べる。
その前準備として、木の専門家さんに来てもらい、問診をしてもらった。

やって来たのは若い女性。名前はトレーシー。
さあ、見に行こうと足を踏み出した時、そのトレーシーが「あら?」と小さく言った。

「ほら、あそこにうさぎ」
「え?」


左下の、伐採した枝の真ん中辺りに、それはいた。


「あ、見っかった」


かなり近づいても平気っぽい。



カエデの爺さんはなんと、年齢だけでいうとまだ爺さんと呼ぶには若すぎる、多分65歳ぐらいの年齢だと知った。
なぜかというと、カエデというのは、他の種類の木の倍ぐらいの早さで大きくなり、そして弱っていくのだそうだ。
だから、もしこれが他の種類の木だとしたら、樹齢120年は超えているだろうと言われた。
カエデはこうして、60年から70年の寿命を大急ぎで生きて朽ちていく。
これが、人の出入りの無い山奥なら問題は無いけれども、住宅街では危険なので、自然に朽ちるまで放置しておくわけにはいかない。
どうやらカエデ爺さんには、大きな虫歯(と彼女は表現した)があって、そこから腐り始めているらしい。







などという話を聞いて、すっかり気落ちしてしまった。
爺さん、どうしたらいい?と、てっぺんの方を見上げたら…、


ちょ、ちょ、ちょっとあんた!!そんなとこで何してんの?!
っちゅうか、どないして登ったん?!


慌てて駆け寄り、カエデ爺さんの胴体の周りをグルグル走り回っても、はしごのはの字も見つからない。
わたしはもちろんのこと、専門家のトレーシーもびっくり仰天。
夫は、カエデ爺さんの、虫歯の深さを調べようと、ずんずんと木登りをしたのだそうだ。
木登りは得意だったと話には聞いていたけれど、この突然のパフォーマンスにはみんなが驚かされた。

いろんな箇所から器具を使い、爺さんの弱り具合を調べてもらう。
そして、どんなふうに見送るかを決める。
ずっとずっと一緒に暮らしていきたくて手に入れた土地だったけど、これもまた運命、仕方が無い。
でも、できるだけ長生きしてもらえるように、できることをしたいと思う。


さて、この日は、お隣さんのエステラの庭の点検もしてもらった。
すると、トレーシーの表情がキッときつくなった、
「どこの会社にこの造園を頼んだの?」

エステラとロバートは、3年前に引っ越してきて、外装も内装もピッカピカにやり変えた。
さらには、エステラ自らがデザインした庭の実現を、造園業者が毎日やって来て(エステラが解雇したので、2回業者は変わっている)は励んでいた。
だから、エステラとロバート夫婦の家と庭は、うちの通りでは有名で、当初は皆が、立ち止まって眺めていた。
毎年数回、造園業者がやって来ては、枯れた木を取り替えたり、ウッドチップの補給をした。
エステラは、庭の補水は、地下から行うシステムを取り入れている。
毎日欠かさず、決まった時間に、地下に張り巡らされたパイプの穴から、水がじわりじわりと出てくる。
ああ今日も忘れてた!と、慌てて蚊除けのネット武装をして、ズルズルとホースを引っ張りながらウロウロするわたしの毎日とはえらい違いなのだ。
なのに、なぜか、木が枯れてくる。
その理由がやっとわかった。
この、しっかりと盛られたウッドチップが原因だった。


見た目が良いだけで、木々にはちっとも良くないウッドチップ。
地面すれすれに薄く敷くだけならいいけれども、盛りすぎると、木の根っこに自然の栄養が届かなくなり、見えない部分が縮んで弱ってしまうのだ。

「ほら、こんな感じに」と言いながら、トレーシーはガシガシと、素手で地面を掘っていく。


落ち葉も、掃き集めたのをいつまでも置いておくと、その部分の土地は痩せてしまうので、こういうのもダメだよと、落ち葉の山を放ったらかしにしておいたのを注意された。
結局は、見た目はあまり良くないけれども、落ち葉は落ちた場所でゆっくり朽ちて土と一体化するまで放っておくのが一番。
なんだ、それだったら、わたしの得意中の得意ではないか。

空き地に少しずつ花が咲き出した。


カエデ爺さん、長生きしてね。



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