ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

おひな祭りの大雪と灯油ストーブと親友と

2019年03月04日 | 友達とわたし
春の雪はボタボタで、木の枝にしがみつく。


垣根が両側から垂れ落ちて、車道からうちに入れなくなっちゃった?!


粘着質は人間でなくてもやっぱり困る…。




わずか0.5センチぐらいの幅しかないフェンスの縁にも。


おひな祭りの日だというのに…。




向こうの空がようやく晴れてきた。


万が一の時のために、灯油ストーブの準備をする。


芯にオイルを染み込ませるために数時間放置してから点火する。
最初はすごく臭うので地下室で点火したのだけど、それでも1階全体がとんでもなく臭くなり頭が痛み出したので、慌てて外に出した。


今回は出番が無かったのだけど、二人ともに灯油ストーブの臭いにすごく弱いので、できたら使わずに済んで欲しかったりする…いやはや。


さて、先週の土曜日は、嬉しいお客さまをお迎えした。

漢方の学校で学び始めてから週末は土曜日しか無い事になった夫は、それでなくても週末のアクティビティ(いわゆる妻以外の人付き合い)を渇望しているので、何の予定も入っていない土曜日を忌み嫌う。
一方わたしは、週末こそは週日にできないことをしたり、逆に何にもしないでパジャマのままで、家から一歩も出ないでボーッとしたりするのが大好きなので、週末にあれこれ予定を立てるなんて意欲はほぼゼロに近い。
でも、結局夫が立てた計画でどこかに出かけたり人と会ったりすると、あ〜楽しかったと思う。
だからまあ、ただのめんどくさがり屋なのだ、わたしは。

わたしたちのめちゃくちゃ急な誘い&悪天候にもかかわらず、のりこさん&ジャンさん夫妻が遊びに来てくれた。
いつものごとく会話が弾み、話題はあっちこっちに飛んでは大笑い。

のりこさんとジャンさんが、のりこさんのお里の沖縄に遊びに行った時のこと、ジャンさんが日本語の『どうも』の意味をのりこさんのお父さんに尋ねたところ、お父さんはありとあらゆる辞書や本を持ち出してきて、一所懸命説明しようとした。
『どうも』…なるほど、ああいう時こういう時に使うと言えるんだけど、意味を説明しろと言われたら言葉が出てこない。
なんてなことを言ってたら、「じゃあ『Love』は?」と聞かれた。
「『Love』って何?」
「『Love』は『Love』、としか言いようがない」
「でも、『どうも』と同じく、いろんな言い回しができる」
「それって『Fuck』もだよね」
「まうみ、いつか『LoveとどうもとFuckと』っていうタイトルでブログ書いてよ」

えっ…。

むくむくと書きたい気分になってきた。
どちらかというと短編っぽい話で。
今すぐにはとても無理だけど、いつか気持ちに余裕ができた時にでも。

4人で散歩に出かけた時、のりこさんに見せたこの通り。


同じ道なのだけど、右側が裕福層が暮らす町で、左側が庶民(我々も含めて)が暮らす町なので、舗装がきっぱり違う。
税金もだから右側の家に暮らす人たちの方が高い。

はっきりしてるっていうか、はっきりし過ぎているっていうか、いつ通っても笑えてくる。


のりこさんと直に話せたのがとても久しぶりだったので、山のように積もっていた言葉をどこから抜き出していいのかわからないぐらいだった。
のりこさんは、在米の沖縄県系の人たちが、どういう行動に出たらいいかを模索し、話し合い、実行に移そうとしていることを教えてくれた。
インターネットを使って、全米に散らばっている人たちと話し合えることが素晴らしいし、それぞれ個々に行動する気持ちの強さもすごい。
こちらで暮らしているのだから、こちらの政治家に圧力をかけて、アメリカ国内での啓蒙に励もうとしている。

どんなに嫌だと言ってもやめてくださいと願っても、自分たちが暮らしている場所が米軍基地を増やすために破壊されるってことを、日本全土に課して初めて、沖縄が日本の県になる。

沖縄の人たちは、基地の全面撤去を望んでいるのではなくて、本土との分かち合いを求めている。
そのことがなかなか伝わらなくてとても歯がゆいと、のりこさんは言う。
のりこさん自身、自らの意思で沖縄から離れた。
まずは東京に出て、基地の無い暮らしに初めて接して心底驚いた。
基地のことが嫌で嫌で、けれどもそれでもその土地から離れられない人もいる。
沖縄といっても、そこには一人一人、人の数だけ違う考え方感じ方がある。
もちろん沖縄以外のところに暮らしている人たちにも、その人の数だけ違う考え方感じ方がある。
だから伝えていくことが大事なんだな。
日本中で米軍基地を受け入れよう。
そうなったらどうする?
そうなったらどう思う?

米軍基地も原子力発電所も、押し付けられてきた地域の人たちの命や暮らし、そして声を無視してきたわたしたちの生き方が、増やした物事だ。
どちらも政治家や大手土建会社に莫大なお金が流れ、その費用や何か起こった時の後始末代は、国民の税金や電気代に溶かし込んで賄われている。
政治家は痛くも痒くもないし、土建会社は儲かる一方。
建てられた土地は未来永劫ひどく汚染され、病気や事故が発生しても誰も責任を取ろうとしない。

はっきり言ってクソみたいな社会だけど、それでもやっぱりどんなに時間がかかっても、やるべきことをやり、伝えるべきことを伝えていくしかない。
どんなに地味でも、結果が目に見えなくても、行動して伝えていくしかないんだね。

二人が帰った後からずっと、そして今も考えている。
日本に『ろうそく革命』が起きて、悪党を政治の世界から追い出せるのは、まだもう少し先のことなのかもしれない。
けれども希望は持ち続けたい。
もうすぐ春が来る。
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