ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

間島事件を知って考えたこと

2021年08月18日 | 日本とわたし
毎年8月15日、敗戦記念日がやってくる。
その日は確かに敗戦が決まった記念日だけど、わたしにとっては戦争のことについて考える日はいつも記念日だ。
韓国のいろんなことを伝えてくれるJeong Wooさんが、思わず目を覆いたくなるような凄惨な内容のビデオを紹介していた。
それは1920年に起こった間島事件の映像だった。

間島事件:
琿春(こんしゅん)にあった日本領事館を襲ったとして、日本の軍隊が派遣された。
しかし派兵の直接的契機となった10月の事件は、被害内容、日本軍の対応の早さなどから、口実をつくるための謀略である可能性が強いといわれている。
日本軍は翌年1月の撤兵まで、襲撃、虐殺、暴行を行い、数千人の朝鮮人が犠牲となった

原爆や空襲でどんなに酷い被害に遭ったかを再現した映画や写真を、わたしは何度も目にしてきた。
被害を受けた側の証言に基づいて作られたそれらの映像には、嘘偽りが無い。
時間が経って細かい部分は忘れたとしても、表現が少しばかり大袈裟になったとしても、痛みを受けた人たちの心に深く突き刺さった残像は、後々の世に伝えられなければならない真実なのだ。
大人になって、それもいい歳の大人になって初めて、日本軍が犯した侵略の実態を知った物知らずにもほどがあるわたしは、韓国の人たちが観ているであろうこの映像に驚愕し、こんなツイートを書いた。

今から50年以上も前の学校では、戦争と言えば原爆と空襲で被害の歴史しか教科書には載っていなかった。 
帝国軍による侵略も虐殺も性奴隷も書かれていなかった。 
30代の頃に仲良くなった台湾人に、「なぜ何も知らないのだ?」と泣きながら怒られて初めて知り愕然とした。 
もの凄く恥ずかしく辛かった。

書いてからずっと、その頃のことを思い出そうと考えていた。
本当に何も書かれていなかったのかどうか。
書かれていたけれど、当時のわたしが信じたくなくて、自分で記憶を消していたのではないか。
でも、どうしても思い出せない。
あれは友人のジョイと、彼女が入れてくれた台湾の高級烏龍茶を飲みながら、楽しく話していた時のことだった。
なんの話だったかは思い出せないのだけど、彼女が何気なしに彼女のおばあさんの話をして、確か日本語が堪能だったというような話で、わたしは「どうして日本語が堪能だったの?」と聞いたような気がする。
そうしたらジョイの顔色がみるみる変わり、「まうみはどうしてそんなことを聞くの?」と聞き返されたので、「え?」っと言うと突然、「どうして何も知らないの?」と泣き叫んだのだった。
「わたしのおばあさんがなぜ流暢な日本語が話せたのか、その理由は自分で調べて」と言われて、わたしは慌てて図書館に走って行った。
その頃はインターネットもパソコンも無く、わからないことがあったら図書館に行くしかなかった。
図書館で、わたしは何度も涙ぐみ、胸を鷲掴みされたような苦しさを覚えた。


2度とこんなことが起こらないように、起こさせないように、わたしたちはずっと学び、知り続けていかなければならない。
そのためにも、戦争に関する歴史を歪曲せず、色付けもせず、淡々と真実を正しく伝える教育を学校に求めていかなければならない。


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