ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

墓穴を掘るということ

2023年02月01日 | 音楽とわたし
昨年の11月中旬から12月中旬まで、1ヶ月ほど日本に滞在していた。
母と義父が暮らす家で家事手伝いをしたり、気落ちして歩くことも食べることもままならなくなっていた母をあれこれと励ましたり、介護設備の設置を促したり、ずっと会いたかった鍼灸師さんに施術してもらったり、どうしても会いたかった人たちに会ったりしていたのだが、なぜか異様に疲れていって、それと共に自信がなくなっていって、アメリカに戻るのが怖くなってしまった。

自信?なんのための自信?
それすら考えること自体が面倒くさい。
ピアノを教えること?
それは多分大丈夫、日本語で22年、英語で22年、合わせて44年もやってるのだから。
じゃあなに?指揮か?
そう、帰国したらすぐに参加しなければならないから、日本滞在中に楽譜を見つけて読み込み練習をしておくはずだった。
でも時間も気力も無くて、だからほぼぶっつけ本番みたいなことになりそうで、それがもう本当に怖くてならなかった。
だからわたしの脳は、いろんな逃げ道を考え始める。
もうプログラムは首席指揮者のクリストファーが担当するモーツァルトやバルトークの舞曲などで充実してるから、何も今から曲を増やさなくてもいいのではないか。
わたしが指揮する曲(『フォーレのペレアスとメリザンド』より3楽章と4楽章)を却下すれば、その分他の曲の仕上がりの質をもっと高められるのではないか。
母の容態は不安定で、だからもしかしたら急に日本に飛ばなければならなくなる可能性もあるので、迷惑をかけたくない…エトセトラエトセトラ…。

こちらに戻り、断りの電話もメールもする気力がなく、時差ボケの中あらためて総譜を読み始める。
音符を読むと同時に頭の中に音が鳴ってくるはずが、まるで見たこともない記号を読んでいるみたいにカラカラ。
これはまずい、やっぱりまずい、どう言って断ればいいのだろうと悶々としていた。
年始早々に行われる予定のリハーサルがどんどん近づいてきて、いよいよはっきりしなければとビクビクしていたある日、クリストファーがzoomミーティングをしようと言ってきた。
よし、腹を決めて今回は辞退したい旨を伝えよう。
「久しぶり、ハッピーニューイヤーまうみ!」
彼はめちゃくちゃ忙しいスケジュールが年末からずっと続いていてクタクタのはずなのに元気だ。
「まうみの曲なんだけど、明後日のリハではなく、その次のリハから始めるっていうのでもいい?」
「あの、そのことでなんだけど、今回はわたしの曲は見送る方がいいと思うんだけど」
「え?なぜ?」
「今の曲でプログラムは充実してるし、これから2月末のコンサートまでに新たに曲を加えない方が、曲の仕上がりがもっと良くなると思って」
「うーん、それもありかもしれないけど」
「ありだよ、きっと」

よっしゃ!言えた!今回はサポーターに徹しよう!
これでいいんだ。今までずっと無理して突っ走ってきたけど、65歳、そろそろ速度を緩めて引いていくことも大事だ。
などと、ストンと時間が空いて気持ちに余裕みたいなものを感じた途端に、ピアノの師匠宅で彼女と一緒に観た音楽家たちのビデオが鮮明に思い出されてきた。
『天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を越えて』だったり、有名な指揮者のものだったり。
やっぱり学びたい、いや、もっと学ばねば。
それで自分のためのピアノ教師を探した。
何日かかけてその人が見つかって、いろいろと話をして教えてもらうことが決まり、レッスンは来月から始まることになった。
来月はコンサート本番に向けてオーケストラのリハーサルが毎週末に行われるけど、わたしはスタッフだから全部に参加しなくてもよいので練習に集中できるだろう。

そんなある日、というか1月の最後のオケリハの前日に、クリストファーがまたzoomミーティングをしようと言ってきた。
「まうみ、あれから考えたんだけど、なんで今回まうみは辞退したいの?曲のせい?それともあなたがしたくないの?」
「いや、曲は好きだし、指揮をしたくないとは思っていないけど、ただ曲をきちんと仕上げる自信も時間も無いと思ってて」
「曲が好きで指揮をしたいならやるべきだ。時間が無いと思うなら1楽章だけ今回やって、あとの三つの楽章は次のコンサートでやればいいじゃないか」
(げげ!1楽章は全く学んでいない。もともと3楽章と4楽章だけやるつもりだったから、YouTubeでちらっと演奏を聴いたぐらいで…)
などと思いながら黙っていると、
「1楽章は今のプログラムの曲には無い雰囲気と曲想を持ってるから、きっといいと思うよ。それからいつものようにウクライナ支援の曲を何曲か加えるから、その指揮もやって」
「ちょ、ちょっと待って…」
「できないの?やりたくないの?」
「いや、そうではなくて」
「じゃあ明日、市立図書館からフォーレの総譜とパート譜は貸し出してもらってあるから、明日はそれを使って初見で演奏してもらえばいいよ。新しい曲はワクワクする。きっとみんなもハッピーだよ」
「ああ、はい…じゃあよろしく」

えらいこっちゃ、みんなは初見でもいいけど、わたしはそういうわけにはいかない。
慌てふためいて自分で買っておいた総譜の1楽章を読み始める。
YouTubeの多々あるビデオを片っ端から聴いて、楽譜の中に書き込みを入れていく。
各楽器の、わたしからの合図が必要な部分に、色鉛筆で印を打っていく。
なんなんだ、この展開は?
わたしは一体なにやってんだ?

リハーサル当日、最後の15分ほどをもらって初見読み練習をした。
ああ美しい。
哀しみのピアニシモの中にじわじわと膨らみ始める激情、突然の吐露に戸惑い不安を抱えるディミニエンド、安息の時間に忍び寄る不穏なハーモニー、
飛び抜けて上手い人ばかりではないオーケストラの初見演奏にもかかわらず、フォーレの曲の美しさに胸が震える。
ありがとうみんな、わたしと一緒に演奏してくれて。
そんな感謝の気持ちに包まれながら指揮をした。

今回の市立図書館からのオーケストラ譜はなんと新品!
だからなんの書き込みもなく美しい。
わたしが最初の人になるのかと思うと気が引けて、だから自分で総譜だけを購入した。
オケのメンバーには、スキャンしたパート譜を一人一人にメールで送り、各自でプリントアウトしてもらうことにした。
借りた楽譜を1枚でも無くしたら、多額の罰金を図書館に払わなければならないからだ。
そういう作業は時間がかかる。
先日の日曜日は、それで半日が潰れた。
そこに自分が受けるレッスンの練習もしなければならない。
時間があると思ってたから、けっこう難しい曲を見てもらうことになっている。
この歳になると、1日でも練習を休むと後にひびく。
そのかわり毎日少しずつでも続けていると、とりあえず微かではあるが良くなっていく。
でもやっぱりこれ、墓穴だよね、掘ってしまったんだよね、また。
もちろん身を滅ぼすのではなくて、身を潤すっていう意味での墓穴(?)だけど。
いや、そんな墓穴があったら入ってみたいかも。

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