3週間前のことだった。
東急東横線大倉山駅の近くにある友人の事務所に行った帰りに、改札の外で私は電話をかけていた。
その私の姿を、2メートルほどの近さで凝視する男がいた。
無礼なやつだな、と思った。
芸能人だって、こんなに無遠慮に見つめられたりはしないだろう。
俺は、ブラッド・ピットではない、と思った(アンジョリーナ・ジョリーを好きだったことだけは似ているが)。
どうせ、誰かと間違えているのだろうと思った。
私は自覚しているのだ。自分が、とても平凡な顔をしたガイコツだということを。
電話を切った。
すると、男は私を凝視したまま近づいてきて、「まつだろ?」と聞いてきた。
それが、私には「待つだろ?」の意味に聞こえた。
いえ、誰も待っていませんけど・・・。
「違う違う、小学校のときに同じクラスだったマツだよね、あなたは」
確かに、私は小学生の頃から今まで友人たちに「マツ」と呼ばれていた。
本当に同級生か。
しかし、まったく覚えがない。
40年以上前のことなのだ。
教室の景色や校庭の景色は思い出せるが、教室内にいた人間の顔は、朧げにしか思い出せない。
記憶に薄い靄がかかっている感じだ。
そんなおぼろ状態だったとき、相手の男が「クチバだよ。クチバシンヤだよ」と声を張り上げた。
靄が、突然に晴れた。
小学校5年6年のとき同級だった朽葉慎也だ。
みんなから「クチバシ」と呼ばれていたことも思い出した。
当時の朽葉は、華奢な体をしていたこともあってか、目立たない男だった。
だが、今の朽葉は、小太りで疲れた顔をしていた。
我々の年代の男は、たいていは疲れた顔をしているものだが、朽葉の顔は、それが際立っていた。
病気なのかもしれない。
しかし、俺のことがよくわかったな、こんなにも年を食ったのに。
「だって、マツはマツだからな」
言っていることがわからない。
ただ、それを確かめる暇は私にはない。
私は、急いでいたのだ。
だから、電話番号を聞き合って、その場は別れた。
10日ほど経って、朽葉から電話がかかってきた。
「俺んちに遊びにこないか」
日にちを調整して、15日午後に行ってきた。
朽葉の家は、東横線日吉駅から10分程度歩いたところにあった。
私は、日吉には土地勘があった。
結婚して初めて住んだ場所が、横浜市港北区日吉本町だったのだ。
朽葉の住む家は、一軒家で、築20年以上経っていた。
広い2階建てだった。何部屋あるかは聞かない。
それは、私には関係ないことだ。ただ、広いな、とは思った。
その広い一軒家に、朽葉はひとりで住んでいた。
ご両親は亡くなり、いまは朽葉ただ一人。
缶チューハイを二人で飲んだ。
ひとりで寂しくないか、などという無神経なことは私は聞かない。
寂しくないわけがないからだ。
朽葉は、昔話をしたがったが、私は適当にはぐらかした。
大学陸上部時代の友人とも大学時代の話をすることは、ほとんどない。
私は、今の話題が好きだ。
ただ、だからと言って、朽葉に、自分から、いま何している、と聞くこともない。
私は、出来の悪いマスコミではない。
しかし、相手が話してきたら、もちろん聞く。
朽葉は、自分から、一年前に大病したことを機に会社を辞めたことを話しはじめた。
いまは、退職金と父親の遺産で暮らしているという。
「まあ、悠々自適かな」と小さく笑った。
話が苦手な展開になってきたので、私は気になっていたことを朽葉に聞いてみた。
俺に声をかけたとき、「マツはマツだから」と言ったよな。あれは、何なんだ?
「上手くは言えないけど」と朽葉。
「マツは、あの頃、いつだってマツだったからさ」
さっぱり、わからない。
そう言えば、私の息子は、子どもの頃から、みんなに「マッちゃん」と言われて親しまれた。
私の小学校のとき、松田という子がいたが、彼も「マッちゃん」と呼ばれていた。
中学のとき、松島、松崎というのがいたが、彼らも「マッちゃん」だった。
高校のとき、私と同じ苗字がいたが、彼も「マッちゃん」。
大学のとき、教授に松木という人がいたが、気さくな性格だったこともあって、学生から「マッちゃん」と言われて親しまれた。
じゃあ、なんで、俺は「マツ」なんだ。
「だって、マツはマツだからさ」
さっぱり、わからん。
その日の夜、新宿でいかがわしいコンサルタント業を経営する大学陸上部時代の同期オオクボに、なあ、俺は何で「マツ」なんだ、と聞いてみた。
オオクボは、間を置くことなく、「マツは昔からマツだったからなあ」と白痴的なことを言った。
コンサルタントが、曖昧な表現で誤魔化そうとするんじゃねえよ! このクズ社長! と罵って、私は電話を切った。
お願いだから、誰か私を「マッちゃん」と呼んで。
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