リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

占領族

2013-06-23 08:46:13 | オヤジの日記
奇妙な現象がある。

いま母が、心臓を悪くして川崎の病院に入院している。

その病院は、最寄り駅から5~6キロの距離にあるから、最寄り駅から無料のシャトルバスが出ている。
だから、いつもそれに乗る。

マイクロバスの定員は、おそらく30人前後。
2人席と1人席、それに混んでいるときは補助椅子を使って30人程度が座れる勘定だ。

混んでいる時間帯は、朝早い時間の行きのバスと昼前後の帰りのバスだ。

この混んでいる時間帯に、いつも奇妙な現象が起きるのである。

二人席に座り、片方の席に荷物を置いて、座席を占領している人がいるのだ。
60~70年輩の男性だ。
同じ人ではなく、毎回違う人。

彼らは、混んでいて座れない人がいるのに、平気で荷物を置いていつも座席を占領している。

気の強い人は、男性に「荷物をどけてくれませんか」と言って、自分の席を確保する。
しかし、多くの人は、何も言わず15分ほどの病院までの時間を立って我慢している。

たまに見かねて、運転手さんが、「お荷物は膝の上に乗せてください」とアナウンスをするが、男性がその意見を受け入れることはない。
かたくなに座席を占領し続けている。

電車で荷物を座席においている人をたまに見かけるが、たいていは、車内が空いているときだ。
満員電車で座席を占領している人を見かけることは、ほとんどない。

路線バスでは、「占領族」がたまにいるが、運転手さんが「お荷物は膝に」と言えば、ほとんどの人が素直に荷物を移動させる。

なぜ病院行きのシャトルバスでは、毎回「占領族」がいるのだろうか。
それも、同じような年輩の男性だけ。

テリトリー意識だろうか。

人には、それぞれ自分の領域があって、何十センチ以内に他人が近づくと、不快感を持つという。
その距離は、人によって許容範囲が違うようだが、それは、どの人にも確実にある感情らしい。

他人を寄せ付けたくない距離。

つまり、「占領族」は、その距離が極端に短いから、荷物を置くことで自己のテリトリーを守ろうとしているのかもしれない。
そうしないと、気持ちが落ち着かないのだろう。

大げさな言い方をすれば、排他的。
他人を許容しない心。

しかしなぜ、病院のシャトルバス内でだけ、そんな現象が起きるのだろうか。
それも60~70歳くらいの男性だけ。

「そんなのは、ただの偶然だよ」と友人たちは言う。
「そんなつまらないこと気にして、おまえ、病んでいるんじゃないか」とも言われた。

確かに、たいしたことではないかもしれない。
「現象」と言うほど、明確なものではないかもしれない。

ただ、もう一つ気になるのは、そのシャトルバスをおりるとき、多くの人が運転手さんに「お世話様でした」「ありがとうございました」と声をかけるが、「占領族」全員が、無言でバスを降りることだ。

自己のテリトリーを侵されたくない彼らは、非日常的空間である病院に行くことは、決戦場に行くのと同じことと感じているのかもしれない。
つまり、心に毛筋ほどの余裕もない。
感謝の気持ちを表す余裕さえもない。


今度の水曜日に母が退院するので、しばらくはシャトルバスに乗ることもなくなるだろう。
だから、あの奇妙な現象ともお別れかと思った。

しかし、昨日のお昼どき、「餃子の満州」に行ったときのことだ。
12時過ぎだったから、店内は満席。
全く空きがない状況だった。

しかし、よく見ると、カウンター席が一つだけ空いていた。
だが、さらによく見ると、その席の上には、大きな紙袋が置かれていた。

大きな紙袋を挟んだ両隣には、60年輩の男性の後ろ姿が。
つまり、それは、どちらかの男性の荷物なのだろう。


そこにも「占領族」は、いたのである。


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