リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

良質のロックンローラー・斉藤和義

2011-07-01 09:11:20 | オヤジの日記
いつごろから斉藤和義の音楽を聴いていたのか、記憶にない。

一番最初に聞いた歌は、「幸福な朝食 退屈な夕食」だった。
これは、1997年の発売だというから、きっとその頃なのだろう。

とにかく歌詞の密度が濃い歌である、というのが第一印象。

後半の歌詞。


借金返済 印税収入 フェンダー・ギブソン オモチャじゃねぇんだ
知らない同士 体制と犠牲 変態行為 ロックンロール
島国社会 大陸社会 ライバル意識 劣等感
おはよう おやすみ こんにちは いいだろ イヤイヤ さようなら
今歩いているこの道がいつか懐かしくなるだろう
今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道がいつか懐かしくなるだろう
今歩いているこの道がいつか懐かしくなるはずだ



支離滅裂に聞こえるが、言葉のリズムで、彼の心象風景は確実に理解できる。
いま自分が抱えている問題を、思いついたまま歌詞にして、日記を書くように、そして日記を読み直すように、自己を再認識している。


それは、確実にロックだった。


まるで、若い頃のローリング・ストーンズを彷彿とさせるような「捨鉢なロック」だった。


斉藤和義の歌声にロックを感じたとき、私にとって、斉藤和義は特別な存在になった。


「あの高い場所へ」や「歌うたいのバラッド」も確実に、私にとって良質なロックだった。

良質なロックというのは、反体制ということ。

不満のマグマを絶えず抱えているから、ラブソングでさえも、斉藤和義にとっては、己れのマグマを排出する手段になっている。

それを受け入れられるかどうかが、斉藤和義を「好き」か「嫌い」かの分岐点になる。

私は、それを受け入れたので、「好き」ということだ。


そして、斉藤和義は、私だけの感性で言うなら、日本的ではないロックンローラーである。

だから、メジャーになれない。

たとえば矢沢永吉は、極めて日本的で当たり前の洋楽もどきのシンガーだ(ロックンローラーとは違う)。

だから、彼はメジャーになれた。


勝手な言い分であることは承知で言う。

私は、斉藤和義には、ずっと良質のロックンローラーでいて欲しい。

だから、メジャーになって欲しくない。



本当に、勝手な言い草だとは思うが・・・・・。




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