韓国の年輩の方々は、どんな音楽を聴いているのだろうか。
KBSやMnet、SBS、KNTVなどのプログラムを見てみると、若者向けの音楽番組やドラマ、バラエティ番組が、多くを占めている。
それらの番組は、年輩の方々が見て、共感できる内容とは思えない。
日本の場合は、歌は演歌、テレビは時代劇、お笑いは笑点など、お年寄りが好むものが、とりあえず存在する。
韓国にも、その種のものはあるのだろうが、あまりにもK-POPが幅を利かせすぎて、年配の方々が肩身の狭い思いをしているのではないかと、余計なことを考えてしまうのだ。
あるいは、国民主義、全体主義のお国柄だから、国家総動員で国策を盛り上げようとしているのなら、全体主義が徹底した年輩の方々の方が、むしろ積極的に国策を推進しようとしている、とも想像できる。
「しかし、あの子たち、歌わされている感じが強いよな」と、K-POP大好きの私の高校一年の娘が、冷静な分析をする。
娘とヨメは、日常生活での会話の98パーセントが、K-POPだ。
娘は、SHINEE、少女時代、IU、ブラウン・アイド・ガールズがお気に入りだ。
ヨメは、SHINEE、BEAST、CNBLUEがお気に入り。
娘とヨメのMP3プレーヤーに入っている曲は、すべてがK-POP。
CDやDVDもK-POPアーティストのものしか買わない。
このように、2人とも徹底しているのだが、2人には大きな違いがある。
ヨメは、熱狂的妄信的だが、娘は、冷静に音楽を聴いているようなのだ。
「K-POPの子たちはさあ、ジャニーズとかAKBと同じで、大人たちの事情で歌わされている気がするよ。言ってみれば、歌うお人形さんだな。ミュージシャンでもなくアーティストとも言えず、あの子たちは、ただの歌手だな。それもロボットに近い歌手だね。まあ、俺はそこが面白いんだけどな(娘は、自分のことをオレと表現する)」
さらに、娘が言う。
「K-POPは、一つの方向にしか向いていないから、飽きられるのも早いかもな。K-POPには、歌手はいくらでもいるが、アーティストが少ない。日本みたいに、アーティスト志向の強いのが出てくれば、層が厚くなるから、将来的にも面白いんだが」
娘は、かなりのK-POPびいきだが、冷静に見るところは、見ているようだ。
確かに、K-POPには、アーティスト志向の人が少ないような気がする。
宇多田ヒカルのように、個人を等身大に、革新的にプロデュースする人がいない。
X-JAPANのように、圧倒的なテクニックと表現力で、音楽を昇華させる人もいない。
椎名林檎のように、自分の作り出した言葉で、自分の表現したい音楽を自由自在に操れる人もいない。
そして、K-POPの歌手は、日本人より歌が上手いと主張しているファンがいるが、COCCOや元ちとせのように、己れの魂を極限まで高めて、言の葉(コトノハ)を解き放てる人が、いない。ただ、教えられたとおりに歌っているだけ、という印象が強い。
そして、何より、忌野清志郎や浜田省吾、斎藤和義のように、体制や自国文化を茶化す人がいないのが、残念だ。
全体主義、国民主義が根強すぎるためか、歌手が「いい子」になりすぎている。
これは、私個人だけの見解だということを承知で書くが、ほとんどの歌が、大人の言うことを聞く「いい子」の歌で終わっているのが、物足りない。
女性アイドルの際どいセクシーなダンスにしても、大人から押し付けられた「お遊戯」のような気がして、少し痛々しい。
多くが体制の言いなり、大人の言いなりのように感じるのは、もちろん私の偏見ではあることは承知。
彼らは、ただ歌が好きなだけなのかもしれない。
好きな歌を言われるままに表現することが、彼らにとって最大の喜びであるなら、それを否定することはしない。
ただ私は、それに対して、疑問を持ち続けるだろう。
みんなが同じ方向をむいて、同じ種類の音楽を惰性のように繰り返し続けることは、「個」を消し去ることにならないか。
表現者としては、「個」が一番大事なはずなのに、全体に埋没することを選び続けていいのか。
それは、AKBやEXILEなども同じであるから、それが苦にならない人だけが、アイドルとして成功すると言えるのかもしれない。
ただ、それは、俺が望んでいる音楽とは、かなり違うな・・・・・と。
K-POPアイドルの中で、BIGBANG、2EN1は、クリエイティブな部分を持っているグループだと思う。
しかし、言い方を変えると、極めて洋楽を真似ることが巧みなグループだということもできる。
いまはまだ彼らが、その洋楽的な部分を韓国人のアイデンティティと同化させることに成功しているとは思えない。
うまく真似ている、としか感じない。
彼らが、洋楽のエッセンスを独自の個性として同化させることに成功したら、彼らに続くアーティストが、きっと現れるだろう。
それは、韓国の音楽にとって、大きな分岐点になると思う。
ただ、その時が来るまで、今のK-POPの流行が続いているかどうか・・・・・・。
あるいは、韓国政府が、その時まで気長に待ってくれるかどうか・・・・・・。
そのことが、私には、とても興味深い。
KBSやMnet、SBS、KNTVなどのプログラムを見てみると、若者向けの音楽番組やドラマ、バラエティ番組が、多くを占めている。
それらの番組は、年輩の方々が見て、共感できる内容とは思えない。
日本の場合は、歌は演歌、テレビは時代劇、お笑いは笑点など、お年寄りが好むものが、とりあえず存在する。
韓国にも、その種のものはあるのだろうが、あまりにもK-POPが幅を利かせすぎて、年配の方々が肩身の狭い思いをしているのではないかと、余計なことを考えてしまうのだ。
あるいは、国民主義、全体主義のお国柄だから、国家総動員で国策を盛り上げようとしているのなら、全体主義が徹底した年輩の方々の方が、むしろ積極的に国策を推進しようとしている、とも想像できる。
「しかし、あの子たち、歌わされている感じが強いよな」と、K-POP大好きの私の高校一年の娘が、冷静な分析をする。
娘とヨメは、日常生活での会話の98パーセントが、K-POPだ。
娘は、SHINEE、少女時代、IU、ブラウン・アイド・ガールズがお気に入りだ。
ヨメは、SHINEE、BEAST、CNBLUEがお気に入り。
娘とヨメのMP3プレーヤーに入っている曲は、すべてがK-POP。
CDやDVDもK-POPアーティストのものしか買わない。
このように、2人とも徹底しているのだが、2人には大きな違いがある。
ヨメは、熱狂的妄信的だが、娘は、冷静に音楽を聴いているようなのだ。
「K-POPの子たちはさあ、ジャニーズとかAKBと同じで、大人たちの事情で歌わされている気がするよ。言ってみれば、歌うお人形さんだな。ミュージシャンでもなくアーティストとも言えず、あの子たちは、ただの歌手だな。それもロボットに近い歌手だね。まあ、俺はそこが面白いんだけどな(娘は、自分のことをオレと表現する)」
さらに、娘が言う。
「K-POPは、一つの方向にしか向いていないから、飽きられるのも早いかもな。K-POPには、歌手はいくらでもいるが、アーティストが少ない。日本みたいに、アーティスト志向の強いのが出てくれば、層が厚くなるから、将来的にも面白いんだが」
娘は、かなりのK-POPびいきだが、冷静に見るところは、見ているようだ。
確かに、K-POPには、アーティスト志向の人が少ないような気がする。
宇多田ヒカルのように、個人を等身大に、革新的にプロデュースする人がいない。
X-JAPANのように、圧倒的なテクニックと表現力で、音楽を昇華させる人もいない。
椎名林檎のように、自分の作り出した言葉で、自分の表現したい音楽を自由自在に操れる人もいない。
そして、K-POPの歌手は、日本人より歌が上手いと主張しているファンがいるが、COCCOや元ちとせのように、己れの魂を極限まで高めて、言の葉(コトノハ)を解き放てる人が、いない。ただ、教えられたとおりに歌っているだけ、という印象が強い。
そして、何より、忌野清志郎や浜田省吾、斎藤和義のように、体制や自国文化を茶化す人がいないのが、残念だ。
全体主義、国民主義が根強すぎるためか、歌手が「いい子」になりすぎている。
これは、私個人だけの見解だということを承知で書くが、ほとんどの歌が、大人の言うことを聞く「いい子」の歌で終わっているのが、物足りない。
女性アイドルの際どいセクシーなダンスにしても、大人から押し付けられた「お遊戯」のような気がして、少し痛々しい。
多くが体制の言いなり、大人の言いなりのように感じるのは、もちろん私の偏見ではあることは承知。
彼らは、ただ歌が好きなだけなのかもしれない。
好きな歌を言われるままに表現することが、彼らにとって最大の喜びであるなら、それを否定することはしない。
ただ私は、それに対して、疑問を持ち続けるだろう。
みんなが同じ方向をむいて、同じ種類の音楽を惰性のように繰り返し続けることは、「個」を消し去ることにならないか。
表現者としては、「個」が一番大事なはずなのに、全体に埋没することを選び続けていいのか。
それは、AKBやEXILEなども同じであるから、それが苦にならない人だけが、アイドルとして成功すると言えるのかもしれない。
ただ、それは、俺が望んでいる音楽とは、かなり違うな・・・・・と。
K-POPアイドルの中で、BIGBANG、2EN1は、クリエイティブな部分を持っているグループだと思う。
しかし、言い方を変えると、極めて洋楽を真似ることが巧みなグループだということもできる。
いまはまだ彼らが、その洋楽的な部分を韓国人のアイデンティティと同化させることに成功しているとは思えない。
うまく真似ている、としか感じない。
彼らが、洋楽のエッセンスを独自の個性として同化させることに成功したら、彼らに続くアーティストが、きっと現れるだろう。
それは、韓国の音楽にとって、大きな分岐点になると思う。
ただ、その時が来るまで、今のK-POPの流行が続いているかどうか・・・・・・。
あるいは、韓国政府が、その時まで気長に待ってくれるかどうか・・・・・・。
そのことが、私には、とても興味深い。
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