天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

逝去されたジェーンラッセルさんデビュー映画『ならず者』H・ホークス監督は製作者H・ヒューズと衝突更迭

2011-03-05 12:48:46 | 日記
今日の日記は、2月28日89歳で逝去されたアメリカの女優ジェーン・ラッセルさんの映画デビュー作品『ならず者』のことです。
このアメリカ西部劇映画『ならず者』(1946年製作 ハワード・ヒューズ監督 ジェーン・ラッセル ジャック・ビューテル主演)は、当初は製作者のハワード・ヒューズが監督するのではなくハリウッド名匠ハワード・ホークスに任される予定でした。だから、その主演者二人のスクリーン・テストにもハワード・ホークスは立ち会っています。その映画製作舞台裏を記述した著書『ハワード・ホークス』(トッド・マッカーシー著 高橋千尋訳 2000年フィルムアート社刊)にも、ジェーン・ラッセルさんの興味深い話が出てきます。添付した写真は、スクリーン・テストの結果、主演二人に決定したジェーン・ラッセル(右側)とジャック・ビューテル(左側)です。以下に、そのエピソードをこの著書から抜粋・引用します。
『数日後、ビューテルとラッセルはホークスの所に呼ばれて、個別に全てのスクリーン・テストを丸ごと見せられた。ジェーン・ラッセルは語る。「自分がどういうふうに目えるかということを知って、たまげたわ。それまで、自分では冴えない印象を持っていたので驚きましたし、本当に嬉しかったわ!」・・デスクに腰を下ろし、ホークスは静かに言った。「君たち二人に決まった」・・ホークスの部屋から出て歩いていた二人は、背が高くほっそりとした男が廊下の壁に凭れて、こっちを見ているのに気がついた。それがハワード・ヒューズであると、二人にはすぐにぴんと来た。ラッセルは「彼は私たちに会いたくなかったのよ。私たちを生の姿で見たかっただけ」と言うが、それは、はっきりしている。』
しかし、その製作者ハワード・ヒューズはハワード・ホークス監督と意見が合わず、撮影開始2週間後、彼を更迭し自ら監督の座に付くことになります。だから、ジェーン・ラッセルさんはハリウッド第一級監督の指導を受けられなくなってとてもガッカリし、新しい監督ハワード・ヒューズにまったくうんざりしています。この著書には次のように書いています。
『ラッセルには常に乳房の衝撃が最大限に現れるポーズを取らせ、もし、これほど退屈な代物でなければキャンプ趣味だと言われたかもしれない奇態なサド・マゾの儀式めいたものを二人に演じさせたのだ。・・』
その結果、内容に検閲が入り公開中止になります。法廷での争いの末、3年後の1946年に一般劇場公開されました。女優ジェーン・ラッセルさんのデビュー作は、残念ながら、こんな訳ありの映画作品でした。もし、ハワード・ホークスが監督していたら映画『ならず者』はこんな駄作にはなっていなかったでしょう。だから、私は、ジェーン・ラッセルさんの悲運を今痛感しています。
しかし、ハワード・ヒューズに対して毅然たる態度を取り続けたジェーン・ラッセルさんに、とても良い親しみを私は感じています。ジェーン・ラッセルさんはとても強い女性だったのです。
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