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ソ連憲法第6条が廃棄されてから20年(1)

2010-03-24 | ラジオ
今から丁度20年前ソ連邦の歴史における、ドラマチックな一つの時期がその幕を閉じ、まったく新しい時期が始まった。
1990年3月14日、ソ連共産党がソ連社会をまとめ主導的な役割を努めることを記した、ソ連邦憲法第6条が削除された。

1985年、ソ連共産党中央委員会書記長のポストにゴルバチョフ氏が就いてから、いわゆるペレストロイカが始まった。
この時期は言論の自由、公開性のスローガンの下での報道、社会生活のあらゆる面での民主化が、その特徴であって当然とは言え国民全体の政治活動が、熱気というものが激しく燃え上がった。
そしてそれと共にペレストロイカは与党である、ソ連共産党が責任を負っていた経済面および政治面における、極めて危機的な現象の数々を人々の前に明るみに出したのだ。

すでに1990年までに共産党による、権力の一党支配をなくすよう求める声が国民の半数を超していた。
モスクワとレニングラード、現在のサンクトペテルブルクではこの数字は7割にまで達していた。

共産党への不信は連邦構成共和国における、民族間紛争や空っぽのお店の棚そして生活必需品を得るための、長い行列などによって危機的にまで深まっていた。
国内では抗議行動の波が高まり、その頂点となったのは1990年2月4日モスクワで行われた30万人のデモ行進だった。
このときデモ参加者たちが掲げた主なスローガンは、ソ連憲法からソ連共産党の主導的役割を規定した、第6条をなくすということだった。

2月7日にはもうソ連共産党中央委員会各代総会が開かれ、そこで共産党の主導的役割の撤回が決まり複数政党制の確立と、ソ連邦大統領というポストの新設が決定された。
そしてその1ヵ月後の3月、第3回ソ連人民代議員大会が開かれ憲法第6条廃止は大統領ポストと共に成文化された。

ソ連憲法第6条が廃棄されてから20年(2)へ続く

3月14日放送 ロシアの声・週刊ラジオ展望


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