辻村達生…、当年とって66歳である。プロフィールを見ると、あの伝説の(?)ライブハウス「パフ」の歌い手兼スタッフだったという。すると私は若い時の彼に出合っているはずだ!しかし、容貌が変わった(失礼!)彼を思い出せなかった。でも唄の方は渋く聴き応えがあった。
かでる2・7では一階の展示ホールで定期的にコンサートを開催している。そのコンサートの一環として昨日(7月26日)、フォークシンガーの辻村達生のミニライブが行われ聴くことができた。
※ 辻村達生登場前のステージです。
渡されたプログラムの中に辻村氏のプロフィールが載っていた。それによると辻村氏は音楽店「パフ」の歌い手兼スタッフとして在職していたという。さらに、旭川市に音楽店「BOOFOOWOO」を設立し、そこでも歌い手の一人としてステージに立っている。
私は在職時代はずっと地方勤務だったが、出札の度に「パフ」に立ち寄ることが楽しみだった。そして旭川市にあった「BOOFOOWOO」にもスタッフの紹介で訪れたことがあった。
※ 若いときの面影はどこにもうかがえない辻村達生オンステージです。
意外な繋がりに期待しながらライブのスタートを待った。
現れた辻村氏は見事な禿頭の上、小太りのおじさんだった。若い頃の面影は消え失せていたからだろうか、私には辻村氏を思い出すことはできなかった。
しかし、辻村氏の唄声には人生を積み重ねた深みを感じさせてくれた。
わずか5曲だけ歌うというミニライブだったが、辻村氏の渋い魅力がたっぷり詰まった素晴らしいライブだった。
※ 辻村達生氏のHPから拝借したポートレートです。
1)おじいさんの古時計
2)傘がない
3)吾亦紅
4)親父(オリジナル)
5)生きてりゃいいさ
「吾亦紅」は彼の唄声に嵌った渋さが出た良い曲だった。さらにオリジナルの「親父」もじっくりと聴かせてくれる名曲だった。
そして私の目を釘付けにさせたのが、伴奏を務めた深川忠義さんのギターテクニックだ。辻村氏の唄声とほどよくマッチして効果を高めていた。
※ ステージ左側がギター伴奏の深川忠義さんです。
わずか30分間のミニライブだったが、私にとって満ち足りた30分間だった。
かでる2・7では一階の展示ホールで定期的にコンサートを開催している。そのコンサートの一環として昨日(7月26日)、フォークシンガーの辻村達生のミニライブが行われ聴くことができた。
※ 辻村達生登場前のステージです。
渡されたプログラムの中に辻村氏のプロフィールが載っていた。それによると辻村氏は音楽店「パフ」の歌い手兼スタッフとして在職していたという。さらに、旭川市に音楽店「BOOFOOWOO」を設立し、そこでも歌い手の一人としてステージに立っている。
私は在職時代はずっと地方勤務だったが、出札の度に「パフ」に立ち寄ることが楽しみだった。そして旭川市にあった「BOOFOOWOO」にもスタッフの紹介で訪れたことがあった。
※ 若いときの面影はどこにもうかがえない辻村達生オンステージです。
意外な繋がりに期待しながらライブのスタートを待った。
現れた辻村氏は見事な禿頭の上、小太りのおじさんだった。若い頃の面影は消え失せていたからだろうか、私には辻村氏を思い出すことはできなかった。
しかし、辻村氏の唄声には人生を積み重ねた深みを感じさせてくれた。
わずか5曲だけ歌うというミニライブだったが、辻村氏の渋い魅力がたっぷり詰まった素晴らしいライブだった。
※ 辻村達生氏のHPから拝借したポートレートです。
1)おじいさんの古時計
2)傘がない
3)吾亦紅
4)親父(オリジナル)
5)生きてりゃいいさ
「吾亦紅」は彼の唄声に嵌った渋さが出た良い曲だった。さらにオリジナルの「親父」もじっくりと聴かせてくれる名曲だった。
そして私の目を釘付けにさせたのが、伴奏を務めた深川忠義さんのギターテクニックだ。辻村氏の唄声とほどよくマッチして効果を高めていた。
※ ステージ左側がギター伴奏の深川忠義さんです。
わずか30分間のミニライブだったが、私にとって満ち足りた30分間だった。
歌声に往事に思いを馳せて幸せな時間だったのでしょう。
ウラヤマシイ限りです。
道内大学の雄甘木大学クラシックギーター部ご出身の出ちゃっ太さんがご存じないということは、辻村達生というシンガーソングライターもそこそこの存在ということなのでしょう…。
ただ、私にとって「パフ」というライブハウスは忘れ得ぬ存在でして、今でもあのようなお店があれば足繁く通うだろうなぁ、と思うほど思い出が一杯のお店です。
そこで歌っていたというだけで、懐かしいものがこみ上げてきました。
「満ち足りた30分間…」はウソ偽りのない私の気持ちでした。
コメントありがとうございました。
(^_^;
洋楽派でした。今はあまり流行らないし、洋楽って言葉も死語みたいなもんでしょか?
そうでしたね。出ちゃっ太さんが歌い手に言及することはほとんどなかったですね。
ましてや、おやじシンガーなんぞ知らなくて当然ですな。