和人の蝦夷地への進出によって、蝦夷地の先住民族であったアイヌ民族は和人と同化される運命を辿ったことは、これまでも断片的に学んできたが、今回改めてアイヌ研究の第一人者からその全貌について話を聞くことができた。
かでる講座の7月講座は、7月26日(火)午後、札幌大学々長の桑原真人氏が「北海道の開拓とアイヌ民族」と題してお話され、受講した。
今回の桑原学長の講義は、アイヌ民族について、その誕生から現在に至るまでを2時間で概観するものだった。
私の中で一つの疑問として残っていたことは、はたしてアイヌ民族が誕生したのは何時のことだったのか、ということだった。その点について、桑原氏は北海道には縄文文化の遺跡等は残っているものの、それがアイヌの起源と特定することはできないというのが研究者間の統一見解だと話された。
はっきりとアイヌ文化として歴史上に登場するのは、13~14世紀頃の擦文文化を基盤としてオホーツク文化と融合するあたりからアイヌ民族社会が成立したと云われているそうだ。
和人とアイヌの接触が始まったのは、14~16世紀の鎌倉・室町時代に和人が蝦夷島に移住し、蠣崎氏が松前に拠点を築いたころからのようである。
アイヌと和人が衝突した最初の事件は「コシャマインの戦い」(1457年)である。この戦いを蠣崎氏が平定したことにより、和人の優位な立場が確立したようだ。
やがて蠣崎氏は中央政権(豊臣氏、徳川氏)から公認される立場となり、松前氏を名乗るようになる。そしてアイヌから搾取する構造が出来上がった。
松前氏によるアイヌ民族の分断・支配、あるいは搾取の構造に対して、アイヌの首長シャクシャインをリーダーとしてアイヌ民族が松前氏に反旗を翻したのが「シャクシャインの戦い」(1669年)であり、「クナシリ・メシナの戦い」 (1789年)である。
桑原氏は、もしアイヌ民族が国家を形成するとしたら、「シャクシャインの戦い」に勝利した場合にその可能性があったとした。しかし、例え国家として誕生したとしても長くは続かなかっただろう、と語った。
二つの戦いは激しい戦いではあったが、政権の後押しを受けた松前氏が平定することとなり、アイヌは急速に力を失っていくこととなった。
明治に入り、政府は本格的に蝦夷地(北海道)の開拓に着手した。時の開拓使はアイヌに対して同化政策を実施し始める。それは有無を言わせぬほど厳しいものだったようだ。アイヌは住む土地を追われ、アイヌ文化は否定されるなど、今から見るとずいぶん乱暴なものだった。それはアイヌ民族のことを「旧土人」と称したところに端的に現れているような気がする。
明治32年には「北海道旧土人保護法」なるものが制定されたが、保護の名のもとに財産を没収したり、同化政策を推進したりするためのものだったそうだ。具体的には
1.アイヌの土地の没収
2.収入源である漁業・狩猟の禁止
3.アイヌ固有の習慣風習の禁止
4.日本語使用の義務
5.日本風氏名への改名による戸籍への編入
という酷いものだった。
この法律が平成9年に「アイヌ文化振興法」が成立するまで法律として残っていたということは、信じ難いほどである。(そのことを知らなかった自分も恥ずかしい)
世界は今、先住民族の文化を尊重し、それを手厚く保護する方向に向かっている。私が訪れた経験のあるニュージーランドではマオリ族の言語のTVチャンネルが放送されていた。聞くところによると、オーストラリアなどは数十の言語のTV放送をしているとも聞いた。
すでに絶滅に瀕しているアイヌ語のTV放送が日本(北海道)で放送される日など来るのだろうか?
※ 今日は一年に一度、昔職場を共にした5人の元同僚と再会し、旧交を温め、未来を語り合う日である。他の4人からおおいに刺激を受けてきたい。そのため早目の投稿となった。
かでる講座の7月講座は、7月26日(火)午後、札幌大学々長の桑原真人氏が「北海道の開拓とアイヌ民族」と題してお話され、受講した。
今回の桑原学長の講義は、アイヌ民族について、その誕生から現在に至るまでを2時間で概観するものだった。
私の中で一つの疑問として残っていたことは、はたしてアイヌ民族が誕生したのは何時のことだったのか、ということだった。その点について、桑原氏は北海道には縄文文化の遺跡等は残っているものの、それがアイヌの起源と特定することはできないというのが研究者間の統一見解だと話された。
はっきりとアイヌ文化として歴史上に登場するのは、13~14世紀頃の擦文文化を基盤としてオホーツク文化と融合するあたりからアイヌ民族社会が成立したと云われているそうだ。
和人とアイヌの接触が始まったのは、14~16世紀の鎌倉・室町時代に和人が蝦夷島に移住し、蠣崎氏が松前に拠点を築いたころからのようである。
アイヌと和人が衝突した最初の事件は「コシャマインの戦い」(1457年)である。この戦いを蠣崎氏が平定したことにより、和人の優位な立場が確立したようだ。
やがて蠣崎氏は中央政権(豊臣氏、徳川氏)から公認される立場となり、松前氏を名乗るようになる。そしてアイヌから搾取する構造が出来上がった。
松前氏によるアイヌ民族の分断・支配、あるいは搾取の構造に対して、アイヌの首長シャクシャインをリーダーとしてアイヌ民族が松前氏に反旗を翻したのが「シャクシャインの戦い」(1669年)であり、「クナシリ・メシナの戦い」 (1789年)である。
桑原氏は、もしアイヌ民族が国家を形成するとしたら、「シャクシャインの戦い」に勝利した場合にその可能性があったとした。しかし、例え国家として誕生したとしても長くは続かなかっただろう、と語った。
二つの戦いは激しい戦いではあったが、政権の後押しを受けた松前氏が平定することとなり、アイヌは急速に力を失っていくこととなった。
明治に入り、政府は本格的に蝦夷地(北海道)の開拓に着手した。時の開拓使はアイヌに対して同化政策を実施し始める。それは有無を言わせぬほど厳しいものだったようだ。アイヌは住む土地を追われ、アイヌ文化は否定されるなど、今から見るとずいぶん乱暴なものだった。それはアイヌ民族のことを「旧土人」と称したところに端的に現れているような気がする。
明治32年には「北海道旧土人保護法」なるものが制定されたが、保護の名のもとに財産を没収したり、同化政策を推進したりするためのものだったそうだ。具体的には
1.アイヌの土地の没収
2.収入源である漁業・狩猟の禁止
3.アイヌ固有の習慣風習の禁止
4.日本語使用の義務
5.日本風氏名への改名による戸籍への編入
という酷いものだった。
この法律が平成9年に「アイヌ文化振興法」が成立するまで法律として残っていたということは、信じ難いほどである。(そのことを知らなかった自分も恥ずかしい)
世界は今、先住民族の文化を尊重し、それを手厚く保護する方向に向かっている。私が訪れた経験のあるニュージーランドではマオリ族の言語のTVチャンネルが放送されていた。聞くところによると、オーストラリアなどは数十の言語のTV放送をしているとも聞いた。
すでに絶滅に瀕しているアイヌ語のTV放送が日本(北海道)で放送される日など来るのだろうか?
※ 今日は一年に一度、昔職場を共にした5人の元同僚と再会し、旧交を温め、未来を語り合う日である。他の4人からおおいに刺激を受けてきたい。そのため早目の投稿となった。