ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

人気小説家の原田マハさんの最新単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えました

2019年09月28日 | 
 人気小説家の原田マハさんの最新の単行本「美しく愚かものたちのタブロー」を読み終えました。

 この題名にある「タブロー」とは、絵画のことです(浮世絵も含まれています)。

 具体的には、大正時代から昭和半ばまで(主に第一次世界大戦前後)に、欧州(主にフランスと英国)で名画を買い集めた松方幸次郎(まつかたこうじろう)による“松方コレクション”の話です。

 “松方コレクション”を基にした大規模な展覧会である国立西洋美術館開館60周年記念の松方コレクション展は、今年2019年6月11日から9月23日まで開催されました。



 この単行本「美しく愚かものたちのタブロー」は、2019年5月30日に文藝春秋から発行されました。価格は1650円+消費税です。



 この小説の主な進行係は、田代雄一(たしろゆういち)が務めます。田代雄一は日本を代表する美術史家であり、東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授や帝国美術院付属美術研究所の所長などを歴任した人物です。

 第二次大戦で、連合国軍に負けた日本はサンフランシスコ講和条約締結などを経て、日仏国交を正常化し、フランスとの友好国になんとかなります。

 この時に、当時の内閣総理大臣だった吉田茂は、国会議員として付き合いのあった松方幸次郎が集めた“松方コレクション”の返還を密かに模索します。

 1953年6月に、田代雄一は、吉田茂総理大臣から特命の交渉人として、文部省の事務官と一緒にフランスに向かいます。この時には、就航したばかりのエールフランス機で、サイゴン、カラチ、ベイルートの3都市経由で合計50時間かかってパリ市に到着します。

 (この空路でフランスに向かうことができなかった以前は、日本の横浜市からフランスのマルセイユ市まで、約30日の船旅でした)。、

 このエールフランス機の中で、田代雄一は文部省の事務官に「1921年から1925年にかけて、イタリアなどの欧州留学をした際に、英国ロンドン市からフランスパリ市に向かった時に、パリ市に滞在していた松方幸次郎さんに出会いました」と語ります。この時に、松方幸次郎は西洋美術に詳しい田代雄一青年に、「フランスのノルマンディー地方の田舎に住んでいるクロード・モネの家を訪ねよう」と伝えます。

 訪ねてみると、モネは巨大なカンヴァスに向かって、太鼓橋がかかったスイレンの花が咲く池を描いていました(スイレンの花が咲く池は何枚も描いています)。この時に、クロード・モネは80歳を超した老人でした。

 この時の出会いを契機に、松方幸次郎はクロード・モネに、「スイレンの花が咲く風景の絵を譲ってほしい」と頼みます。

 こうした松方幸次郎が欧州で買い集めた“松方コレクション”は、第ニ次大戦中はフランスの美術館にかくまわれていました(ドイツのナチ軍に没収されないために)。

 第ニ次大戦後はフランスではフランスの印象派などの名画が多く含まれている“松方コレクション”はフランスのものだという雰囲気になっていました。

 1951年9月に米国サンフランシスコ市で、サンフランシスコ講和条約の締結を果たした吉田茂総理大臣は、密かにフランスとの日仏国交回復を図るために、フランスの外務大臣との会談を申し込みます。

 このフランスの外務大臣との会談の席で、吉田茂総理大臣は「第ニ次大戦前に外交官としてモスクワ市の美術館を訪れた時に、館内にはフランス絵画の名画が多数展示されていることに驚きました」と語ります。

 「当時、フランス絵画の名画がソ連の国民に感動を与えていたことに驚き、名画を多数輩出するフランス文化の実力を知った」と吉田茂総理大臣は伝えます。

 そして、「日本人もフランス絵画をこよなく愛しているにもかかわらず、ほとんどの国民は本物のフランス絵画を見たことがない」と伝え、このために松方幸次郎は日本国民に本物のフランス絵画を見せたい考えて収集した」と説明します。

 「フランスが“松方コレクション”を日本に贈ってくれたならば、日本でのフランス文化の有力な宣伝になるはず」と伝えます

 「これはフランスにとって損にはならない・・。必ず有益な成果になる」と、吉田茂総理大臣は立て板に水のように一気に語ります。

 この結果、フランスのシュリーマン外相は「ウィ」と答えます。実際には、この後には、“松方コレクション”の具体的な返還内容の詰めの交渉があるのですが・・。

 こうして、松方コレクションを受け入れる受け皿の建物として、日本政府は東京都台東区上野公園に国立西洋美術館を建てます。

神奈川県鎌倉市長谷にある海光山慈照院長谷寺は、相変わらず多くの参拝客が訪れています

2019年09月27日 | 旅行
 神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗系統の海光山慈照院長谷寺には、相変わらず多くの観光客が訪れています。

 6月のアジサイ開花と11月の紅葉の時期に比べると、参拝者数は半分以下ですが、それでもやはり混んででいます。

 中国人などのアジア人系と欧米などの方が同じぐらい多く参拝しています。アジア人も国はさらに多様化している様子です。外国人参拝客の方が日本人より圧倒的に多い感じです。

 長谷寺の入り口の山門です。山門の真ん中に吊るしてある大きな提灯が有名です。



 この山門の大きな提灯の前で、外国人参拝客の方が次々と記念写真を撮影しています。

 この山門の手前に生えている「門かぶりの松」の木も有名です。



 本尊の十一面観世音菩薩像(木製)が鎮座する観音堂の屋根の一部などが境内の急な斜面の上部に見えています。



 こちらは、その観音堂の隣に建っている阿弥陀堂の屋根です。



 山門の左側手前に立っている、コブだらけのタブノキ(椨の木)も有名な木です。



 海光山慈照院長谷寺は “花の寺”とも呼ばれています。

 ピンク色のフヨウの花が咲いています。



 白いタマスダレの花もグランドカバー的に咲いています。



 ヒガンバナも咲き始めています。





 実は、長谷寺の後に、“鎌倉大仏”として観光客に人気が高い大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)に向かいました。北に向かって、徒歩5,6分です。

 “花の寺”として有名な海光山慈照院長谷寺に比べて、“鎌倉大仏”としての大異山高徳院清浄泉寺は人気がさらに高く、多くの外国人観光客が参拝するために並んでいます。道路にはみ出しそうです。

 見た感じでは、参拝客のほとんどが外国人観光客です。このため、大異山高徳院清浄泉寺の大仏(青銅の鋳造品)の拝観を諦めました。

 鎌倉観光の人気の高さを実感しました。

長野県佐久市新子田にある茨城牧場長野支場では、ソバの白い小さな花が咲いています

2019年09月26日 | 季節の移ろい
 長野県佐久市新子田にある独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場では、畑の一部でソバの白い小さな花がまだ咲いています。

 この家畜改良センター茨城牧場長野支場は、以前は佐久市民から“種畜牧場”と呼ばれていた日本でのヤギとウサギの品種改良を担当している農林水産省系の牧場です。

 家畜改良センター茨城牧場長野支場の広大な敷地には、カラマツ並木がいくつかあります。

 カラマツはまだ葉が紅葉していません。その一つのカラマツ並木の背後に、佐久市の北にそびえている浅間山(標高2568メートル)が見えています。





 この日は、浅間山の山頂部には霧や雲の中ではありませんでした(最近は、山頂部は霧や雲の中である日が多いのです)。この見えているカラマツ並木の手前も、畑ですが、今は何も栽培されてなく、土色のままです。

 茨城牧場長野支場の建屋は、一見すると、北海道の開拓地の建屋のようです。





 この建屋の背後にある畑の一部では、ソバが栽培されています。手前は、雑草を刈り取ったばかりの草地です。



 この茨城牧場長野支場のミッションは、ヤギとウサギの品種改良です。

 このソバ畑の目的は、人間向きのソバ収穫か、ヤギかウサギの飼料向けの収穫なのかは分かりません。





 このソバは遅播きのようで、白い花がまだ咲いています。







 佐久市やその周辺などにある、多くのソバ畑では、ソバの花は茶色くなり、ソバの実をつけ始めています。

 この実ったソバの種はもうすぐ「新ソバ」になります。


群馬県藤岡市鬼石の郊外では、1本のフユザクラの木が既に花を咲かせ始めています

2019年09月25日 | 旅行
 群馬県藤岡市の郊外の田園地帯では、1本のフユザクラの木が既に花を咲かせ始めています

 この藤岡市鬼石は、11月ごろに小さな花を咲かせるフユザクラの名所です。フユザクラは秋を中心に、春にも花を咲かせる“豆ザクラ系”です。

 藤岡市の南側にある鬼石(おにし)は、フユザクラ(冬桜)の里です。11月ごろに花を咲かせるフユザクラの木が道沿いに点々と並んでいます。

 この藤岡市鬼石の北側の山の中にある、隣町の埼玉県児玉郡神川町の「冬桜の里」というフユザクラの名所に向かう道だからです。

 その藤岡市鬼石に植えられたフユザクラの木の中の1本が、既に花をたくさん咲かせています。







 周囲にあるフユザクラの木は花を咲かせてません。この1本の木だけが花を咲かせています。





 このフユザクラの花は中心部分は赤みを帯びています。





 このフユザクラの木の中の1本は、いわゆる“狂い咲き”なのでしょうか。

 この道路を通る方は、今ごろからフユザクラが花を咲かせているとは、夢にも思わず、気が付かない様子で通り過ぎていきます。

 この周囲の田んぼでは、イネが稲穂を実らせています。

 その田んぼの畔では、ヒガンバナ(曼珠沙華)が咲いています。





 ヒガンバナが咲く田んぼの畔は、日本の秋らしい風景です。

(追記)群馬県藤岡市側にあるフユザクラが11月ごろに咲く桜山公園は、藤岡市三波川にあるそうです。
さらに、この北側には、埼玉県神川町矢納に城峯公園があり、ここでもフユザクラが11月ごろに咲きます。


長野県佐久市の東端にある佐久荒船高原では、コスモスの花は今いちの咲き具合です

2019年09月25日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東端にある佐久荒船高原では、この9月はコスモスの花は今いちの咲き具合です。

 標高が1100メートルから1200メートルある佐久荒船高原の中央部分にある“コスモスの丘”では、毎年9月の秋分の日当たりには、一面のコスモスの花で埋ります。見渡す限りのコスモスの花で埋ります。

 しかし、今年は9月の秋分の日の連休を過ぎても、コスモスの背丈が低く、一面にコスモスの花が咲く風景にはなりませんでした。

 比較的斜面の上側の日当たりがいい部分など、全体としては30パーセントぐらいで咲いています。





 毎年6月ごろに、コスモスの種を全面に撒いて、コスモスを育て始めますが、たぶん今年7月の冷夏の影響で、半分以上のコスモスは成長しなかったようです。

 日当たりがいい部分で、背丈が1メートルぐらいまで育ったコスモスです。





 “コスモスの丘”では、コスモスの花はある程度の数が咲いています。









 コスモスは8月の猛暑時には、水を撒くなどの手当も重要です。どうも8月の天候不順などによって、コスモスはうまく育たなかったようです。

 こうしたことも自然のなせる技です。

 “コスモスの丘”の縁では、“野菊”が咲いています。



 この野菊はヨメナではないかと推定しています。

 本来は今ごろは、見通しがいい手前の草原部分にも、コスモスが背丈1メートル数10センチメートル程度まで育ち、一面がコスモスの花になるのですが、今年はこの部分ではコスモスが育っていません。

 例年であれば、この“コスモスの丘”で咲くコスモスの花には、ハチやアブ、チョウが蜜を吸いにやって来ます。

 このハチやアブ、チョウを狙って、トンボなどがやっています。

 そして、こうした昆虫を狙って、モズも集まります。今年はモズにとっても、不運な年になりました。

 夕方4時過ぎの夕日が当たっている荒船山(標高1423メートル)です。艫岩(ともいわ)は夕日が当たって明るいです。



 佐久荒船高原では、秋は例年のように深まっていきます。