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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

プロイセン王フリードリヒ2世妃 エリーザベト

2009-11-04 00:15:50 | ドイツ系王妃
完全に無視された王妃
フリードリヒ2世妃 エリーザベト・クリスティーネ・フォン
          ブラウンシュヴァイク=リューネブルク=ベーヴァン


1715~1797/在位 1740~1786

フリードリヒ2世は、父王から引き継いだ軍事力を用いて戦功をあげ
母ゾフィアから受け継いだアカデミックな部分も活かして学術を奨励しました。
また、農民保護、産業振興、税金政策、国土開発に入植政策などを行い
啓蒙専制君主として名高い人物です。

フリードリヒ大王とも呼ばれた名君。
だのに、女性に対しては学習能力がなさ過ぎじゃなくて?

フリードリヒ2世妃エリーザベトは、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公
フェルディナント・アルベルト2世の公女です。
名家同士の結婚式は、1733年、エリーザベトの父の地所であるザルツダーラムで
牧歌劇やオペラなども開催して盛大に行われました。

家系図からも分かるように兄弟姉妹3組が婚姻関係を結んでします。
双方に強い結びつきが必要だったようですね。

       

ところがフリードリヒはこの結婚には不本意でした。
式の後ふたりでラインスブルク城に移りますが、すぐにエリーザベトを無視し
その後もずっと相手にしませんでした。

1740年に父王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が亡くなって即位すると
フリードリヒ2世は直ちに行動を開始します。
エリーザベトにショーンハウゼン宮殿を贈り別居しました。
どうやら恐ろしい父王に無理矢理おしつけられた結婚みたいですね。
積もり積もった反抗心をエリーザベトにぶつけたのかもしれません。

その後ふたりは訪ね合うことも無く、行事の場でしか顔を会わせませんでした。

オーストリアとの7年戦争の間、エリーザベトはザクセンのマグデブルクに
避難するように強いられました。
戦争後6年ぶりに会ったエリーザベトに対してフリードリヒがかけた言葉は
「太ったね」のひと言だけだっていうのよ! どう思います?

ひどいよね
ゾフィアが不幸な結婚生活に泣いている姿を目にしていながら
自分の妻を同じ目にあわせるとは、どういう神経の持ち主でしょ?
父王は横暴、フリードリヒはネグレクトと方向性は違うとはいえ
女性に対して冷徹ではありませんか?

エリーザベトは文学好きで、道徳に関する本をフランス語で書いたりしています。
それから絹の培養をプロイセンに広めました。
実は聡明で王のサポートも立派に果たせる女性だったんじゃないかしらね?

フリードリヒ2世が亡くなった1786年以降のことは詳しく分かりませんが
13年後の1797年に亡くなりました。

結婚から53年間、まったく夫に顧みられることのない毎日なんて悲しすぎる。
いやなら離婚すりゃあいいのにね!
そうしたらエリーザベトだって再婚できたのに。

ふたりの間には子供がいなかったので
フリードリヒ2世の弟アウグスト・ヴィルヘルムと
エリーザベトの妹ルイーゼの子、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が即位しました。

(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』
      坂井榮八郎氏『ドイツ史10講』 『Wikipedia英語版』)

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6 コメント

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Unknown (cucciola)
2009-11-04 06:11:54
まりっぺさま、

フリードリヒ大王の奥さんってこの人だったんですね!
先日、本を読んでいたらフリードリヒ大王は自身が演奏するコンサートにも母と姉しか女性は招待しなかった、と書いてあったので奥さんに興味があったんですが。本当にお気の毒。

父王への反感があったとはいえ、妻に対してこんなにデリカシーに欠ける人が王で、しかもマリア・テレジアとも生涯のライバルだったんですよね。実は女に対するコンプレックスでもあったんじゃないか、と思ってしまいますが。

王妃の肖像、悲しげですね。
返信する
ふたたびこんばんわ (まりっぺ)
2009-11-04 21:43:40
マリア・テレジアはフリードリヒ大王大嫌いですよね。
さんざんケチをつけられて、シュレージェンを持っていかれちゃったのが怒りに火を点けたのでしょうね。
でも、確か息子がフリードリヒ大王に憧れちゃうんじゃなかったでしたっけ?

ふつう、母親が父親に泣かされる姿を見ていたら妻には優しくしようと思わないかしら? と思うのですが、フリードリヒは違ったんですねぇ。
じっと耐え忍ぶ妻を不憫には思わなかったんですかね?
その音楽会の話しは初耳なのですが、マザコンなんでしょうか?

ジューリア・ゴンザーガのお話、面白く読ませていただきました。
わたくし、けっこう女性のエピソードはかき集めているのですが、この方も逸話もまったく知りませんでした。
名家もからみ家系図的にも面白そうですね
返信する
Unknown (ケイコ・オカモト)
2010-07-02 08:17:48
まりっぺ様、お久しぶりです。
このブログをお気に入りに登録していつも
楽しく見てます。
歴史が好きなので、すごく勉強になります。
改めて見て思ったのですが、フリードリヒは
マリア・テレジアのライバルですが、この奥さんはマリア・テレジアといとこ同士ではないでしょうか?(母親同士が姉妹)だった気がするのですが。違っていたらごめんなさい。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2010-07-02 23:35:32
ケイコ・オカモト様
こんばんわ。 読んでいただいてありがとうございます。
気に入っていただけたら嬉しいし、大変励みになります。

そうですね。
マリア・テレジアの母エリーザベトと、エリーザベトの母アントワネットは姉妹ですからいとこですね。
今気がついたりして…

ブログ用に家系図を一部分だけ切り取ると、ついそれ以外のことを忘れがちになってしまいます。

ヨーロッパには家系図の専門家というか、自国の王侯貴族の繋がりを全て覚えている人がいると聞きますが、本当だとしたら凄すぎる…

また何かあったら教えて下さい。
返信する
ふたたびこんにちは (ケイコ・オカモト)
2010-07-05 14:50:29
まりっぺ様

フリードリヒはマリア・テレジアの婿候補でもあったんですよね。もし二人が結婚していたら・・と思ってしまいます。
Wikipedeaでも確認したら、この奥さんとマリア・テレジアはそれほど年も離れていないようだし、エリーザベトとの結婚は父王の命令によるものだから偶然かもしれませんが、何か不思議な因縁を感じます。
ひょっとしてフリードリヒが奥さんに冷たかったのは、マリア・テレジアを意識したからか、とも考えてしまいます。

これからも楽しみにしてます。
(再び長々とすみません)
返信する
ふたたびこんばんわ (まりっぺ)
2010-07-05 22:15:05
ケイコ・オカモト様

たくさん読んで下さってありがとうございます。

フリードリヒ2世が後年いちいちマリア・テレジアにいちゃもんをつけたのは、政治的なことはもちろんあったでしょうが「くっそーぅ! 俺をふりやがった!」という気持ちもあったんですかね
返信する

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