まりっぺのお気楽読書

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トスカーナ大公コジモ3世妃 マルゲリータ

2010-07-04 01:13:30 | イタリア王・公妃
もっと有名でいいんじゃない? 悪妻として・・・
コジモ3世妃 マルゲリータ・ルイーザ・ドルレアンス


1645~1721/在位 1670~1721

わたくし、この方は初めて知りましたが、けっこうすごいぞ!
何がすごいって、あのルイ14世までをもタジタジさせる My Way ぶり…
すべてを書くと長~くなるのでかいつまんでお伝えしますね。

マルゲリータはルイ14世の叔父にあたるオルレアン公ガストンの公女でした。
宮廷育ちを絵に描いたような、わがままで傲慢な少女だったみたいです。

最初にサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世との縁談が持ち上がりましたが破談になり
コジモとの結婚が決まりました。
しかし、結婚前は従兄弟のシャルル・ド・ロレーヌの恋人だったらしいです。

        
1661年にフィレンツェで挙げられたコジモとマルガリータの式は一大スペクタクルで
義父フェルディナンド2世は彼女に鳩のタマゴ大の真珠を贈ったそうです。

けれどもそんなお祝いムードはよそに、新婚のふたりはお互いに無関心、
プロシア王フリードリヒ1世妃ゾフィア・シャルロッテの母にあたる
プファルツ選帝候妃ゾフィアによれば、最初の1週間しか寝室を共にしなかったそうです。
コジモが寝室に入って来ると「頭をブチ割るよ!」とビンを振り上げたんだって!

コジモは信心深く内気な方だったようですが、女嫌いで、もしかして男性の方が?
という方でございました。
しかし子どもは3人生まれていますがね…

マルゲリータの夫への嫌悪は、恋しいシャルルへの想いと相まって憎しみに変わりました。
しかも、シャルルったらフィレンツェを訪れたりしちゃうもんだから…
想いは募るばかりでございます。

とうとうルイ14世に「フランスに帰りたい」と泣きつきました。
ルイは聞き入れませんでした。
すると彼女は、コジモに恥をかかせようと仕組んだり、神聖ローマ皇帝の前で
ダメな夫だとアピールしたりします。
「毒を入れられる」と言って自分専用のフランス人コックも雇いました。
「城を出る!」といって駄々もこね、一時軟禁されました。

1670年、コジモが大公に即位しました。
すると今度は相談役になった母后ヴィットリアとの争いが勃発しました。
これは完全に母方についたコジモのせいで敗北します。

国事からも息子の教育からも外されたマルゲリータは、ルイ14世に手紙を書き
自分は癌だからフランスで治療したいと訴えました。
でもね、ルイが送り込んだお医者様は、彼女に熱いお湯を処方したそうです

マルゲリータはコックをベッドに誘ったり、別荘に行って2年間戻らなかったりと
コジモに「あんたなんか大嫌い!」の気持ちをアピールします。

ルイ14世はなんとかふたりの仲を修復しようとしましたが失敗、
1675年、マルゲリータは晴れてフランスに帰国することになりました。

              
                清楚に見えるんだけどね…

フランスに帰るとしばらくはチャリティーに精を出し、慈善団体に関わっていたのですが
すぐ飽きちゃったらしく放蕩生活に逆戻り…真っ赤なルージュとド派手なブロンドの鬘で
次から次へと相手の男性を変えていきました。

コジモは “ うちの妻が申し訳ない ” とルイ14世に釈明の手紙を出しています。
ルイ14世はおおいにコジモに同情したそうです。

その後もお金に困ってコジモや息子に泣きついたり
「修道院を焼き払ってやる」と言い放ったりして好き放題に生きていたマルゲリータですが
とうとうルイ14世の手にも余ったか、サン・マンデの修道院に入ることになりました。
ルイは心配だったのか従者を自ら選んで従わせています。

修道院でシュンとするかと思いきや、不摂生は相変わらずでした。
男性がいない寂しさをぶつけようと修道院のリフォームに着手、修道院長は蚊帳の外…

1712年、マルゲリータは卒中に襲われ健康が衰えるとパリへ帰ることが許されました。
その後は大人しくしてたのかしらね? 9年後に亡くなりました。

ひどい嫁に思えますが、コジモ3世も偏屈で狂信的であまり人気がない人だったみたい。
経済は悪化し市民には重い税金がかけられ、公国で初めて反ユダヤ政策がとられました。
うーむ、どちらにも味方できない困った夫婦ですな…

コジモ3世もパトロン・コレクターとして美術に熱を注いでいましたが
壮麗なものより繊細な方がお好みだったそうで

 
    カルロ・ドルチ 

などを好みました。

(参考文献 森田義之氏『メディチ家』 Wikipedia英語版)

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