まりっぺのお気楽読書

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プロイセン王フリードリヒ1世妃 ゾフィア・シャッロッテ

2009-11-01 00:25:27 | ドイツ系王妃
孤独を克服!多趣味な王妃
フリードリヒ1世妃 ゾフィア・シャルロッテ・フォン・ハノーファー


1668~1705/在位 1701~1705

ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの娘ゾフィアは
大英帝国王ジョージ1世の妹にあたります。
母はジョージ1世妃ゾフィア・ドロテア をいじめ抜いたことで悪名高いゾフィアです。

        

少女の頃、母娘のゾフィア・コンビはフランス王子との縁談という期待を胸に
フランスを訪れていましたが何事もおこらず、急遽計画を変更して
フリードリヒとの縁談がアレンジされました。

1688年に結婚し、1701年には夫の即位に伴って初代プロイセン王妃になりました。

フリードリヒ1世は、最初の妻同様ゾフィアと愛し合ったそうですが
フランス王ルイ14世を真似て公妾を宮殿内に住まわせるようになると
ゾフィアをないがしろにするようになります。

1696年、ゾフィアはシャルロッテンブルク宮殿を手に入れました。
愛情の証なのか、追っ払うためか分かりませんがフリードリヒが建ててくれたものです。

ゾフィアはシャルロッテンブルク宮殿の主として、夫から独立した生活を送ります。
フリードリヒも、ゾフィアも、お互い招かれた時にしか相手を訪ねませんでした。
たとえば、1699年にゾフィアはフリードリヒのお誕生パーティーを開いたのね。
フリードリヒはご招待されて、シャルロッテンブルク宮殿を訪れています。
夫婦で招待状の送り合い… せつないね。

ゾフィアは別居を始めると勉学に精を出して
フランス語・イタリア語・英語を習得しました。
1700年頃からは哲学や科学に興味を持ち、学者たちを侍らせて
プロイセン科学アカデミーも設立しました。

音楽にも傾倒します。
自らチェンバロを演奏し、唄い、演奏家を招いてイタリア・オペラを開催しました。
寂しさを酒や浪費ではなく、アカデミックな趣味で紛らわす… 賢明ですね。

ロシア皇帝ピョートル1世はヨーロッパ訪問中の1697年に
母と娘のゾフィア・コンビに会っています。
ピョートルはふたりに圧倒されて口も聞けなかったらしいですよ。
第一印象は「手におえない女」だったそうです。
その後仲良くなったみたいですけどね。

1705年、ゾフィアは肺炎で亡くなりました。36歳でした。

当時の寂しい王侯妃たちには、愛人に溺れたり精神のバランスを崩したりと
不幸な後半生を送る人も多いのですが、自分の生き方、生き甲斐を
しっかり持って生きたというのが立派ですね。
わかっちゃいるけどなかなかできる事ではありません。 見習いたい…

短い在位でしたが、芸術や科学に貢献した彼女にふさわしく
シャルロッテの名は、都市や池、学校などに遺されています。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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