フランス王妃からイングランド王妃へ
ヘンリー2世妃 エリナー・オブ・アキテーヌ
1122~1204/在位 (フランス王妃)1137~1152
(イングランド王妃)1154~1189
彼女、フランス王の3倍の領土を持ってました
だから、美しかったのかどうかは別にして求婚者多数だったようです。
そんな中から彼女が選んだのはフランス王太子ルイでした。
天も味方するというかなんというか、そのルイとの婚礼の日に
王であるルイ6世が亡くなり、エリナーはいきなりフランス王ルイ7世妃になります。
しかしながら、莫大な領土と富を持つ家庭のお嬢様として
贅沢三昧に育てられた彼女ですもの、案の定傲慢な女に成長しちまいまして
「欲しい物は欲しいのよ! やりたいことはやるのよ!」とばかりに行動したため
離婚する事になります。
(離婚理由は、当時の貴族お得意の『縁戚関係があったため』ですが
いったいこの時代、有力貴族で縁戚のない家なんてあるのかね?)
一番有名なエピソードは、初恋の人で叔父にあたるアンティオキア公に会いたいばっかりに
十字軍についていき、少しでもそばにいたいと駄々をこねて作戦まで変えようとしたこと。
アンティオキア公となにかあったかどうかは分かりませんが
これが二人の間の亀裂を大きくします。
でもさすがは広大な領土持ち
離婚後の彼女にも求婚は殺到し
結局離婚3ヶ月後にイングランド王候補、ヘンリーと再婚します。
一説には離婚に先立つ事3ヶ月ほど前、ヘンリーが臣従誓約のためフランスを訪れた際に
エリナーが見初めたといわれてますが、本当にそうだとしたら
アグレッシブな女性ですよね
では結婚後は?というと、世継ぎの男の子も次々と生まれたんですけど
広大な領土の譲渡を巡って二人の間に溝が生じ
家族間の争いからフランスを巻き込んでの抗争にまで発展します。
加えて11歳年下のヘンリー2世は愛人がいて、これが息子たちの反抗心を煽ったとも
いわれています。
有名な愛人はフェア・ロザモンドで、実在はしていましたが
エリナーが暗殺したというのは嘘みたいです。
ただ、ロザモンドの墓を掘り起こし遺棄したのは彼女の指示だったらしい。
おそろしいよぉ
ヘンリー2世が息子たちとの争いの心労から逝去した後は王母として長生きし
末弟で最愛の息子イングランド王リチャード1世の死後隠居して82歳で没しました。
ところで、当時の資料で残っているエリナーの肖像はコレ
上の肖像画とは似ても似つかないが、プリミティヴでいいですね。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』
桐生操氏『世界悪女大全』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
有名な歴史上の女性が満載
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ヘンリー2世妃 エリナー・オブ・アキテーヌ
1122~1204/在位 (フランス王妃)1137~1152
(イングランド王妃)1154~1189
彼女、フランス王の3倍の領土を持ってました
だから、美しかったのかどうかは別にして求婚者多数だったようです。
そんな中から彼女が選んだのはフランス王太子ルイでした。
天も味方するというかなんというか、そのルイとの婚礼の日に
王であるルイ6世が亡くなり、エリナーはいきなりフランス王ルイ7世妃になります。
しかしながら、莫大な領土と富を持つ家庭のお嬢様として
贅沢三昧に育てられた彼女ですもの、案の定傲慢な女に成長しちまいまして
「欲しい物は欲しいのよ! やりたいことはやるのよ!」とばかりに行動したため
離婚する事になります。
(離婚理由は、当時の貴族お得意の『縁戚関係があったため』ですが
いったいこの時代、有力貴族で縁戚のない家なんてあるのかね?)
一番有名なエピソードは、初恋の人で叔父にあたるアンティオキア公に会いたいばっかりに
十字軍についていき、少しでもそばにいたいと駄々をこねて作戦まで変えようとしたこと。
アンティオキア公となにかあったかどうかは分かりませんが
これが二人の間の亀裂を大きくします。
でもさすがは広大な領土持ち
離婚後の彼女にも求婚は殺到し
結局離婚3ヶ月後にイングランド王候補、ヘンリーと再婚します。
一説には離婚に先立つ事3ヶ月ほど前、ヘンリーが臣従誓約のためフランスを訪れた際に
エリナーが見初めたといわれてますが、本当にそうだとしたら
アグレッシブな女性ですよね
では結婚後は?というと、世継ぎの男の子も次々と生まれたんですけど
広大な領土の譲渡を巡って二人の間に溝が生じ
家族間の争いからフランスを巻き込んでの抗争にまで発展します。
加えて11歳年下のヘンリー2世は愛人がいて、これが息子たちの反抗心を煽ったとも
いわれています。
有名な愛人はフェア・ロザモンドで、実在はしていましたが
エリナーが暗殺したというのは嘘みたいです。
ただ、ロザモンドの墓を掘り起こし遺棄したのは彼女の指示だったらしい。
おそろしいよぉ
ヘンリー2世が息子たちとの争いの心労から逝去した後は王母として長生きし
末弟で最愛の息子イングランド王リチャード1世の死後隠居して82歳で没しました。
ところで、当時の資料で残っているエリナーの肖像はコレ
上の肖像画とは似ても似つかないが、プリミティヴでいいですね。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』
桐生操氏『世界悪女大全』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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私の勘違いかもしれませんが、彼女の名前は“黄金の鷲”みたいな意味が込められた名前らしいですね。読んだ本では、アリエノールは、その名前に相応しい見事な黄金の髪、エーゲ海はように真っ青な瞳、白皙の肌の持ち主で、外見は“ヨーロッパ1の美女”と詩人達に絶賛され、また、そのあまりの性的魅力ゆえに、聖職者達から敬遠されていたとも…
アリエノールは、莫大な財産と広大な領土を受け継いだ女公爵となり、彼女に求婚する者は引きも切らなかったらしく、(逆玉?)ルイ7世と若くして結婚したけれど、ルイは外見は良かったらしいけれど、敬虔過ぎる男性だったみたいで、奔放で、派手好みで、快活な彼女とは正反対で、“水と油”夫婦関係だったらしいですね。ルイと別れた後、アリエノールは、『あんな真面目で、地味な夫と別れてせいせいした、ルイは、“王”当時の言うよりも、聖職者だったのよ。』と侍女らに愚痴をこぼしていた、とされていますが、それプラス、美貌の叔父君との不義の噂等や十字軍の失敗、世継ぎができない、理由は数知れずあったのでしょうが…離婚して困ったのは、妻よりも権勢も財力も劣るルイの方で、アリエノールは痛くも痒くもなく、ルイのように真面目過ぎる男性にはウンザリしたのか、再婚相手は、ずっと年下の、精力溢れるような、自らに性質が似通った感じが魅力のヘンリー2世で、彼との間に、多くの子供、あれだけ欲しかった男児に多く恵まれ、しばらくの間は夫婦関係が良くて
(と言うより、多分、年上で、財産家だった妻が抑えていたらしいですが…)だけど、アリエノールが年を経て、力が衰えた為か、ヘンリーが愛人を囲うようになり、怒り狂ったアリエノールが息子達を唆し、国を巻き込んだ内乱を引き起こさせ、ヘンリーは、妻とりわけ、息子に裏切られたショックが大きかったみたいで、失意のうちに亡くなったらしいですね。身から出た錆とはいえ、気の毒ですね…ある作家は、アリエノールを“争いを自らの欲望を満たす為に引き起こす魔女”と毒づいていましたが、彼女の死後
彼女のフランスにある領土を巡って、末息子と元夫の息子が争い、更に後には、百年戦争勃発の理由のひとつになり、多くの民が亡くなり、もしもアリエノールがルイ7世の妻のままであったならば、百年戦争も起こらなかったかも…