![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/fd/d19e26c6f6d2a18846a2366e2e434c37.jpg)
肖像画がないので
ヴィオラの墓所ヴィッシー・ブロッド修道院
美しさが不幸のもとか?
ヴェンツェル妃 ヴィオラ・エルジェーベト
1291~1317/在位 (ハンガリー王妃)1305
(ボヘミア・ポーランド王妃)1305~1306
ハンガリー、ポーランド、ボヘミアとが入り乱れて各国の王位を争っていたこの次期
ハンガリーでは後継ぎの途絶えたアールパード朝から王位を継承しようと
少しでも血筋を引いた人々が激しく争っていましたが
結局ベーラ4世王女アンナを曾祖母に持つプシェミスル家の
ヴェンツェル(チェコ名ヴァーツラフ)が王位につくことになりました。
ヴィオラはヴェンツェルが王位についた年に結婚しました。
彼女はヴェンツェルの家臣チェシン公ミェシュコ1世の公女で
結婚は身分違いと言われましたが
なんでも、口では言い表せないほど美しかったらしい…肖像画が無くて残念です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/bf/f73c4e2fadc208096fb9bd52d5fb68cb.jpg)
ヴェンツェルは、ずっと婚約していたアンドラーシュ3世と王妃フェネンナの王女だった
エルジェーベトとの婚約を無効にしてヴィオラとの結婚に踏み切っています。
このためにハンガリーの王権を放棄したほどです。
しかし、ヴェンツェルはヴィオラの美しさだけに惹かれたわけでなく
チェシンが戦略的な位置にあったから彼女を選んだと言われています
…でもどーだかね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
どーにもこーにもボヘミア貴族たちとうまくいっていなかったヴァーツラフは
結婚から10ヶ月後、オロモウツで暗殺されてしまいました。
身分違いと言われ結婚を認められていなかったヴィオラは、お金も行くあてもなく
ヴァーツラフの姉のアンナとエリシュカがいる修道院に身をよせましたが
その後ボヘミア女王になったエリシュカによって貢ぎ物的に
有力貴族ペーテル・ローゼンブルクと再婚させられました。
ボヘミア女王は力のあるペーテルに取り入りたかったらしいのね。
けれどもヴィオラは再婚から1年後に亡くなります。
美しさは最大の武器になるかもしれないし、最大限に利用している女性もいるでしょうが
他人に利用されてばかりじゃ持っていても嬉しくもなんともないわね。
この方、少しは自分のために美しさを使ってみようと試みなかったのかしら?
無気力な美女よりは、悪女でも自分を利用しきった美女の方が素敵に思えたりします。
良妻薄命
ベーラ5世妃 カトリン・ハブスブルグ
1256~1282/在位せず
ヴェンツェルがハンガリー王位を放棄した後は、ベーラ4世とマリア・ラスカリズの王女
エルジェーベトを母に持つヴィッテルスバハ家のベーラ5世(バイエルン公オットー3世)が
王位を継ぎました。
でもこれは正式に受け入れられなかったようで、対立王と見なす説もあります。
カトリンはベーラ5世が王になる前の1279年に結婚しています。
カトリンはドイツ王ルドルフ5世の王女です。
力を持ち始めていたハプスブルク家は、この結婚でオットーに
4万ポンドの持参金を齎しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/97/c14f76e53e5856af5dd70d90ea89854b.jpg)
しかしカトリンは3年後、出産後の合併症で亡くなります。
生まれたのは双子の王子でしたが、ふたりともすぐに亡くなりました。
ベーラ5世はカトリンの死から23年という長ーいやもめ生活の末
グウォグフ公ハインリヒ3世の公女アグネスと再婚していますが
彼女のことは詳細がわかりません。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ヴィオラの墓所ヴィッシー・ブロッド修道院
美しさが不幸のもとか?
ヴェンツェル妃 ヴィオラ・エルジェーベト
1291~1317/在位 (ハンガリー王妃)1305
(ボヘミア・ポーランド王妃)1305~1306
ハンガリー、ポーランド、ボヘミアとが入り乱れて各国の王位を争っていたこの次期
ハンガリーでは後継ぎの途絶えたアールパード朝から王位を継承しようと
少しでも血筋を引いた人々が激しく争っていましたが
結局ベーラ4世王女アンナを曾祖母に持つプシェミスル家の
ヴェンツェル(チェコ名ヴァーツラフ)が王位につくことになりました。
ヴィオラはヴェンツェルが王位についた年に結婚しました。
彼女はヴェンツェルの家臣チェシン公ミェシュコ1世の公女で
結婚は身分違いと言われましたが
なんでも、口では言い表せないほど美しかったらしい…肖像画が無くて残念です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/bf/f73c4e2fadc208096fb9bd52d5fb68cb.jpg)
ヴェンツェルは、ずっと婚約していたアンドラーシュ3世と王妃フェネンナの王女だった
エルジェーベトとの婚約を無効にしてヴィオラとの結婚に踏み切っています。
このためにハンガリーの王権を放棄したほどです。
しかし、ヴェンツェルはヴィオラの美しさだけに惹かれたわけでなく
チェシンが戦略的な位置にあったから彼女を選んだと言われています
…でもどーだかね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
どーにもこーにもボヘミア貴族たちとうまくいっていなかったヴァーツラフは
結婚から10ヶ月後、オロモウツで暗殺されてしまいました。
身分違いと言われ結婚を認められていなかったヴィオラは、お金も行くあてもなく
ヴァーツラフの姉のアンナとエリシュカがいる修道院に身をよせましたが
その後ボヘミア女王になったエリシュカによって貢ぎ物的に
有力貴族ペーテル・ローゼンブルクと再婚させられました。
ボヘミア女王は力のあるペーテルに取り入りたかったらしいのね。
けれどもヴィオラは再婚から1年後に亡くなります。
美しさは最大の武器になるかもしれないし、最大限に利用している女性もいるでしょうが
他人に利用されてばかりじゃ持っていても嬉しくもなんともないわね。
この方、少しは自分のために美しさを使ってみようと試みなかったのかしら?
無気力な美女よりは、悪女でも自分を利用しきった美女の方が素敵に思えたりします。
良妻薄命
ベーラ5世妃 カトリン・ハブスブルグ
1256~1282/在位せず
ヴェンツェルがハンガリー王位を放棄した後は、ベーラ4世とマリア・ラスカリズの王女
エルジェーベトを母に持つヴィッテルスバハ家のベーラ5世(バイエルン公オットー3世)が
王位を継ぎました。
でもこれは正式に受け入れられなかったようで、対立王と見なす説もあります。
カトリンはベーラ5世が王になる前の1279年に結婚しています。
カトリンはドイツ王ルドルフ5世の王女です。
力を持ち始めていたハプスブルク家は、この結婚でオットーに
4万ポンドの持参金を齎しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/97/c14f76e53e5856af5dd70d90ea89854b.jpg)
しかしカトリンは3年後、出産後の合併症で亡くなります。
生まれたのは双子の王子でしたが、ふたりともすぐに亡くなりました。
ベーラ5世はカトリンの死から23年という長ーいやもめ生活の末
グウォグフ公ハインリヒ3世の公女アグネスと再婚していますが
彼女のことは詳細がわかりません。
(参考文献 Wikipedia英語版)