![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5c/7d4c26ccb49f72f8c8bc867434742e58.jpg)
こちらはブーディルじゃありませんで…
中世の巡礼者の女性でございます
至福の死を迎えたかもしれない
エーリク1世妃 ブーディル・サーゴッツダター
生年不詳~1103/在位 1095~1103
ブーディルはデンマークの伯爵Thrugotの娘さんです。
祖父はかなり有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者で
ガリシアウルフとして叙情詩にも登場している方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/68/72068960bfadc65c3dbde5888c2fe021.jpg)
1086年にはエーリクと結婚していました。
オーロフ1世の治世中は、夫婦共々スウェーデン宮廷に追放されていたらしいのだが
なんで兄弟仲がこう悪いかね?
やはり王位や命を狙われる危険を避けるためでしょうか?
ブーディルは美しいとともに人柄が大変善い人でした。
エーリク1世は浮気を繰り返していたのですが、ブーディルはとても寛大で
愛人の子供たちの教育まで引き受けたっていうんだから…ちょっとお人好しでは?
1100年頃、ふたりは皇帝に招かれてコンスタンティノープルに出かけ
イェレサレムまで巡礼をすることにしました。
しかしキプロスでエーリクが病にかかって亡くなります。
ブーディルは、たぶん自分も病にかかっていましたが王を葬ると旅を続けて
1103年、オリーブ山までたどり着き、そこで息絶えました。
王と聖地へ向かい、聖地で夫の後を追う…敬虔な信者にとっては
ありがたい最期だったんじゃないかしらね?
エーリクとブーディルの結婚は教会から祝福を受けていません。
法的には正式な妃ではないのです。
そのため長い間歴史に登場しなかったそうです。
孫のヴァルデマー1世は王になった時に
「ブーディルはエーリク1世の唯一の正妻だった」と宣言しましたけど
ま、孫はそう言うよね…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
(参考文献 Wikipedia英語版)
中世の巡礼者の女性でございます
至福の死を迎えたかもしれない
エーリク1世妃 ブーディル・サーゴッツダター
生年不詳~1103/在位 1095~1103
ブーディルはデンマークの伯爵Thrugotの娘さんです。
祖父はかなり有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者で
ガリシアウルフとして叙情詩にも登場している方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/68/72068960bfadc65c3dbde5888c2fe021.jpg)
1086年にはエーリクと結婚していました。
オーロフ1世の治世中は、夫婦共々スウェーデン宮廷に追放されていたらしいのだが
なんで兄弟仲がこう悪いかね?
やはり王位や命を狙われる危険を避けるためでしょうか?
ブーディルは美しいとともに人柄が大変善い人でした。
エーリク1世は浮気を繰り返していたのですが、ブーディルはとても寛大で
愛人の子供たちの教育まで引き受けたっていうんだから…ちょっとお人好しでは?
1100年頃、ふたりは皇帝に招かれてコンスタンティノープルに出かけ
イェレサレムまで巡礼をすることにしました。
しかしキプロスでエーリクが病にかかって亡くなります。
ブーディルは、たぶん自分も病にかかっていましたが王を葬ると旅を続けて
1103年、オリーブ山までたどり着き、そこで息絶えました。
王と聖地へ向かい、聖地で夫の後を追う…敬虔な信者にとっては
ありがたい最期だったんじゃないかしらね?
エーリクとブーディルの結婚は教会から祝福を受けていません。
法的には正式な妃ではないのです。
そのため長い間歴史に登場しなかったそうです。
孫のヴァルデマー1世は王になった時に
「ブーディルはエーリク1世の唯一の正妻だった」と宣言しましたけど
ま、孫はそう言うよね…
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(参考文献 Wikipedia英語版)