まりっぺのお気楽読書

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イングランド王チャールズ2世愛妾 ルーシー

2009-06-03 01:50:35 | 王の寵姫・愛妾
“メリー・モナーク・チャールズ ” の誕生
バーロウ夫人 ルーシー・ウォルター


1630~1658/愛妾 1648~1651

スペイン王家も現王ファン・カルロス1世のおばあ様で最終回を迎えましたので
ちょっと息抜きに王たちの愛妾なぞを…
愛妾…寵姫と言ったりもしますが、平たく言えば愛人ですね。
しかしなんといっても王様の愛人ですから~、おねだりするものがケタチガイです。

日本や古代中国の側室とは違って愛妾が生んだ子が王になることはまずありません。
いったいどのように王の愛と権力を掌中にしていったのでしょうね?

愛妾といえばフランスがお盛んな印象ですが、他の国の王様も負けてはいません。
まずはイングランドの勇、チャールズ2世の愛妾にいってみたいと思います。

名高い愛妾だけでも13人は下らないというチャールズ2世が愛した女性たち、
いったい何人あったもんだか分かりゃしませんが “ メリー・モナーク(陽気な王様)” と
呼ばれたチャールズ2世の、初めての愛人がルーシー・ウォルターでした。
チャールズは18歳で独身でしたから愛人というのも変な話ですが
確実にお妃候補ではなかったのでそう呼ばせていただくことにします。

ルーシーの父親ウィリアム・ウォルターは王党派の貴族で、クロムウェル親子時代には
チャールズとともに国外へ亡命していました。

     

ルーシーは14歳の時オランダでロバート・シドニー大佐の愛人になり
17歳の時パリで、王党派議員アルジャーノン・シドニーの愛人になります。
アルジャーノンとロバートは兄弟です、名実共に…
チャールズにはシドニー大佐から紹介されてすぐに愛人になったようです。
王家の出とはいえ亡命の身、イングランド王になれるかどうかも定かではありませんから
ある意味賭けではありますね。

ジョン・エヴリンという人の日記によると、ルーシーは “ 図々しく退屈な女 ” だけど
野性美があったみたいです。 女豹タイプかしら?
バーロウ夫人というのは、彼女が「こう呼んでちょうだい」と言った名らしいですけど
詳しいことは分かりません。

チャールズとルーシーの関係は3年ほどで終わりました。
ルーシーは1649年に、後に王位を継がせようと議会が考えるマンマス公ジェイムスを
生んでいますけど、チャールズは「俺の子?」と疑ったそうです。
1651年にはメアリーという女の子が生まれましたが、父親はアーリントン伯ヘンリーか
カーリングフォード伯テオバルトと言われていて、これを機にふたりは別れたみたいです。

後年は手当たり次第だったチャールズも、まだウブだったのでしょうか?
相手が他の男と…っていうのが許せなかったなんて。
うがった見方をすれば、1649年にスコットランド王になっているので
もっと上流階級の女性を相手にしたくなったのかも…だとしたら失礼なっ

この後ルーシーはすさんだ生活を送り困窮したといわれています。
死因ははっきりしていませんが、28歳の若さでパリで亡くなりました。

美しくてモテモテなうちは社交界も楽しいでしょうが、人は年をとるのでね…
容姿だけではない何かをアピールしておかなくちゃね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』 Wikipedia英語版)

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