こちらは偽ドミトリー妃マリーナです
夫の運命に左右された人生
ボリス・ゴドノフ妃 マリーヤ・グレゴリエヴナ・スクラトヴァ
?~1605/在位 1598~1608
ボリス・ゴドノフは政治手腕で台頭して議会で推挙され皇帝になりました。
結婚は皇帝になる前の1570年頃でした。
1605年にボリスが急死すると息子のフョードル2世が即位したのですが
2ヶ月後に偽ドミトリーに殺害されました。
ボリスの治世後半は、貴族を優遇し農奴制を進めたために農民の不満がたかまり
飢饉や伝染病も流行ったことで、不当に皇位を奪った呪いだと囁かれていました。
そこへ現れたのが偽ドミトリーで、優遇されていたはずの貴族まで手のひら返しで
彼の側についてしまったのです。
マリーヤも息子とともに殺害されてしまいました。
野心のためならなんでもこい!
偽ドミトリー1世妃 マリーナ・ムニーシェフヴナ
1588~1614/在位 1606
名前の前に堂々と “ 偽 ” とついているのがすごいんですけど…
どうやらポーランド貴族の息子らしいです。
彼の主張は「ボリス・ゴドノフが刺客を差し向けた時誤って遊び友達を殺した。
自分は逃げのびた」というものでした。
偽ドミトリーはフョードル2世の姉クセニヤを無理矢理愛妾にしましたが
5ヶ月ほどで捨てて、かねてから恋心を寄せていたマリーナと結婚しました。
マリーナは偽ドミトリーの参謀だったポーランド貴族の娘です。
彼女はカトリックでしたがロシア正教に改宗することなく
結婚してモスクワに乗り込んで来る時もポーランド様式の花嫁衣装に身を包んでいたため
ロシア国民たちの反感をかってしまいます。
その後も夫婦揃って万事ポーランド式で暮らしていたそうで
ロシア国民は「やっぱり本物のドミトリーじゃないんじゃないの?」と騒ぎだし
マリーナがモスクワにやって来てからわずか2週間後にはシェイスキー主導の反乱軍に
攻め込まれて退位させられてしまいました。
偽ドミトリーは処刑され、マリーナはポーランドに逃げ帰ったのですが
ロシア皇帝の義父の座に未練がある彼女の父イェジー・ムニーシェフの差し金で
偽ドミトリー2世なる人物と再婚したりしています。
(偽ドミトリー1世と2世は同一人物だという、わけ分かんない説もあったりする…
マリーナが「皇帝は救済された」と承認したそうです)
1610年にイヴァン・ザルツキーというコサック隊長と再婚したようです。
ザルツキーは1611年に生まれたマリーナの子イヴァンをドミトリーの息子だと言って
皇帝の座につけようとしましたが、これはうまくいきませんでした。
3人が身を寄せていたアストラハンでは、偽物を逮捕しようとする動きが高まって
頼みのコサックにも見放され、1614年に政府に引き渡されてしまいます。
ザルツキーと3歳の息子イヴァンは処刑され、マリーナはその後獄中で亡くなりました。
野心満々だったと言われ魔女よばわりされている女性ですけど
まわりの男性たちがいいように利用したんじゃないかという気がします。
確かに空気は読めていなかったようだが…
この時期のロシアは激動しているので誰がどう悪い…とは一概に言えないんですけどね。
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
夫の運命に左右された人生
ボリス・ゴドノフ妃 マリーヤ・グレゴリエヴナ・スクラトヴァ
?~1605/在位 1598~1608
ボリス・ゴドノフは政治手腕で台頭して議会で推挙され皇帝になりました。
結婚は皇帝になる前の1570年頃でした。
1605年にボリスが急死すると息子のフョードル2世が即位したのですが
2ヶ月後に偽ドミトリーに殺害されました。
ボリスの治世後半は、貴族を優遇し農奴制を進めたために農民の不満がたかまり
飢饉や伝染病も流行ったことで、不当に皇位を奪った呪いだと囁かれていました。
そこへ現れたのが偽ドミトリーで、優遇されていたはずの貴族まで手のひら返しで
彼の側についてしまったのです。
マリーヤも息子とともに殺害されてしまいました。
野心のためならなんでもこい!
偽ドミトリー1世妃 マリーナ・ムニーシェフヴナ
1588~1614/在位 1606
名前の前に堂々と “ 偽 ” とついているのがすごいんですけど…
どうやらポーランド貴族の息子らしいです。
彼の主張は「ボリス・ゴドノフが刺客を差し向けた時誤って遊び友達を殺した。
自分は逃げのびた」というものでした。
偽ドミトリーはフョードル2世の姉クセニヤを無理矢理愛妾にしましたが
5ヶ月ほどで捨てて、かねてから恋心を寄せていたマリーナと結婚しました。
マリーナは偽ドミトリーの参謀だったポーランド貴族の娘です。
彼女はカトリックでしたがロシア正教に改宗することなく
結婚してモスクワに乗り込んで来る時もポーランド様式の花嫁衣装に身を包んでいたため
ロシア国民たちの反感をかってしまいます。
その後も夫婦揃って万事ポーランド式で暮らしていたそうで
ロシア国民は「やっぱり本物のドミトリーじゃないんじゃないの?」と騒ぎだし
マリーナがモスクワにやって来てからわずか2週間後にはシェイスキー主導の反乱軍に
攻め込まれて退位させられてしまいました。
偽ドミトリーは処刑され、マリーナはポーランドに逃げ帰ったのですが
ロシア皇帝の義父の座に未練がある彼女の父イェジー・ムニーシェフの差し金で
偽ドミトリー2世なる人物と再婚したりしています。
(偽ドミトリー1世と2世は同一人物だという、わけ分かんない説もあったりする…
マリーナが「皇帝は救済された」と承認したそうです)
1610年にイヴァン・ザルツキーというコサック隊長と再婚したようです。
ザルツキーは1611年に生まれたマリーナの子イヴァンをドミトリーの息子だと言って
皇帝の座につけようとしましたが、これはうまくいきませんでした。
3人が身を寄せていたアストラハンでは、偽物を逮捕しようとする動きが高まって
頼みのコサックにも見放され、1614年に政府に引き渡されてしまいます。
ザルツキーと3歳の息子イヴァンは処刑され、マリーナはその後獄中で亡くなりました。
野心満々だったと言われ魔女よばわりされている女性ですけど
まわりの男性たちがいいように利用したんじゃないかという気がします。
確かに空気は読めていなかったようだが…
この時期のロシアは激動しているので誰がどう悪い…とは一概に言えないんですけどね。
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
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