![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/98/e2b02d7957641de86fa748493e214d09.jpg)
名ばかりの女王
ジグモンド1世妃、ハンガリー女王 マリア
1371~1395/在位 1382~1385、1386~1395
ハンガリー、ポーランド、ボヘミアが激動の時代を迎えていたわけなのですが
ラヨシュ1世と王妃エルジェーベトの間には、3人の王女しか生まれませんでした。
姉カタリンが8歳で夭逝すると、マリアは7歳で王太子になり
10歳の時に女王に即位しました。
即位前に父王ラヨシュ1世の意向で、ルクセンブルク家のジグモンドと婚約します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/1e/a7df13a194c2ea74c7335b60f5c1afdd.jpg)
ハンガリー国内も反マリアの声は大きかったわけですが
もうひとつの王位継承権を持つポーランドではなお一層の反発がおきていました。
そこでポーランド王座は妹のヤドヴィカにお願いすることにいたしました。
さて、ハンガリーの統治ですが、マリア女王とは名ばかり(だって10歳だし… )
事実上母后エルジェーベトとブラチスラヴァ伯ミクローシュ1世が仕切っていました。
若い母親摂政と有力貴族の組み合わせ…波紋を呼びそうですね。
有力貴族たちはマリアの親戚筋にあたるナポリ王カルロ3世を王にしようと考えました。
カルロ3世も同意してハンガリーへ侵攻し、1385年、カーロイ2世として即位しましたが
翌年母后エルジェーベトにより暗殺されます。
マリア女王はこの年にジグモンドと結婚します。
女王の結婚も貴族たちには気に入らず反乱はおさまりません。
翌年マリアは母后ともども捕らえられ、まずはカーロイ2世の未亡人マルゲリータの
ご機嫌取りのためナポリに送られ、その後ノビグラードに投獄されます。
翌年、母后エルジェーベトが目の前で殺害されます。
マリアはかろうじて夫ジグモンドに救出されました。
ハンガリーに戻ったマリアですが、やはり彼女は飾り物にすぎず
共治王となったジグモンドがひとりでハンガリーを治めていたようです。
24歳の時、マリアは懐妊しましたがとても苦しい出産でそのまま亡くなりました。
子供も助かりませんでした。
マリア女王の儚い人生…
幼くして女王になる女性の悲劇の典型を見せていただいたような感じですね。
詳しくはナポリ王妃の時に・・・
ハンガリー王カーロイ2世妃 マルギット・ナーポリ
1347~1412/在位 (ナポリ王妃)1382~1386
(ハンガリー王妃)1385~1386
マリア女王が即位すると、反対派貴族は親戚筋にあたるナポリ王カルロ3世を
擁立しようとします。
野心満々のカルロ3世は要請を受けてハンガリーへ侵攻し
カーロイ2世として即位しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/85/e81fe4e591ef377fef8f4721b1d79962.jpg)
しかしだまっちゃいなかったのはマリア女王の母后エルジェーベトで
カーロイ2世は彼女によって殺害されました。
未亡人となったマルギットは、カーロイ2世とはいとこ同士、マリア女王とも親戚です。
カーロイ2世との結婚は22歳と(当時では)晩婚で、カーロイが殺されたのは
結婚生活17年目でした。
マルギットはぜっっったいにエルジェーベトを許すことができませんでした。
マリア女王とエルジェーベトが捕らえられた時、処刑を強く主張したのは彼女です。
その後は息子ラディズラーズ1世の摂政になります。
詳しくはナポリ王の時に…ってことで
(参考文献 Wikipedia英語版)
ジグモンド1世妃、ハンガリー女王 マリア
1371~1395/在位 1382~1385、1386~1395
ハンガリー、ポーランド、ボヘミアが激動の時代を迎えていたわけなのですが
ラヨシュ1世と王妃エルジェーベトの間には、3人の王女しか生まれませんでした。
姉カタリンが8歳で夭逝すると、マリアは7歳で王太子になり
10歳の時に女王に即位しました。
即位前に父王ラヨシュ1世の意向で、ルクセンブルク家のジグモンドと婚約します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/1e/a7df13a194c2ea74c7335b60f5c1afdd.jpg)
ハンガリー国内も反マリアの声は大きかったわけですが
もうひとつの王位継承権を持つポーランドではなお一層の反発がおきていました。
そこでポーランド王座は妹のヤドヴィカにお願いすることにいたしました。
さて、ハンガリーの統治ですが、マリア女王とは名ばかり(だって10歳だし… )
事実上母后エルジェーベトとブラチスラヴァ伯ミクローシュ1世が仕切っていました。
若い母親摂政と有力貴族の組み合わせ…波紋を呼びそうですね。
有力貴族たちはマリアの親戚筋にあたるナポリ王カルロ3世を王にしようと考えました。
カルロ3世も同意してハンガリーへ侵攻し、1385年、カーロイ2世として即位しましたが
翌年母后エルジェーベトにより暗殺されます。
マリア女王はこの年にジグモンドと結婚します。
女王の結婚も貴族たちには気に入らず反乱はおさまりません。
翌年マリアは母后ともども捕らえられ、まずはカーロイ2世の未亡人マルゲリータの
ご機嫌取りのためナポリに送られ、その後ノビグラードに投獄されます。
翌年、母后エルジェーベトが目の前で殺害されます。
マリアはかろうじて夫ジグモンドに救出されました。
ハンガリーに戻ったマリアですが、やはり彼女は飾り物にすぎず
共治王となったジグモンドがひとりでハンガリーを治めていたようです。
24歳の時、マリアは懐妊しましたがとても苦しい出産でそのまま亡くなりました。
子供も助かりませんでした。
マリア女王の儚い人生…
幼くして女王になる女性の悲劇の典型を見せていただいたような感じですね。
詳しくはナポリ王妃の時に・・・
ハンガリー王カーロイ2世妃 マルギット・ナーポリ
1347~1412/在位 (ナポリ王妃)1382~1386
(ハンガリー王妃)1385~1386
マリア女王が即位すると、反対派貴族は親戚筋にあたるナポリ王カルロ3世を
擁立しようとします。
野心満々のカルロ3世は要請を受けてハンガリーへ侵攻し
カーロイ2世として即位しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/85/e81fe4e591ef377fef8f4721b1d79962.jpg)
しかしだまっちゃいなかったのはマリア女王の母后エルジェーベトで
カーロイ2世は彼女によって殺害されました。
未亡人となったマルギットは、カーロイ2世とはいとこ同士、マリア女王とも親戚です。
カーロイ2世との結婚は22歳と(当時では)晩婚で、カーロイが殺されたのは
結婚生活17年目でした。
マルギットはぜっっったいにエルジェーベトを許すことができませんでした。
マリア女王とエルジェーベトが捕らえられた時、処刑を強く主張したのは彼女です。
その後は息子ラディズラーズ1世の摂政になります。
詳しくはナポリ王の時に…ってことで
(参考文献 Wikipedia英語版)