まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王ウラースロー2世妃 アンヌ

2010-10-09 23:59:16 | ハンガリー王妃
ハンガリー王家、最後の救世主
ウラースロー2世妃 アンヌ・カンダレ


1484~1506/在位 1502~1506

ボルバーラとベアトリクスの二人の王妃と離婚していて
その上嫡子のないウラースロー2世は焦ります。

ベアトリクスとの離婚の時に、離婚が成立していないと主張していた
最初の妃ボルバーラはすでに38歳、てなわけで復縁しませんでした。
離婚してないって言ってたくせに…

ウラースロー2世が求婚したのは、フォワ家のカンダル伯ガストンの娘アンヌでした。

アンヌはブロワの宮廷で大きくなり、フランス王の甥にあたるロングヴィル公とは
愛し合う仲だったそうです。
ロングヴィル公はアンヌと結婚するつもりだったのに
ウラースローのせいでふたりは別れることになりました。

ちなみにアンヌ16歳、ウラースロー44歳… 一般的に見ればすっっごく可哀想。

         
ふたりは1502年にフランス宮廷で結婚式を挙げてハンガリーへ向かいました。

途中ヴェネツィアでものすごい祝典が催されたそうなのですが
この代金の支払いをめぐってフランスとハンガリーが諍いとなる…という
情けないエピソードも

年の差にもかかわらず、ウラースローとアンヌは友人のようで
夫婦の仲は良かったらしい…
フランスから相談役や宮廷人を連れて行っていたアンヌは良き相談相手でもありました。

しかも王女アンナに続いて、1506年、待望の王子ラヨシュが生まれて
アンヌはハンガリーで人気者になります。
彼女もそんな生活をとても楽しんでいたのですが、どうしたことか
急に健康が衰え始め、1ヶ月もしないうちに亡くなってしまいました。

昔はベッドや医者の服、医療器具など、衛生面がずさんだったことから
出産による死亡が多かったと言うことですが、王家なんだから…少し気を遣おうか?

ハンガリーの将来を担う王子の成長を見届けたかったでしょうし
彼女が長生きして摂政でもしていれば、ハンガリーの行く末は違ったかもしれません。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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