まりっぺのお気楽読書

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ロシア皇帝パーヴェル妃 マリーヤ

2009-07-11 02:31:29 | ロシア皇妃
深い愛を捧げた皇妃
パーヴェル妃 マリーヤ・フョードロヴナ


1759~1828/在位 1796~1801

醜いというレッテルを貼られ前妻ナタリヤにはすぐに愛想をつかされてしまった
パーヴェルなんですけれども、見る人によってはぜんぜん違ったようで
再婚したマリーヤは終生彼にメロメロでした。

改名前はゾフィー・ドロテアといって、ヴェルテンブルク公の娘です。
パーヴェルがナタリヤと結婚した時お妃候補にあがっていたのですが
13歳という若さだったので外されていました。
      

ナタリヤが亡くなってからパーヴェルは嘆き悲しんでばかりいたのですが
エカチェリーナ2世がさっさと再婚相手を選び結婚させてしまいました。

ゾフィーは背が高くぽっちゃりしていて、ホッペタの赤い健康そのものの少女でした。
かなり高い教育を受けていて4カ国語が操れ、芸術にも造詣が深かったそうです。

パーヴェルは第一印象で「でっかいけど、まあまあかな」などと生意気なことを
言っていますが、ゾフィーはものすごく気に入ったらしく
友人への手紙で“ 満足なんてものじゃない ” “ こんなに幸せなことはない
“ 狂おしいほど愛している ” と喜びををあらわにしています。
1788年に結婚した後も家族や友人に “ 完璧な夫だ ” とか
“ これ以上優しい夫があるだろうか” とおノロけ三昧の手紙を送っています

パーヴェルはちょっと気に入らないことがあると烈火の如く怒りだすという
扱いづらい人だったらしいのですが
マリーヤはそんな夫を敬い夫婦仲はかなりうまくいっていました。
ただそんなラヴラヴなふたりの結婚生活にも問題が…

祖母エリザヴェータに育てられたパーヴェルとエカチェリーナ2世とはあまり
会うことがなく、愛情深い母子ではありませんでした。
また、息子の方が正統な継承者だということを重々承知していたエカチェリーナ2世は
パーヴェルへの警戒を怠らず、手ずから教育していた孫のアレクサンドルを
継承者に指名しようか…などと考えるようになっていました。

パーヴェルは次第に母エカチェリーナ2世を憎むようになり
マリーヤはふたりの板挟みになってしまうような格好に…やっかいですよね。
その上、こんなに熱愛してくれる妻を持ちながらパーヴェルが浮気を始めました。
アンナ・プローヒナを愛妾にしたパーヴェルはマリーヤを遠ざけるようになります。

1796年にエカチェリーナ2世が崩御しパーヴェルが即位すると
新皇帝はことごとく前女帝の政策を転換しようとします。
自分たちの特権が危うくなった貴族たちは反感を強めていきます。
パーヴェルは神経質になり濠を廻らした館を建てて身の安全を図りましたが
1801年、クーデターがおこり殺害されてしまいました。

マリーヤはエカチェリーナ2世のように自分が煽動したわけではないのですが
パーヴェルを継いで女帝になってみようかな…などと考えます。
しかしこれは息子アレクサンドルの反対にあい実現しませんでした。

アレクサンドル1世が即位した後も、マリーヤは宮廷で最も高貴な女性として
振る舞うことを望み、皇妃エリザヴェータよりしゃしゃり出ることがあったようです。
多額の年金をもらって豪奢な生活も維持することができました。
いつまでも若々しく見えたそうですよ。 65歳で亡くなりました。

              
                貫禄が出てきた頃でしょうか?

政略結婚で好きでもない男性に嫁がされて失意の一生を送る貴婦人が多い中
相手をひと目みるなり恋に落ちることができたなんて、とても幸せなことですね。
しかも一生その気持ちが変わらないなんて…なかなかできることじゃない!
恋愛結婚でもそうはいかないものよ

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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ドイツの公女 (12このめがね)
2010-01-14 12:37:35
姑エカテリーナから見れば子供を沢山産んでくれる嫁としか見ていなかったようで、そう、こんな人だったのか、こんな生涯だったのかとわかりました。パーヴェルは母に疎まれても受け入れてくれる人がいたのであれば善良な部分もあるわけで、
殺されなければ良い政治も出来たでしょうにと思いました。
こんばんわ (まりっぺ)
2010-01-17 01:09:23
王様は世襲のせいか、君主に相応しくない人が登場しても仕方がないですよね。
ロシアは暗殺や幽閉された皇帝が続いていましたから、お互いが疑心暗鬼になってしまったかもしれませんよね。
せめて自分を熱愛してくれる奥さんがいただけ幸せだったかもしれません。

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