![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/80/66107e01853dae866f7d95016d5eb37a.jpg)
自称皇后
ヴィルヘルム2世妃 ヘルミーネ・ロイス
1887~1948/在位せず
父親は現在のチューリンゲン地方を治めていたグランツ=ロイス公子ハインリヒ22世で
20歳の時にシューナイヒ・カロラート公子ヨーハン・ゲオルクと結婚しました。
夫は14歳年上で、13年後に亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/97/6dd952b47596ca74d9eb706f302dbf59.jpg)
1922年、ヘルミーネの息子がヴィルヘルムにお誕生日のお祝いを送ったのね。
亡命中のヴィルヘルムは嬉しかったのか息子を母親とともに
オランダのドールンに招待しました。
もう、誰? 「息子Good Job! 」とか言うのは?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp31.gif)
前年にアウグスタを亡くしていたヴィルヘルム(この時63歳)は
2年前に夫を亡くしていたヘルミーネ(この時34歳)にすぐに惹かれて
彼女との交際を非常に楽しみました。
ヴィルヘルムはすぐにヘルミーネとの再婚を決意しちゃったそうで
子供たちや支援者たちの軽蔑もなんのそのでその年のうちに再婚してしまいました。
でもその後ヴィルヘルムが亡くなるまで仲睦まじく暮らしたということです。
良かったですね。
ところで、ドイツ共和国はヴィルヘルムを戦争犯罪人として引き渡すように
申し入れたそうですが、オランダ政府は断固拒否したんですって。
オランダのおかげで幸せな晩年があったと言えますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/2a/c469fb5c7da14aa231d37d7296dce4ec.jpg)
ヴィルヘルム2世とヘルミーネと連れ子のヘンリエッテ
お幸せそうでなによりです
亡命政府内では、たぶんそう呼ばれていたのかもしれないけれど
ふたりは『皇帝』『皇后』と呼び合っていたらしいよ。
しかしドイツ国内はナチスが治めており、返り咲く可能性はなかったと思うんですけどね。
ヘルミーネは1927年に『亡命中の皇后(直訳)』という本を書いてますけど…
1941年、ヴィルヘルムが亡くなるとヘルミーネは前夫の領地シュレージエンに帰り
6年後に亡くなりました。
ヴィルヘルムの前妃アウグスタも埋葬されている、ポツダム宮殿近くの
アンティーク寺院に埋葬されました。
ちなみに、上の写真に写っているヘルミーネの連れ子のヘンリエッテは
ヴィルヘルムの孫フランツ・ヨーゼフと結婚しています。
(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』 Wikipedia英語版)
ヴィルヘルム2世妃 ヘルミーネ・ロイス
1887~1948/在位せず
父親は現在のチューリンゲン地方を治めていたグランツ=ロイス公子ハインリヒ22世で
20歳の時にシューナイヒ・カロラート公子ヨーハン・ゲオルクと結婚しました。
夫は14歳年上で、13年後に亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/97/6dd952b47596ca74d9eb706f302dbf59.jpg)
1922年、ヘルミーネの息子がヴィルヘルムにお誕生日のお祝いを送ったのね。
亡命中のヴィルヘルムは嬉しかったのか息子を母親とともに
オランダのドールンに招待しました。
もう、誰? 「息子Good Job! 」とか言うのは?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp31.gif)
前年にアウグスタを亡くしていたヴィルヘルム(この時63歳)は
2年前に夫を亡くしていたヘルミーネ(この時34歳)にすぐに惹かれて
彼女との交際を非常に楽しみました。
ヴィルヘルムはすぐにヘルミーネとの再婚を決意しちゃったそうで
子供たちや支援者たちの軽蔑もなんのそのでその年のうちに再婚してしまいました。
でもその後ヴィルヘルムが亡くなるまで仲睦まじく暮らしたということです。
良かったですね。
ところで、ドイツ共和国はヴィルヘルムを戦争犯罪人として引き渡すように
申し入れたそうですが、オランダ政府は断固拒否したんですって。
オランダのおかげで幸せな晩年があったと言えますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/2a/c469fb5c7da14aa231d37d7296dce4ec.jpg)
ヴィルヘルム2世とヘルミーネと連れ子のヘンリエッテ
お幸せそうでなによりです
亡命政府内では、たぶんそう呼ばれていたのかもしれないけれど
ふたりは『皇帝』『皇后』と呼び合っていたらしいよ。
しかしドイツ国内はナチスが治めており、返り咲く可能性はなかったと思うんですけどね。
ヘルミーネは1927年に『亡命中の皇后(直訳)』という本を書いてますけど…
1941年、ヴィルヘルムが亡くなるとヘルミーネは前夫の領地シュレージエンに帰り
6年後に亡くなりました。
ヴィルヘルムの前妃アウグスタも埋葬されている、ポツダム宮殿近くの
アンティーク寺院に埋葬されました。
ちなみに、上の写真に写っているヘルミーネの連れ子のヘンリエッテは
ヴィルヘルムの孫フランツ・ヨーゼフと結婚しています。
(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』 Wikipedia英語版)