呪われた血筋を持つ
シャルル5世妃 ジャンヌ・ド・ブルボン
1338~1378/在位 1364~1378
シャルル5世は、皇太子時代の12歳の時、同じ年のジャンヌと結婚します。
“ 賢明王 ” といわれるシャルル5世は、見た目は小さな頃煩った病のせいで
決して “ 見目麗しい ” 王ではありませんでしたが、財政や経済に通じていて
まれに見る知能の持ち主だったと言われています。
一方、ジャンヌはブルボン家の出身ですが、祖父の初代ブルボン公ルイ1世
父のピエール1世、兄のルイ2世などは、なんらかの精神疾患を持っていて
ジャンヌもその不幸な血を受け継いでいたと思われます。
ジャンヌの精神疾患は7人目の子が生まれた頃からその兆候が強くなりました。
9人の子供が生まれましたが、その中の7人が10歳になるまでに夭折し
成人したのは後のシャルル6世とオルレアン公ルイだけでした。
不幸なことに、シャルル6世はジャンヌから呪わしい血を受け継いでしまい
“ 狂気王 ” といわれた彼のもと、フランスは内戦に陥ります。
ジャンヌは9人目の子、王女カトリーヌを出産した時に亡くなりました。
実は陣痛の最中に風呂に入りたいと言いだし、医者の忠告も聞かず
こっそり入浴したことが原因でした。
その直後カトリーヌは無事生まれたものの、ジャンヌは命を落とします。
シャルル5世はこの知らせを聞くと大変な打撃を受け、2年後に亡くなるまで
完全に回復することはありませんでした。
ジャンヌの精神疾患がどの程度のものかは分かりませんが、非道な王が多い中
愛を注いでくれた王が側にいる幸せを理解することはできたのでしょうか?
理解できていたらいいなぁ…
残されている銅像などは2人の仲睦まじさが表れているように見えるんですけど。
(参考文献 Wikipedia英語版)
シャルル5世妃 ジャンヌ・ド・ブルボン
1338~1378/在位 1364~1378
シャルル5世は、皇太子時代の12歳の時、同じ年のジャンヌと結婚します。
“ 賢明王 ” といわれるシャルル5世は、見た目は小さな頃煩った病のせいで
決して “ 見目麗しい ” 王ではありませんでしたが、財政や経済に通じていて
まれに見る知能の持ち主だったと言われています。
一方、ジャンヌはブルボン家の出身ですが、祖父の初代ブルボン公ルイ1世
父のピエール1世、兄のルイ2世などは、なんらかの精神疾患を持っていて
ジャンヌもその不幸な血を受け継いでいたと思われます。
ジャンヌの精神疾患は7人目の子が生まれた頃からその兆候が強くなりました。
9人の子供が生まれましたが、その中の7人が10歳になるまでに夭折し
成人したのは後のシャルル6世とオルレアン公ルイだけでした。
不幸なことに、シャルル6世はジャンヌから呪わしい血を受け継いでしまい
“ 狂気王 ” といわれた彼のもと、フランスは内戦に陥ります。
ジャンヌは9人目の子、王女カトリーヌを出産した時に亡くなりました。
実は陣痛の最中に風呂に入りたいと言いだし、医者の忠告も聞かず
こっそり入浴したことが原因でした。
その直後カトリーヌは無事生まれたものの、ジャンヌは命を落とします。
シャルル5世はこの知らせを聞くと大変な打撃を受け、2年後に亡くなるまで
完全に回復することはありませんでした。
ジャンヌの精神疾患がどの程度のものかは分かりませんが、非道な王が多い中
愛を注いでくれた王が側にいる幸せを理解することはできたのでしょうか?
理解できていたらいいなぁ…
残されている銅像などは2人の仲睦まじさが表れているように見えるんですけど。
(参考文献 Wikipedia英語版)