肖像画がありませんのでね…
まずは当時のスウェーデンのチェスのQueenです
万事はっきりしない王妃
エリク勝利王妃 エーダ・ホーコンスドッテル
生没年不詳/在位 不詳
スウェーデン…資料と家系図はでき上がっていたんですけど、なかなか踏み切れなかったのは
デンマーク同様、名前と地名が読めませんのじゃ
なるべく調べましたが、わからないものはアルファベット読み・そのまま表記という
手抜きをしています。
間違っていたら教えて下さい、随時訂正いたします。
どこの国もそうですが、国ができたばかりの頃は王の入れ替わりが激しいです。
しかし、スウェーデンは輪をかけて在位期間が短い気がします。
ですので、王妃のエピソードもあまりないんですよねぇ…
まずは、エリク6世とも言われますが、初代王とされているエリク勝利王の妃エーダから。
エーダは、ノルウェーを事実上支配していたヤール(副王)ホーコン・シグルソンの
娘ですが、それ以外は何から何までわかりません。
エリク王が、後にデンマーク王スヴェン1世妃になったシグリドと結婚しておきながら
その後で結婚した相手らしいです。
重婚ってことになりますね? 愛妾だった可能性も高いです。
スウェーデン初、洗礼を受けた王妃
オーロフ・シュートコヌング妃 エストリド・アヴ・オボトリテルナ
979頃~1022/在位 1000~1022
エストリドはオボトリテスの族長の娘で、言い伝えによりますと
メクレンブルク地方から戦利品としてスウェーデンに連れてこられたらしいです。
エストリドの持参金(賠償金かもね)は莫大なもので、スウェーデンは
スラブ西部を手に入れることができました。
北欧では、9世紀初頭からキリスト教への改宗が始まりつつありました。
1008年、オーロフはエストリドや家族たちと、英国人宣教師から洗礼を受けましたが
これがスウェーデン王初の洗礼だと言われています。
さて、故郷から連れ去られて可哀想な気もするエストリドですが、実は…
オーロフにはエストリドと同郷のエドラという愛妾がいました。
二人のあつかいはまったく分け隔てなく、子供も同じように生まれたのですが
どちらかを王妃に…という時になって、オーロフはエストリドを選びました。
実家の力の違いでしょうかね?
エストリドは、エドラが生んだ子供たちに対してとても冷酷でした。
あまりにも意地悪なので、オーロフはエドラとの息子エームンド(後の王)を
バルト海沿岸のベントラントに避難させたほどです。
暗殺…なんてぇことも考えられるものね。
それから態度がでっかく、派手好きで贅沢好み、召使いにはガミガミ言ったそうです。
あまり同情できないですね。
むしろ連れてこられて嬉しかったんじゃ…とさえ思えちゃう。
オーロフの死後どうしていたのか詳しいことがわかりません。
息子アーヌンド・ヤーコブが王に即位してますんで
母后として宮廷で幅をきかせていたのではないかしら。
ちなみにアーヌンド・ヤーコブという名前はスカンジナビア系ではなくて
国民から不評だったということでございます。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
まずは当時のスウェーデンのチェスのQueenです
万事はっきりしない王妃
エリク勝利王妃 エーダ・ホーコンスドッテル
生没年不詳/在位 不詳
スウェーデン…資料と家系図はでき上がっていたんですけど、なかなか踏み切れなかったのは
デンマーク同様、名前と地名が読めませんのじゃ
なるべく調べましたが、わからないものはアルファベット読み・そのまま表記という
手抜きをしています。
間違っていたら教えて下さい、随時訂正いたします。
どこの国もそうですが、国ができたばかりの頃は王の入れ替わりが激しいです。
しかし、スウェーデンは輪をかけて在位期間が短い気がします。
ですので、王妃のエピソードもあまりないんですよねぇ…
まずは、エリク6世とも言われますが、初代王とされているエリク勝利王の妃エーダから。
エーダは、ノルウェーを事実上支配していたヤール(副王)ホーコン・シグルソンの
娘ですが、それ以外は何から何までわかりません。
エリク王が、後にデンマーク王スヴェン1世妃になったシグリドと結婚しておきながら
その後で結婚した相手らしいです。
重婚ってことになりますね? 愛妾だった可能性も高いです。
スウェーデン初、洗礼を受けた王妃
オーロフ・シュートコヌング妃 エストリド・アヴ・オボトリテルナ
979頃~1022/在位 1000~1022
エストリドはオボトリテスの族長の娘で、言い伝えによりますと
メクレンブルク地方から戦利品としてスウェーデンに連れてこられたらしいです。
エストリドの持参金(賠償金かもね)は莫大なもので、スウェーデンは
スラブ西部を手に入れることができました。
北欧では、9世紀初頭からキリスト教への改宗が始まりつつありました。
1008年、オーロフはエストリドや家族たちと、英国人宣教師から洗礼を受けましたが
これがスウェーデン王初の洗礼だと言われています。
さて、故郷から連れ去られて可哀想な気もするエストリドですが、実は…
オーロフにはエストリドと同郷のエドラという愛妾がいました。
二人のあつかいはまったく分け隔てなく、子供も同じように生まれたのですが
どちらかを王妃に…という時になって、オーロフはエストリドを選びました。
実家の力の違いでしょうかね?
エストリドは、エドラが生んだ子供たちに対してとても冷酷でした。
あまりにも意地悪なので、オーロフはエドラとの息子エームンド(後の王)を
バルト海沿岸のベントラントに避難させたほどです。
暗殺…なんてぇことも考えられるものね。
それから態度がでっかく、派手好きで贅沢好み、召使いにはガミガミ言ったそうです。
あまり同情できないですね。
むしろ連れてこられて嬉しかったんじゃ…とさえ思えちゃう。
オーロフの死後どうしていたのか詳しいことがわかりません。
息子アーヌンド・ヤーコブが王に即位してますんで
母后として宮廷で幅をきかせていたのではないかしら。
ちなみにアーヌンド・ヤーコブという名前はスカンジナビア系ではなくて
国民から不評だったということでございます。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)