まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スウェーデン王エリク勝利王妃 エーダ

2011-06-23 00:10:36 | スウェーデン王妃
                 肖像画がありませんのでね…
                 まずは当時のスウェーデンのチェスのQueenです


万事はっきりしない王妃
エリク勝利王妃 エーダ・ホーコンスドッテル


生没年不詳/在位 不詳

スウェーデン…資料と家系図はでき上がっていたんですけど、なかなか踏み切れなかったのは
デンマーク同様、名前と地名が読めませんのじゃ

なるべく調べましたが、わからないものはアルファベット読み・そのまま表記という
手抜きをしています。
間違っていたら教えて下さい、随時訂正いたします。

どこの国もそうですが、国ができたばかりの頃は王の入れ替わりが激しいです。
しかし、スウェーデンは輪をかけて在位期間が短い気がします。
ですので、王妃のエピソードもあまりないんですよねぇ…

まずは、エリク6世とも言われますが、初代王とされているエリク勝利王の妃エーダから。

エーダは、ノルウェーを事実上支配していたヤール(副王)ホーコン・シグルソンの
娘ですが、それ以外は何から何までわかりません。
         
エリク王が、後にデンマーク王スヴェン1世妃になったシグリドと結婚しておきながら
その後で結婚した相手らしいです。
重婚ってことになりますね? 愛妾だった可能性も高いです。



スウェーデン初、洗礼を受けた王妃
オーロフ・シュートコヌング妃 エストリド・アヴ・オボトリテルナ


979頃~1022/在位 1000~1022

エストリドはオボトリテスの族長の娘で、言い伝えによりますと
メクレンブルク地方から戦利品としてスウェーデンに連れてこられたらしいです。
        
エストリドの持参金(賠償金かもね)は莫大なもので、スウェーデンは
スラブ西部を手に入れることができました。

北欧では、9世紀初頭からキリスト教への改宗が始まりつつありました。
1008年、オーロフはエストリドや家族たちと、英国人宣教師から洗礼を受けましたが
これがスウェーデン王初の洗礼だと言われています。

さて、故郷から連れ去られて可哀想な気もするエストリドですが、実は…

オーロフにはエストリドと同郷のエドラという愛妾がいました。
二人のあつかいはまったく分け隔てなく、子供も同じように生まれたのですが
どちらかを王妃に…という時になって、オーロフはエストリドを選びました。
実家の力の違いでしょうかね?

エストリドは、エドラが生んだ子供たちに対してとても冷酷でした。
あまりにも意地悪なので、オーロフはエドラとの息子エームンド(後の王)を
バルト海沿岸のベントラントに避難させたほどです。
暗殺…なんてぇことも考えられるものね。

それから態度がでっかく、派手好きで贅沢好み、召使いにはガミガミ言ったそうです。
あまり同情できないですね。
むしろ連れてこられて嬉しかったんじゃ…とさえ思えちゃう。

オーロフの死後どうしていたのか詳しいことがわかりません。
息子アーヌンド・ヤーコブが王に即位してますんで
母后として宮廷で幅をきかせていたのではないかしら。

ちなみにアーヌンド・ヤーコブという名前はスカンジナビア系ではなくて
国民から不評だったということでございます。

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フランス王ルイ15世愛妾 ジ... | トップ | ゴージャス・カランコエ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

スウェーデン王妃」カテゴリの最新記事