まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王カール10世妃 ヘドヴィク

2011-08-24 20:53:42 | スウェーデン王妃
“ 肩書き ” 大好き王妃
カール10世妃 ヘドヴィク・エレオノーラ
              アヴ・ホルステイン=ゴットルプ


1636~1715/在位 1654~1660

カール10世は、いとこのクリスティーナがいきなり退位しちゃいまして
王位を譲られたのですが、なかなか教養豊かで軍事経験もあり
相次ぐデンマーク、ロシアなどとの戦いに耐え抜いた君主でありました。

カール10世が即位した年に政略結婚したヘドヴィクは
ホルシュタイン=ゴットルプ公フリードリヒ3世の公女で
ほとんどスウェーデンにいないカール10世に代わって留守を守った王妃でした。
っていうと聞こえはいいんだけど、ちょっと違うみたい…

      
へドヴィクはとても意志が強く支配的な性格の女性でした。
ここまでは王に代わって政治を取り仕切る摂政にはもってこいですね。

でも実は政治はあまり好きでなかったみたいです。
ヘドヴィクは王妃という地位と国家のシンボルであるという状態が気に入っていたらしく
宮廷を統括して、議会のセンターに座れれば満足でした。

一方各国大使との謁見や政治的な話は退屈で仕方がなくて
飽きてくると返事もせず笑顔だけ浮かべていることもありました。

1660年にカール10世が病死すると、キャサリン・オブ・ブラガンザと結婚する前の
イングランド王チャールズ2世から求婚されました。

ヘドヴィクは(公式には)亡き夫への貞節を守るため、と断りました。
“ 王国の未亡人” という称号と国民の尊敬を得ることが快感で
自分の美徳が知れ渡るように振る舞うことも忘れませんでした。

でも、ヘドヴィクに、カール・ユレンシェーナという
(13歳も年下の)恋人がいることは周知のことでした。
彼はまずヘドヴィクの侍従になって、その後へドヴィクの領地の長官になって
戦時中は特使になって、とうとう伯爵に叙位されました。
その後城まで送られてます。 見事な成り上がり方ですね。

後継者カール11世はもともとママっ子で、即位後も母親の支配下にありました。
初めて議会に参上した時にはヘドヴィクが寄り添っていて、カールがこそこそっと囁くと
ヘドヴィクが大きな声で発表するという…つぶやき女将っていましたが逆ですね。

かようにヘドヴィクの力は絶大で、孫の代まで宮廷を支配しますが
晩年はスキャンダルに巻き込まれてしまいます。

ヘドヴィクには、アンナ・フォン・Barfeltというお気に入りの侍女がいたんですけど
彼女はヘドヴィクへの口利きの見返りに賄賂をとったり、毒の取引をしているとか
宮廷の物を盗み出しているなどという噂のある女性でした。

彼女は街で襲われいろいろな噂が明るみに出てしまうのですが
その時、ヘドヴィクの愛人ユレンシェーナ伯が犯罪に関わっていると告白したことから
ユレンシェーナ伯は「自分をとるか彼女をとるか」とヘドヴィクに迫るようになるし
宮廷は調査を始めようとしました。

貴婦人たちがユレンシェーナ伯と徒党を組んでBarfeltを追い出すよう迫ったため
とうとう彼女は追放されることになったのですが、ヘドヴィクは取り調べをさせず
彼女が持ち出す荷物を調べることも禁止しました。
いったい何を握られていたんでしょうね?

ヘドヴィクは絵画と建築に興味がありまして、現在もロイヤルファミリーが利用している
ドロットニングホルム宮殿は、ヘドヴィクが熱意を注いで建てた宮殿です。
結局、大きな権力を持っている人が散財して建てた物ほど美しい…ってことになりますね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)
コメント
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