まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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スウェーデン王カール9世妃 マリア

2011-08-17 08:34:17 | スウェーデン王妃
癇癪王の鎮静剤
カール9世妃 マリア・アヴ・プファルツ


1561~1589/在位せず

カトリックのジギスムントに対抗する形で担ぎ出され
戦いに勝利したカール9世は、即位した時54歳でした。
最初の妃マリアは即位に先立つこと15年前に亡くなっております。

マリアはプファルツ選帝侯ルートヴィヒ6世の王女で、たいそう美しかったそうです。
カールは直々にハイデルベルクまで出向いて求婚しました。
           
カール9世は “ リンチョピングの血浴 ” を行った人で気性が荒い人だったみたいですが
マリアはとても穏やかで、君主には慈悲の心が必要なことを絶えず夫に忠告していました。

ひとくち情報  “ リンチョピングの血浴 ” とは、簡単に言いますと
1600年、カールがジギスムント側についた貴族たち(カトリック)を一方的な裁判で多数処刑した事件です。
情報おわり…


子供は6人生まれていますが5人は幼くして亡くなりました。
マリアは病がちだったらしいのですが、最後は出産で亡くなったみたいです。
28歳でした。

ヴェストラ・イェータランドのマリエスタードとエスロヴのマリエホルムは
マリア妃にちなんでつけられた都市名ですって。



              
前妃とは正反対…でも癇癪王の良き伴侶
カール9世妃 クリスティーナ・アヴ・ホルステイン=ゴットルプ


1573~1625/在位 1604~1611

マリア妃を亡くしてから3年後にカールが再婚したクリスティーナは
ホルシュタイン=ゴットルプ公アドルフの公女で
実は13歳の時に前王ジギスムントのお妃候補になっていましたが実現せず
6年後、19歳でカールと結婚致しました。
        
クリスティーナは前妃マリアとは正反対の妃でした。
意志が強く経済観念に優れ、会う人びとに畏敬の念を与える女性でした。
王妃にはもってこい! って気もしますが、言い方を変えると
支配的で高圧的、そしてとってもしみったれでした。
宮廷のお針子に糸を計って渡していたという話もあります。

「お許し下せ~、おとっつぁんの薬代が 」という下々の民からかき集めてきた国の金を
湯水のように使う浪費家であっぱらぱーの王妃よりはいいのかしら?
でも、えてして浪費家王妃の方が後世に語り継がれていますよね。 華やかだものね…

性格はカール9世にそっくりで、気性は荒い方でした。
うまくいくのかしら… と思いきや、夫婦の仲はとてもよかったそうです。

カールはクリスティーナと喧嘩をしようとしませんでした。
そのかわり政治には口をはさませませんでした。

デンマークとの戦争中はクリスティーナがしばしばデンマーク寄りのことを言って
口論になったそうですが、王妃としては一目置いていたようで
スウェーデンを留守にする間は摂政も任せています。

1611年にカール9世が亡くなりました。
スウェーデン王位は17歳の長男グスタフ・アドルフが、
セーデルマンランド公位は10歳の次男カール・フィリップが継承しました。

クリスティーナはカール・フィリップの摂政になりましたが
1年ほど裏でグスタフ・アドルフも操っていたという噂です。

10年ほどしてニュチェピング城に引退しましたが、その年に次男カールが亡くなり
なんと! こっそり侍女と結婚して隠し子がいたことが発覚します。
クリスティーナは長男グフタフとエバ・ブラーエの結婚に強く反対してましたので
カールは言い出せなかったのかもしれませんね。

クリスティーナは怒り心頭だったとは思いますが
孫にあたるカールの娘エリベットの後見人になってあげています。

厳しい人だったかもしれないけど、けっこうフェアな人だったんじゃないかな…
すごく人付き合いがいいかと思ったら、いきなり冷たくあしらわれちゃう、みたいな
気分屋の王妃じゃ、つきあっててグッタリしちゃうものね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)
コメント
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