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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『観光』祖国の記憶を世界に刻む

2011-02-07 00:20:30 | その他の国の作家
SIGHTSEEING 
2005年 ラッタウット・ラープチャルーンサップ

物語の内容から言うとすごく気が重い一冊でした。
でも文章を追っていくのは楽しかったし、本当に読んで良かった一冊だと思っています。

作者はアメリカ生まれのタイ育ちの方だそうです。
生まれ育った場所への思いを、良いことも悪いこともひっくるめて
世界に向けて表現できるというのは素晴らしいことですね。

舞台は全てタイです。
私はタイに行ったことがないので、観光地として紹介されるイメージしか浮かびませんが
その町の隅々でこういうことがおこっているとは…と、暗澹たる気持ちで読んでいて
はたと「でもどの国でも同じことがおこっているのでは?」という気になりました。

もちろん観光地独特の出来事もあるし、日本では考えられない状況の物語もあります。
でも個々の人々にふりかかる不幸は、日本ではありえないというものではありません。

『徴兵の日(Draft Day )』
友人のウィチェと一緒に徴兵の抽選会場に向かいます。
ぼくは両親の贈り物のおかげで自分が徴兵されないことがわかっていました。
ウィチェのお母さんが二人分のお弁当を持って来てくれました。
ぼくは本当のことが言い出せずにいます。

日本では徴兵制が無いので、この不安や緊張感は到底わかりませんが
持てる者と持たざる者の区別をはっきりと晒してしまうシステムに驚きました。
徴兵に行かない人の罪悪感は、行く人の悲しみより早く消えてしまいそうですけど…

『観光(Sightseeing)』
北の大学へ行く準備に追われていたころ、母の様子がおかしくなっていき
ある日目が見えなくなっていることに気がつきました。
目が見えるうちにと、ふたりで20時間かけてルクマクへ観光に行くことにしました。

優しい言葉をかけるだけではどうにもならない落とし穴のような時間が
親子、夫婦、恋人の間に屡々存在しているような気がします。
お互いの不憫さを思いやりながらも、お互いの態度にいらついてしまうという状況は
特に両親が老いてくるとものすごくよくわかります。

『こんなところで死にたくない(Don't Let Me Die in This Place)』
ペリー老人はからだが不自由になったので、息子ジャックの世話になるために
アメリカからタイに来ました。
ジャックのタイ人の妻と2人の子供たちはカタコトの英語を話します。
子供は生意気ですが一緒にいると少しは楽しい気分になれます。

フラナリー・オコナーの『ゼラニウム』という短篇を思い出しました。
アメリカ版 “ ザ・頑固おやじ ” みたいな老人が、見知らぬ土地で最後を待つ気持ちを思うと
切ないものがありますね。
でもお世話する人も大変だと思う…少しは我慢しなくてはね。

最近、以前に較べて欧米で暮らすアジアの作家の本を読んでいる気がします。
作家がずっと故国にいたら同じテーマでも違った物語になるのか、変わらないのか、
それはよくわかりません。
でも読者としては、万国共通の悲喜こもごもに異国情緒が加わることで
物語の側面が増えて、いくつかの面白さを味わえるのが嬉しいような気がしています。
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『醜女の日記』今回は辛口です

2010-12-10 23:17:25 | その他の国の作家
BEAUTE DES LAIDES 
1952年 シャルル・プリニエ

ハッと目を引く題名の本ですね。
裏表紙には “ 愛され方を知らず、生きるには繊細すぎた魂の激しい苦悩を ”
主人公が綴った悲劇だと書いてあります。

ところが、心のどの琴線にもまったく触れない物語でありました。
とにかく主人公がずっと愚痴っているような内容だったんですけど
彼女が可哀想だとは思わない。
ぜんぜん悲しくなかったし、感動も無ければ面白味もありませんでした。

主人公は美しい声を持つサピーヌ・サプリエという30歳の女性です。
彼女のコンプレックスは顔、特に鼻と唇の形が醜いことでした。
人前に出るのを避け、地味な服装をして、部屋の鏡は見にくい場所に置いていました。

サピーヌは友人ハンス・ミュラの紹介でラジオ局で歌うことになりました。
そしてそのラジオ局の経営者である富豪オルズメイエに見初められ結婚します。
オルズメイエは60歳の醜い男性でした。
しかし紳士的な、サピーヌには優しい男性でした。
この結婚にミュラは激怒します。

結婚から4ヶ月後、オルズメイエは急死します。
ミュラとの再会を果たしたサピーヌは、彼が「身を売った」と誤解していたことを知ります。
誤解も解けてもとの親しい間柄に戻ったふたりでしたが
ある日、サピーヌはミュラから十年来の愛を告白されてしまいます。

サピーヌもミュラのことがずっと好きでした。
でもミュラは美しい男です。 本当に愛されているのか不安です。
しかしミュラの愛は本物のようで、ふたりの愛はどんどん深まっていきます。

それでも不安が拭えないサピーヌは、ミュラの演奏旅行中にこっそり手術を受けます。
鼻と唇をお直ししたサピーヌは美しく生まれ変わりました。

さてさて、再会したサピーヌとミュラは… という物語でございます。
裏表紙に書いてある通り悲劇的なラストを迎えます。

サピーヌ、ネガティブすぎる…

醜いオルズメイエに求婚されると「私も醜いからだ」ってことになる、
劇場に誘われても「こんな醜い私が目立つ場所に座るなんて」と断る、
ミュラに熱烈に愛されても「醜い私をどうして?」と悩みまくる…
とにかく、思考の焦点が「私は醜い」の一点に集約されています。

誰にだって気に入らないお顔のパーツは一つ二つあるじゃない?
ここまで何もかも容姿のせいにしちゃうと、もはや言い訳にしか聞こえず
泣き言のオンパレードにだんだん気が沈んできました。

美しい女性が主人公ではない物語は、当時としては斬新だったのかもしれませんが
せっかく書くなら、サピーヌのキャラクターはもう少しなんとかならなかったんでしょうか?
コンプレックスからくる性格の形成というのは無論あるでしょうが
終始一貫して暗い…悲観的すぎる。
どちらかといえば恵まれてる女性だと思うよ。

哀しいとか胸塞ぐという感じとはまったく違う、ブルーな気分で読み終えました。
こんなに憂鬱になった物語は久しぶり…

美容整形、いいじゃないですか。
生まれ変わって明るい人生を手に入れるも良し、芸能界を駆け上がるも良し。
どうせメスを入れるならポジティブにいきましょう!
でも、少なくともパートナーには相談した方がいいのでは…
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『ちょっとピンぼけ』アングルの中の真実

2010-11-02 01:47:15 | その他の国の作家
SLIGHTLY OUT OF FOCUS 
1947年 ロバート・キャパ

この間(めずらしく韓流以外の)テレビを観ていたら、名前は失念しましたが
今ブレイク中の戦場カメラマンの方がキャパのことを語っていました。
「そういえば持ってたんじゃない?」と思って本棚を漁ったら見つかりました。
どうしてこの本を買ったのかはもう覚えていないんですが読んでみることに…

キャパが従軍カメラマンとして同行した第二次世界大戦の戦闘と
愛するピンキィのことを綴ったエッセイです。

キャパはハンガリー国籍のユダヤ人で、連合国側から見れば敵国人です。
そんな彼が連合国側の従軍カメラマンになった経緯や、親しい軍人や記者たち、
北アフリカ、イタリア、フランス、ドイツの各地で目にした戦闘の現場を
時に軽妙に、時に神妙に記しています。

カメラマンだからといっても身の安全は何も保証されません。
それどころかキャパは、地雷原に足を踏み入れる、落下傘で敵地に降り立つ、
戦闘の最前線の兵士たちの塹壕へ飛び込む、と自ら危険に身を晒しています。

圧巻はD-Day、いわゆるノルマンディ上陸作戦に同行した際のルポです。

上陸前夜、護送船で夜中の3時にいつもより上等な朝食をボーイに給仕される兵士たち、
しかし兵士たちはほとんど口に運ぼうとはしません。
タグボートで海に降ろされる時、多くの兵士たちが嘔吐します。
危険な任務の先頭をきっていく若い青年たちの恐怖を思うといたたまれません。

キャパは第一陣とともに、ドイツ兵が待ち構える砂浜に向かいます。
驚いたのは兵士に混じって従軍医と従軍牧師が浜辺に降り立ったこと。
彼らももちろんドイツ兵の標的に変わりはありません。
正直、ある程度落ち着いてから上陸すればいいのでは? と思いましたが
彼らは彼らなりの使命感を抱えて参戦しているのですね。

カメラマンのキャパにとって、伝えたい真実はレンズを通して見た
光景だけだったのかもしれません。

手記ではどちらかというと、出撃前夜のパイロットとポーカーを楽しんだり
兵士たちが故郷で待つ恋人たちの自慢をしあったり
攻め込んだ各地の女性たちに熱烈な歓迎を受けたりと
むしろ “ 愉快な軍隊生活 ” みたいな場面も書き残しています。

それだけに、仲間が空中戦の後一人減ってポーカーをやらない夜のことや
作戦前に兵士が黙々手紙を書くという簡単な一文が胸にぐっときます。

ヨーロッパ戦争が終わった朝の場面で手記は終わりを迎えますが
第二次大戦は終わっていません。
キャパが親しくしていた記者のアーニー・パイルは沖縄で亡くなっています。
日本は敵国だったんですものね。

そして、その後も戦争が無くなっていないことは周知の事実ですよね。
キャパは1954年にベトナムで亡くなっています。

文中 “ 特種 ” を求める気持ちや、自分の写真が一面を飾ったことの喜びが
度々書かれていますが、実はそれは本音ではないような気がします。
砲弾飛び交う中、シャッターをきり続けるキャパは
使命感という言葉では言い表せないようななにかに突き動かされてたみたいでした。
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『バレンシア物語』じんわり哀しい一冊

2010-09-13 00:25:13 | その他の国の作家
CUENTOS VALENCIANOS 
1896年 ブラスコ・イバニェス

ドラマや映画、小説は色々な疑似体験をさせてくれますが
やはり “ 笑える ” より “ 泣ける ” という言葉に弱いですよね。

でも最近はどうも
若い恋人たち → どちらか不治の病 → 愛があるから大丈夫 → 思い出をありがとう
な傾向に偏っている気がするんですよねぇ…
わたくし、そういうお話は韓流で腹一杯です。

『葦と泥』に収められている『バレンシア物語』は、3篇の短篇から成っています。
美しい恋物語ではありませんし、余命何年…という伏線もありませんがグっときます。

『ディモーニ』
酒と放浪を愛する人気者の笛吹きディモーニは、突然不器量で飲んだくれのボラーチャと
激しい恋に落ちてしまいました。
ディモーニは男ぶりが上がっていきますが、逆にボラーチャはみすぼらしくなっていきます。

ふたりの恋は悲しい結末を迎えることになります。
だらだらと「あなたと生きれて幸せだった」みたいなことが書かれていないにも関わらず
胸にせまるラストです。

『婚礼の夜』
貧しい家の子でありながら学校へ通い聖職者になったビセンテが故郷の教会に赴任します。
ビセンテは村の誇りとなり、人々に讃えられて幸福でした。
そして、祝宴の席で、幼なじみのトネータと農民チーモの婚礼を引き受けます。

せっかく掴んだ栄光の座が、一瞬にしてくだらないものに思えた時、
これまでの努力と年月が全て無駄だったと気付いた時、ものすごい虚しさでしょうね。
若くしてそのことを悟ってしまった主人公の哀れさが身に凍みます…頑張ってほしい。

『馬糞拾い』
働ける年になったので、母に言われてバレンシアに馬糞拾いに行かされたネレットは
途方に暮れて、母が乳母をしていた少女マリエータを訪ねて行きます。
マリエータに歓迎されて嬉しくなったネレットは、毎日彼女を訪ねるようになりました。

でも、ある日を境に少女の態度がコロッと変わってしまうのね。
ふたりの間を阻むのは “ 身分の違い ” … たいした違いじゃないんだけどさ。
そしてやはり身分の高い子の方がそういうことに敏感なんですね。

実話ならまだしも、不治の病を持ってくれば泣ける話しになる、っていう考えは
いいかげんやめてほしい!

こんなにも素朴で身近なテーマで、じゅうぶん人を感動させることができます。

長篇『葦と泥』とはうってかわった簡潔な文章で
すごく読みやすくストレートに訴えかけられました。

『バレンシア物語』には他にも何篇かあるのでしょうか?
あったらぜひ、他の短篇も読んでみたいと思います。
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『猫文学大全』ネコ三昧の一冊

2010-09-02 23:28:29 | その他の国の作家
THE BOOK OF CATS 

ワンちゃんやネコちゃんを題材にしたブログはものすごく多いですね。
どちらも心が和みますけど、わたしゃやっぱりネコちゃんブログをよく見ます。

ネコちゃんブログは吹き出しのひと言や添えられたコメントで
気まぐれで Going my way な感じがよく表されていますよね。
猫と暮らしたことがある人なら含み笑いが止まらないはず…

このあいだ渋谷古本市に行って見つけた『猫文学大全』
その名の通り猫に関する詩と短篇が16篇収められています。
その他ピカソやホックニーなどの描いた猫の絵や写真も添えられています。

どの物語も様々な猫らしい性格を醸し出しています。

『ネコ君の職探し(How the Cat Become)/オグデン・ナッシュ』
怠け者のネコ君が仕事もせずにバイオリンばかり弾いているので
森の動物たちは働かせようと追いかけ回します。
働きたくないネコ君が一軒の農家に逃げ込むと、その鋭い爪を見た農場主は
ネズミ捕りの名人と決めつけてネコ君を雇うことにしました。

『ひとり歩く猫(The Cat that Walked Himself)/ラドヤード・キプリング』
大昔、人間が洞窟に住み出して美味そうな焼き肉の匂いを漂わせるので
気になった犬は様子を見に行き、狩りの手伝いと洞窟の番をすることにして
毎日の骨を手に入れました。
続いて馬と牛が、それぞれ仕事を与えられて美味しい草を約束されました。
猫も行ってみましたが「もう足りている」と断られます。

上の2篇は、猫たちが猫たる所以…みたいに思えて愉快です。
ちょっと怠け者でずる賢く描かれていますが、それも猫なら許せる!

毛色の変わったところでは
『猫の占星術(The Cat Horoscope)/アン・カーラー』
これは猫ちゃんたちを12星座で占っているんですが
本気と書いて “ マジ ” か否かは別にして「さもありなん!」て感じで笑えます。

他にもポール・ギャリコの『ジェニィ』からの抜粋、大好きなサキの『トバモリー』
嫉妬する猫、浮気現場の猫、などなど猫目白押し!

どの作家も少し性格悪そうにネコちゃんを描いていますが
可愛さのあまりちょっと意地悪を…というつもりじゃないかしら?

そういえば村上春樹さんのエッセイ・紀行文にはかなり猫が登場しますよね?
愛情たっぷり、ユーモアたっぷり、嫌みちょっぴりで面白いんですよね。
まとめたら1冊の本になるんじゃないかしら?
もし出版されたらぜひ読んでみたいと思います。
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『葦と泥』男女六人…それぞれの執念

2010-08-25 01:06:00 | その他の国の作家
CANAS Y BARRO 
1902年 ブラスコ・イバニェス

スペインの作家といえばセルバンテスしか知らない私…
初めて読んだイバニェスはとても興味深いものでした。

文字どおり葦が生い茂る泥沼に囲まれた村落を舞台にした物語ですが
登場人物同様、風景や沼での暮らしぶりに結構なページを割いています。
ちょっとしつこい…と思えなくもないけど、情緒風情は満喫できます。

たくさんの人々が登場しますが、私が注目したのは男女ともに三人の人物。
だからといって男女六人が織りなす恋のお話というわけではありません。

まず男性陣の三人は
村一番の古株で、誇り高き漁師のパローマ爺さん、
その息子で、父親に反抗して土地持ち農民になろうとする真面目一徹のトーニ、
トーニの息子で、気まぐれで怠け者の色男トネット(クバーノ)

女性陣の三人は
子どもの頃パローマの家で暮らしていた居酒屋の若い女房ネレータ、
トーニの死んだ妻が養女にした働き者の薄幸な少女ビザンテータ(ボルダ)
ネレータの夫カニャメールの前妻の妹で財産を狙うサマルーカ。

とにかく、この六人に共通しているのは執念深さです。

物語はパローマ爺さん、トーニ、トネット一家の成り立ちに始まり
次第にトネットとネレータの道ならぬ恋の物語になっていきます。

パローマ爺さんの、家名と漁師という職業に対する無駄な誇りと執着、
自分の土地を造ろうと深い沼を何十年も埋め続けるトーニ、
この親子二人の生き様は、どちらか折れることはできんのか? と言いたくなります。

カニャメールの財産を手に入れようとするサマルーカのなりふりかまわなさ、
財産を守ろうと、恋人であるトネットまでが怖れを抱くネレータの行動。
やり方は違えども、どちらも金のために必死です。

そして、恐れおののきながらもネレータから離れられないトネットと
何も言わず、何年も何年もトネットを側から見つめるだけのボルダ。
私は “ 見守るだけの愛 ” というのに懐疑的なんだけど
ボルダには少し胸が熱くなりました。

悲愴感あふれるエンディングを迎えるこの物語
短絡的ですが『葦と泥』というタイトルから想像させられる
暗い熱気を含んだ土地柄ならでは…という気がします。
映画になったら独特の雰囲気を醸しだせるかも…

 一緒に収められている『バレンシア物語』という短篇選がとても好きでした。
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『森の小道・二人の姉妹』今年最大の期待はずれ

2010-08-21 23:00:04 | その他の国の作家
DER WALDESTIG / ZWEI SCHWESTERN 
1844年・1845年 アーダルベルト・シュティフター

美しく、天使のようにやさしい文章に心が洗われます…
でも「面白いか?」と聞かれたら、答えは「いいえ」です。

作家のシュティフターは、自然豊かな土地で生まれたそうです。
風景画を好んで描いていました。(表紙の絵もシュティフターによるもの)

小説でも風景画同様に、深い森、澄んだ湖、連なる山々、人里離れた牧草地などを
細かく描写して下さり、まるで目の前に風景が浮かぶようでございます。

なんだけど…登場人物の内面の描写となると、かなりぞんざいな気がするのよね…

『森の小道(DER WALDESTIG)/1844年』
莫大な遺産を手に入れたことで、病気を理由に引き蘢るようになった
ティブリウス・クナイクトは、変わり者の医者の勧めで温泉に出かけました。
温泉地で規則正しい毎日を送っていたある日、森の小道で迷ってしまったことから
ティブリウスの人生は大きく変わることになります。

『二人の姉妹(ZWEI SCHWESTERN)/1845年』
旅先で隣人になったフランツ・リカールに好感を持ち
数年後、イタリアへの旅の途中で彼を訪ねることにしました。
リカールは南チロルの山深い場所に、妻と二人の娘の四人で暮らしていました。
あまりにも幸せそうな家族に囲まれ、知らず知らず滞在が長くなってしまいました。

私は姉妹ものに目がないんですよね。
ベネットの『二人の女の物語』、オースティンの『分別と多感』
ロレンスの『恋する女たち』などなど
性格が違う姉妹の恋や人生なんかを比較して書かれた物語が大好きです。

『二人の姉妹』もそんな感じかしら、と期待して読んでみたのですが
なにこれ? って言いたくなりましたよ。

長女マリアと次女カミラという姉妹が登場してまして
文中 “ こんなに違う姉妹を見たことがない ” 的なことが書かれているんですけど
説明不十分であまりそうは感じられませんでした。

たしかに風貌は違うし、姉さんはアクティブ、妹は夢見がち…というのは分るが
他の人物やエピソードに関する記述がやけに多くて、この姉妹、さっぱり目立ちません。

姉妹揃って同じ男性に恋をするという、物語をいかようにも持って行けるテーマなのに
まったく盛り上がらずに終わってしまいます。
簡単に言うと片方があきらめるからなんどけど、その間もうひとりは何もせず
あっと言う間に三角関係の場面は終わりを迎えます。

別にドロドロしなくてもいいけどさぁ…
せめてその男性について二人に会話させてみない?

『森の小道』も主人公がある娘に出会って人生が変わるわけなんだけど
唐突なのよね…かすかに伏線はあったりしましたが。

2篇とも幸福で清らかな、(小学校低学年ぐらいの)夢見る少女ちっくな物語です。
きれいにまとまって良かったね…と言っておきます。
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『アメリカ』嗚呼、つけこまれる者の哀しさよ…

2010-05-27 02:23:20 | その他の国の作家
AMERIKA 
1927年 フランツ・カフカ

America、の間違いではないので念のため…

授業でカミュとともに教わったせいか、私の頭の中では “ カフカ=不条理 ” となっていて
今まで避けてきたわけですが、以前読んだ『カフカ短篇集』
『火夫』という物語が面白かったんですよ。
この物語の第一章だと知ったので読んでみることにしました。

“ 不幸は不幸を呼ぶ ” という概念を実証的に構築しようと思ったのですかね?
主人公カール・ロスマンを襲う数々の「あちゃ~ 」は
悲劇の域を超えて喜劇に思えてきます。
大仕掛けの “ ドッキリ!” を見てるみたい…

まずは、中年の家政婦に愛されすぎて子供ができちゃったことが発端です。

トランクはもらえても、預け先も住む場所も決めずにアメリカに送り出され
船を降りようとしたら迷って、不当就労を嘆く火夫につかまるカール。

裕福な伯父と会うことができて、伯父の言うなりに暮らしていたのに
知人を訪ねただけで路上に投げ出されてしまったカール。

仲間にさせられたフランス人とアイルランド人にはダシにされ
人一倍真面目に働いていたホテルでは一方的に解雇され
逃げ込んだ家では大人3人に監禁されて、奴隷のようになれと迫られる…

16歳になるやならずの少年には、あまりにも手痛い仕打ちのオンパレードです。

だけど、カールも隙があるのよね…
16歳にしちゃ思慮深く、しっかりした物言いをするね! と思っていても
いざという時につけこまれる甘さが随所に垣間見えます。
というか、お人好しなのよ
「No」と言えないドイツ人、なんだか共感してしまいました。

最終章では、そんなカールの前にも一筋の光が差し込みます。
もしかしたらものすごいビッグチャンスを掴んだのかもしれません。
ただ、その会社もかなり怪しいのよねぇ…

とはいえ、現代から見れば、就業規則もなにもあったもんじゃない職場で酷使され
雇用者の気分次第で反論も無しにその場で解雇される、
そんな状況がまかり通っていた時代そのものが不条理なのかもしれませんね。

アメリカ  角川書店


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『トーベ・ヤンソン短篇集』世捨て人の孤独

2010-04-21 02:00:45 | その他の国の作家
20 SHORT STORIES OF TOVE JANSSON 
トーベ・ヤンソン

トーベ・ヤンソンといえば懐かしの『ムーミン』なわけですけど
あのほのぼのムードをこの短篇集に求めると、ちょっと違うかもしれません。
登場人物はわりと暗いし、会話はとても少ない、しかもつっけんどん。
嵐、波濤、洪水…自然は人間に襲いかかるものばかり。

今にして思えば、ムーミンも(子供向けのアニメにしちゃ)寂しさが漂っていました。
主人公がグレーだしねぇ…おさびし山というネーミングも哀しい感じだわね。

20篇の寂寥感あふれる短篇が収められています。
好きだったものをいくつか…

『リス(Ekorrew)/1971年』
浜辺で海を見つめているリスを見つけ、一緒に島で越冬することになりました。
しかしこちらが気を遣っているというのに、リスはあまりにも恩知らずです。

人と動物との心温まる交流の物語…というわけではないんですよね。
リスが板切れに乗って海を渡るって知ってました?
それともヤンソン流のジョークなんでしょうか?

『植物園(Laxthuset)/1987年』
おじいさんが通い続ける植物園で、いつも脚を休める睡蓮のベンチに
ある日他の老人が腰掛けていました。
しかも本を読んで睡蓮を見ようともしません。

孤独な老人同士の、友情とも同情ともいえない交流が描かれています。
なぜだろう? 交流が始まった後の方が孤独感が漂っているのは…

『聴く女(Lyssnerskan)/1971年』
何十年も、皆の話を黙って聴いていてくれたイェルダ伯母が変わってしまいました。
ある日伯母は、今まで耳にした家族や知人のすべてを図表にしようと思い立ちます。
結婚、親子、恋愛、不倫、憎悪…そして殺人未遂も…

家系図好きにはたまりませんけど、まわりにたくさんの人々がいてこそできることですね。
孤独なように見えて、実はうらやましい環境にいる女性なのかもしれません。

もうひとつ、とても気になるお話を紹介します。

『ショッピング(Shopping)/1987年』
ブルム食品店とエリクソンの家からめぼしい物を頂戴したエミリィは
人々が消え去った街を、クリッセが待つ真っ暗な部屋へと急ぎます。
その時、遠くにあいつらの姿が見えました…こちらに向かってきます。

どうやら街がひとつ消滅してしまったようなんですが理由は分りません。
ちょっとデュ・モーリアの『鳥』を思い出しました。
生きて取り残された者の恐怖…
私も決して独りが嫌いな方じゃないですが、こういう状況には陥りたくないですね。

この一冊の中には様々な孤独が描かれています。
雑踏の中の孤独、人嫌いの孤独、老境の孤独、死んだ街の孤独…
中には自らすすんで孤独な境遇に身をおいた人もいます。

それでも、この一冊を読み終えると少し分ったような気がします。
人には誰か(なにか)感情をぶつける対象が必要なようですね。
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『園芸家12ヶ月』冬の園芸ライフを反省 (´□`。)°゜

2010-03-16 00:55:17 | その他の国の作家
ZAHRDNIKUV ROK 
1929年 カレル・チャペック

私は、この方の小説は読んだことがないんです。
『人造人間』とかってSF? アクションもの?
この本は古本市で買って置き去りになっていました。

日曜日に春蒔きの種を植えまして、いよいよ園芸シーズンが到来です。
イメージトレーニングを…なんて思って読んだら
ああ! 私は冬の間いったい何を考えていたんでしょう

秋蒔きの種があまり上手くいかなかったのでボーとして過ごしていましたけど
1月には室温で種の発芽、2月には土作りetc. やることはたくさんあったんだ…

プラハの庭を舞台に、天候と土とアブラ虫とうどんこ病と戦う園芸家の1年が
月毎に記されている面白くも身につまされる一冊です。

3月からは種蒔きに始まって、移植・定植・雑草抜きなどをしているうちに
花のシーズンがやってきます。

しかし、アブラ虫! やったことのない方には分らないと思うのですが
これは死闘なんですよ。
何をかけても撒いても次の日にはまたビッシリこびりついてますからね

夏は土がカラカラにならないように気を配り、枯れた花はマメに花ガラ摘み。
9月、10月は再び種蒔きシーズンです。
で、私は種を植えて定植すれば園芸シーズンも終わったつもりでいましたら
冬に向けて防寒対策をしたり、剪定だの新たに土作りだの休む閑なし!です。

私は鉢植えですので、著者のように庭計画をたててカタログから苗を選び出し
注文する作業はありませんが、それでも花図鑑を見ながら
こんな花を咲かせたいな… などと夢見ています。

こんな私でも、種蒔きの時は雨が降れば細かい種のポットを軒下に入れたり
花が咲けば太陽に合わせて “ 日当り良好 ” 印の花の鉢をとっかえひっかえ置き直したりと
本に書いてある園芸家の端くれみたいな行動をしていまして
随所で笑ってしまいました。

テキストのような堅苦しさはまったくなく、聞き慣れない花の名もたくさんあって
楽しみながらやるべきことを教えていただいた… そんな感じです。

最後に、内容とはまったく関係ないのですが…
表紙や中面のほのぼのする挿絵は、お兄様のヨゼフ・チャペックのもので
お兄様はナチスの強制収容所で亡くなったそうです。
本の内容の長閑さと、その後東欧が置かれた境遇の厳しさのギャップに戸惑いました。
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『むずかしい愛』冒険という名の日常

2009-12-05 01:35:07 | その他の国の作家
GLI AMORI DIFFICILI 
1958年 イタロ・カルヴィーノ

イタリア人作家の本はこれだけしか読んだことがないと思います。
何故に持っていたのかさえ分からない1冊…でもけっこう愉快に読めました。

直訳かどうかは分かりませんが、すべて『◯◯の冒険』という題がついている
短篇が12篇収められています。
冒険? と思われるものもありますけど、好きだった話しを3つばかりあげてみます。

『ある海水浴客の冒険』
イゾッタ夫人は沖の方でひと泳ぎして浜辺に戻ろうとした時
セパレーツの下が無いことに気がつきます。
誰かに助けを求めようとするものの、誰もが意地悪に思えて…

きゃー! 恥を忍んで生き続けるか、威厳を守って死にゆくか…難問です。
水がすごく澄んでいる海のようで、イゾッタ夫人は見られないように泳ぎ続けるの。
そのうち疲れてしまうだろうに… 彼女はどうなってしまうと思いますか?

『ある読者の冒険』
読書が病的に好きなアメデーオは、いつもの休暇のように本を抱えて浜辺にやってきます。
人の少ない岩場で読書をしていると目線の先にひとりの女性がちらつきます。
どうやら彼女は誘っている様子… でもアメデーオは読んでいる本が気になって…

これは、その気持ちわかる! というおはなし。
アメデーオほどではないにしても、丁度いい時にっ! ということがあるんですよね。
しかし、明らかに自分より読書、という相手を誘い続ける女性もどうなんだろうか?

『ある夫婦の冒険』
工場の夜間勤務をしているアルトゥーロが朝家に帰って
妻のエリデとしばし戯れるとエリデの出勤時間になります。
夕方疲れて帰って来たエリデが不機嫌になり、ふたりで諍いをしていると
アルトゥーロの出勤時間がやってきます。

このふたりにはまだ愛が感じられるんだけれども、この先どうなっていくかは…
まったくもってすれちがいの結婚生活、ある意味冒険とも言えます。

他には、兵士、悪党、会社員、写真家、旅行者、近視男、妻、詩人、スキーヤーの
冒険と名のつく物語が書かれています。
舞台はイタリア各地で、登場人物も多種多様、短いながらも内容は多彩です。

田舎やリゾート地を舞台にしたものは美しい風景を描き
町の物語では都会を彩る人や小道具をちりばめて、女性を愛でることを忘れない。
カルヴィーノという人はイタリアが大好きな作家だったんじゃないでしょうかね?

解説をささっと読んでみると、もしかしたら哲学的な人なのかもしれません。
読む人が読めばけっこう哲学が感じられるお話だったのかしら?
たしかにエンディングにそういう傾向が見られないでも無い…よく分かりませんけど

さしあたって、哲学が感じられても感じられなくても面白い本だと思います。

むずかしい愛  岩波書店


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『ローソン短篇集』でっかい大地の優しい男たち

2009-09-01 01:05:04 | その他の国の作家

1888 - 1922年 ヘンリー・ローソン

とてもいい短篇集でした。
オーストラリア出身のローソンによる、主にブッシュを舞台にした物語が10篇。
かなり前「不器用、ですから・・・」というCFがありましたが
あんな感じの男性たちがたくさん登場します。

オーストラリアの大地を駆け回る荒くれ者の話ばかりだと思ったら、かなり優しいです。
何百キロにもわたって牛を追い、羊の毛を刈り、小麦を育てながら
大きさがハンパじゃない大陸をさすらう労働者たちの素朴なエピソードが描かれています。
農場を出たら二度と会うことがないかもしれない仲間との
つかずはなれずなのに温かさが感じられる友情にじ~んときますよ。

好きだった物語を3編ご紹介します。

『家畜追いの妻(The Drover's Wife)』
見渡す限り何も無いブッシュの中に立つ丸太小屋で夫の長い留守を守る妻と子供たち。
家に蛇が入り込んで寝ずの番をすることになった夜、妻は夫の留守中に切り抜けてきた
様々な危機を思い出していました。 山火事、洪水、浮浪者たち、そして子供の死…

唯一女性が主人公の物語です。
故郷を後にして働く男性たちもしんどかろう、しかし妻だって!
なぜか夫の留守中にばかり大切な物を失うという妻の不運も過酷です。

『帽子回し(Send Round the Hat)』
人の不幸を聞きつけると帽子を回して金を集めようとする大男ボッブ。
仲間たちはうんざりしながらも金を入れてくれます。
女に無縁だったボッブが故郷の好きだった女のもとへ帰ることになりました。
その前日、ボッブの帽子が盗まれ町中で回されました。

優しい人がでてくる良い話、単純なんですけど、その書き方がさぁ…ズルい。
電車の中で泣けてきちゃって、でも前に戻って読み直したりして。

『爆弾犬(The Loaded Dog』
鉱脈を掘っていた3人の男が魚を捕るために用意した爆弾を
いつの間にか犬がくわえています。
しかもごていねいに導火線に火まで点いて…
一目散に逃げる男たちと、じゃれつく犬の結末やいかに?

この物語と、もう一篇ニワトリが主人公の物語があるのですが、すごく笑えます。
ファンタジックではありませんが、動物たちの嬉しさや狼狽ぶりが目に見えるようで
読んでいて楽しくなりました。

ローソンは16年ほど暮らしたオーストラリアのブッシュを題材にした作品を
後年ロンドンで、しかもアル中の混沌の中で書いたそうです。
いくらオーストリアに実際に住んでいたとはいえ、まるで目の前にブッシュがあり
羊の毛刈り人がいるような話しっぷりには驚きました。

口当たりのいいことばかりを書いているような気もしますが
(例えば、白人以外は一切登場しません)そういう問題は他の方に任せて…
という感じで、自分が好きだった風景や人たちだけを思い出しながら描いた
作者にとって幸福な物語だったのではないでしょうか。

ローソン短篇集 岩波書店


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『見知らぬ場所』世界の何処にいても・・・

2009-07-30 00:08:02 | その他の国の作家
UNACCUSTOMED EARTH 
2008年 ジュンパ・ラヒリ

デビュー作『停電の夜に』 を読んだ時に絶対次回作を読もうと思ってました。
と言いつつ長篇『その名にちなんで』は未読なんですが
今回の短篇集、やはりなんとも言えない想いにとらわれ読み応えがありました。

前作同様アメリカやイギリスなどに暮らすインドの人々が描かれているのですが
今回はインドというよりベンガル人という部分が強調されているようでした。
不勉強でインドではなくベンガルとすることにどのような意味があるのか
皆目分かりません。
ただ独立運動やバングラデシュとの分割(by Wikipedia)など複雑な過去を持つだけに
日本人には理解できない深い思いがあるのかもしれません。

『見知らぬ場所(Unaccustomed Earth)』
母親が亡くなってから旅行好きになった父親が新居に滞在した1週間。
ルーマは無愛想だった父が黙々と庭を造ったり息子を遊ばせている姿を見て
一緒に暮らしてもいいのではないかという考えを持ち始めます。
しかし父の考えは違いました。 旅先で会いたい女性もいましたし…

『地獄 / 天国(Hell-Heaven)』
ベンガル人だということだけで家族同然の付き合いをするようになった青年
ブラナーフが家にやって来る日は、母の態度も料理もまったく違っていました。
けれど彼はアメリカ人のデボラと付き合い、母の予想に反して結婚の約束までします。
ウーシャは年頃になるにつれ万事ベンガル式の母に反抗しデボラに好意を持っていきます。

後半の3篇は独立した短篇ですが、ヘーマとカウシクのふたりの子供時代、青春時代
壮年期を描いたもので、ひとつの物語としても堪能できます。
最後にタイでおこった津波が書かれていて、現代に引き戻されたような気がしました。
その中の1篇を…

『年の暮れ(Year's End)』
カウシクが大学生の時、父がインドへ里帰りして再婚してきたと電話で知らされました。
クリスマスに帰省すると、亡くなった美しい母とは正反対の地味な女性チトラと
彼女のつれ子の幼いルーパとピウ姉妹がいました。
関わり合いになるのは避けたいカウシクでしたが姉妹とは次第に打ち解けていきます。
けれどある晩、怒りに燃えたカウシクは家を出て行くことになります。

8篇の物語の主人公のほとんどが、すっかり慣れ親しんだ海外の生活と
親から与えられるインドの考え方に戸惑いを感じているようです。
ただでさえ親と子の世代には異なった常識が存在しているというのに
全く文化の異なる国へ渡った親とその国で育った二世とのギャップは想像がつきません。
日系人でも同じことがあったんだろうなぁ…

今生活している場所が自分の国と言えるのか? この生き方でいいのか? という葛藤は
日本で生まれて日本で死んでいくであろう私には一生知ることはできない感情でしょう。
まあ、日本にいても「私の人生これでいいのか?」って思ったりするんですけどね

ちょっと話はそれますが…
全篇通して高学歴でエリートのインド(ベンガル)人ばかりが登場するのですが
考えてみたら2桁の九九ができてインド式計算があるという数学的能力に優れた国です。
IT大国だし30万円の車を開発している国です。
11億人を抱えるインドにはものすごいポテンシャルがあることを認識させられました。
日本はボヤボヤしていたらG8から滑り落ちることになるんじゃないかと不安になります。

見知らぬ場所 新潮社


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『バベットの晩餐会』セピアカラーが似合う

2009-05-29 00:34:05 | その他の国の作家
BABETTE'S FEAST 
イサク・ディネーセン(カレン・ブリクセン)

アカデミー賞とったってことですが、どんなふうに映画化したんだろうか?
かなり地味目な仕上がりになりそうな気がするんですけど…
モノクロームというかセピアカラーの映像が目に浮かぶ…今度観てみましょう。

『アフリカの日々』は持っているのですが覚えてないんです。
ヘミングウェイの『移動祝祭日』でディネーセンのことを読んだら気になったので
とりあえずこちらを手に取ってみました。
表題の他1篇が収められています。

『バベットの晩餐会(Babette's Feast)/1958年』
ノルウェーの小さな町の山麓にマチーヌとフィリッパという老姉妹が暮らしています。
ふたりは厳格な宗教指導者である父の教えに遵って世俗の快楽に背を向けてきました。
姉妹のもとで長年勤めてきたバベットはフランスからの亡命者でしたが
ある日宝くじで1万フランという大金を手にします。
バベットの願いを聞き入れた姉妹は、亡き父の生誕百年祝いの料理を
彼女に任せることにしましたが、キッチンに海亀などが運ばれて来たので
たいそう不安になり、バベットが魔女ではないかと思い始めます。

読む前には『美味しんぼ』みたいに料理の説明が多いのかと思いましたが違いました。
あらすじをさらっと書いちゃったけど、本当はすごく情感豊かな物語です。
料理は芸術なのか些末な家事にすぎないのか? バベットと姉妹の対比が興味深いですね。
言わんとすることは “ 贅沢と浪費は違うのだ ” ということになりますでしょうか?

『エーレンガード(Ehrengard)/1963年』
120年前にドイツのある公国でおこった出来事を老貴婦人が語ります。
孫が早く生まれてしまうことを取り繕うとした大公妃は、息子と気が合う画家のカゾッテに
相談をもちかけ、太子妃を人里離れた城に匿い出産をさせることにしました。
子供が無事生まれた後は3ヶ月間、誰の目にも触れさせないようにしなければなりません。
カゾッテは妃の侍女に将軍の娘エーレンガードを推薦しました。
閉ざされた城で過ごすうち、カゾッテは指一本触れずに
エーレンガードを誘惑したいと思うようになりました。

早いはなし、公子が結婚まで待ちきれなかったもんで、子供が早く生まれちゃう!という
醜聞をどうくい止めようかということから始まる物語なんですけどね。
語り手は物語を3つに分けて聞かせているんだけれども、読み手にしてみたら
なんだか物語のテーマが徐々にずれていってるような気がしないでもない…
カゾッテとエーレンガードの関係が骨子だということは分かりますが
他に目を奪われる要素が多すぎると思うのよね、短篇にしては。
恋愛小説としてもお家騒動を題材にした小説にしても物足りない気がします。
舞台やキャスティングはいい感じなんだけどなぁ…

落ち着いた文体でとても好感が持てる文章だと思いました。
沸き上がるものはありませんけど心穏やかに読めたと思います。

バベットの晩餐会 筑摩書房


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『アルプスの山の娘』ハイジです!もちろん

2009-04-10 01:35:51 | その他の国の作家
HEIDI 
1881年 ヨハンナ・スピリ

私の年頃だと「口笛はなっぜ~ 」で始まるアニメ『アルプスの少女ハイジ』で
あらすじは分かってるのですが、活字のハイジはどんな感じでしょう? と思い
読んでみることにしました。

訳(野上弥生子氏)によるところが大きいのかもしれませんが、子供に聞かせるような
やさしく丁寧な文面と、旧仮名づかいの難しい字面がミスマッチで愉快でした。
(この本の中では、ハイジはハイヂになっています)

カルピス劇場の『アルプスの少女ハイジ』はかなり原作に忠実にアニメ化していまして
厚着をしたハイジの登場から屋根裏でのベッド作りに始まり、フランクフルトで
おばあさんの白パンを隠したり、クララが山にやって来て元気になるところまで
ほとんど原作のとおりです。

読んでいるうちにハイジやおじいさんのみならず、セバスチャンやチネッテにいたるまで
鮮明に “ あの顔が ” よみがえってきました。 目頭が熱いです。
だけど何かが足りない…
おお、ヨーゼフ  ヨーゼフがいませんよ

なにからなにまで同じだとヨーゼフの不在が気になってしかたがありません。
山羊のユキちゃんもいるというのに…
ヨーゼフがいないということは、クララが立てるようになったいきさつも
違うということです。
たぶんドラマティックな効果を狙ってヨーゼフを登場させたんでしょうね。

以前『家なき娘』の時にも書いたような気がするのですが、子供の読む本だと思って
侮ってはなりませんね。
あらすじも概ね知っているというのに(あるいは知っていたからこそかもしれませんが)
わくわくしながら一気に読んでしまいました。

実はアニメのラストがどうだったか思い出せないのですが、アルムおじいさんは
自分の老い先が長くないと思い(75歳くらいかと思われる)、ハイジの行く末を案じて
ゼーゼマンさんに将来を託します。
ラストでは将来ハイジの保護者になるドクトルが、山の麓に3人で暮らすための家を
リフォームしてたりするのですが…
子供にもちゃんと “ 死 ” を意識させようということでしょうか?
おじいさん、まだまだ元気そうなんですけど。

ハイジの将来は安泰として、ペーターが心配です。
怠け者すぎるでしょ… それにハイジべったりというのも困りものです。
将来ハイジに好きな人ができたらどうするんでしょうね?
なんて、いらない心配までしてしまいました。
(たしかふたりのその後を描いた映画があったような気がします。観たくないが)

少女時代に読んだけど『赤毛のアン』とか『若草物語』なんかをまた読んでみようかね。

アルプスの山の娘―ハイヂ 岩波書店


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