SLIGHTLY OUT OF FOCUS
1947年 ロバート・キャパ
この間(めずらしく韓流以外の)テレビを観ていたら、名前は失念しましたが
今ブレイク中の戦場カメラマンの方がキャパのことを語っていました。
「そういえば持ってたんじゃない?」と思って本棚を漁ったら見つかりました。
どうしてこの本を買ったのかはもう覚えていないんですが読んでみることに…
キャパが従軍カメラマンとして同行した第二次世界大戦の戦闘と
愛するピンキィのことを綴ったエッセイです。
キャパはハンガリー国籍のユダヤ人で、連合国側から見れば敵国人です。
そんな彼が連合国側の従軍カメラマンになった経緯や、親しい軍人や記者たち、
北アフリカ、イタリア、フランス、ドイツの各地で目にした戦闘の現場を
時に軽妙に、時に神妙に記しています。
カメラマンだからといっても身の安全は何も保証されません。
それどころかキャパは、地雷原に足を踏み入れる、落下傘で敵地に降り立つ、
戦闘の最前線の兵士たちの塹壕へ飛び込む、と自ら危険に身を晒しています。
圧巻はD-Day、いわゆるノルマンディ上陸作戦に同行した際のルポです。
上陸前夜、護送船で夜中の3時にいつもより上等な朝食をボーイに給仕される兵士たち、
しかし兵士たちはほとんど口に運ぼうとはしません。
タグボートで海に降ろされる時、多くの兵士たちが嘔吐します。
危険な任務の先頭をきっていく若い青年たちの恐怖を思うといたたまれません。
キャパは第一陣とともに、ドイツ兵が待ち構える砂浜に向かいます。
驚いたのは兵士に混じって従軍医と従軍牧師が浜辺に降り立ったこと。
彼らももちろんドイツ兵の標的に変わりはありません。
正直、ある程度落ち着いてから上陸すればいいのでは? と思いましたが
彼らは彼らなりの使命感を抱えて参戦しているのですね。
カメラマンのキャパにとって、伝えたい真実はレンズを通して見た
光景だけだったのかもしれません。
手記ではどちらかというと、出撃前夜のパイロットとポーカーを楽しんだり
兵士たちが故郷で待つ恋人たちの自慢をしあったり
攻め込んだ各地の女性たちに熱烈な歓迎を受けたりと
むしろ “ 愉快な軍隊生活 ” みたいな場面も書き残しています。
それだけに、仲間が空中戦の後一人減ってポーカーをやらない夜のことや
作戦前に兵士が黙々手紙を書くという簡単な一文が胸にぐっときます。
ヨーロッパ戦争が終わった朝の場面で手記は終わりを迎えますが
第二次大戦は終わっていません。
キャパが親しくしていた記者のアーニー・パイルは沖縄で亡くなっています。
日本は敵国だったんですものね。
そして、その後も戦争が無くなっていないことは周知の事実ですよね。
キャパは1954年にベトナムで亡くなっています。
文中 “ 特種 ” を求める気持ちや、自分の写真が一面を飾ったことの喜びが
度々書かれていますが、実はそれは本音ではないような気がします。
砲弾飛び交う中、シャッターをきり続けるキャパは
使命感という言葉では言い表せないようななにかに突き動かされてたみたいでした。
1947年 ロバート・キャパ
この間(めずらしく韓流以外の)テレビを観ていたら、名前は失念しましたが
今ブレイク中の戦場カメラマンの方がキャパのことを語っていました。
「そういえば持ってたんじゃない?」と思って本棚を漁ったら見つかりました。
どうしてこの本を買ったのかはもう覚えていないんですが読んでみることに…
キャパが従軍カメラマンとして同行した第二次世界大戦の戦闘と
愛するピンキィのことを綴ったエッセイです。
キャパはハンガリー国籍のユダヤ人で、連合国側から見れば敵国人です。
そんな彼が連合国側の従軍カメラマンになった経緯や、親しい軍人や記者たち、
北アフリカ、イタリア、フランス、ドイツの各地で目にした戦闘の現場を
時に軽妙に、時に神妙に記しています。
カメラマンだからといっても身の安全は何も保証されません。
それどころかキャパは、地雷原に足を踏み入れる、落下傘で敵地に降り立つ、
戦闘の最前線の兵士たちの塹壕へ飛び込む、と自ら危険に身を晒しています。
圧巻はD-Day、いわゆるノルマンディ上陸作戦に同行した際のルポです。
上陸前夜、護送船で夜中の3時にいつもより上等な朝食をボーイに給仕される兵士たち、
しかし兵士たちはほとんど口に運ぼうとはしません。
タグボートで海に降ろされる時、多くの兵士たちが嘔吐します。
危険な任務の先頭をきっていく若い青年たちの恐怖を思うといたたまれません。
キャパは第一陣とともに、ドイツ兵が待ち構える砂浜に向かいます。
驚いたのは兵士に混じって従軍医と従軍牧師が浜辺に降り立ったこと。
彼らももちろんドイツ兵の標的に変わりはありません。
正直、ある程度落ち着いてから上陸すればいいのでは? と思いましたが
彼らは彼らなりの使命感を抱えて参戦しているのですね。
カメラマンのキャパにとって、伝えたい真実はレンズを通して見た
光景だけだったのかもしれません。
手記ではどちらかというと、出撃前夜のパイロットとポーカーを楽しんだり
兵士たちが故郷で待つ恋人たちの自慢をしあったり
攻め込んだ各地の女性たちに熱烈な歓迎を受けたりと
むしろ “ 愉快な軍隊生活 ” みたいな場面も書き残しています。
それだけに、仲間が空中戦の後一人減ってポーカーをやらない夜のことや
作戦前に兵士が黙々手紙を書くという簡単な一文が胸にぐっときます。
ヨーロッパ戦争が終わった朝の場面で手記は終わりを迎えますが
第二次大戦は終わっていません。
キャパが親しくしていた記者のアーニー・パイルは沖縄で亡くなっています。
日本は敵国だったんですものね。
そして、その後も戦争が無くなっていないことは周知の事実ですよね。
キャパは1954年にベトナムで亡くなっています。
文中 “ 特種 ” を求める気持ちや、自分の写真が一面を飾ったことの喜びが
度々書かれていますが、実はそれは本音ではないような気がします。
砲弾飛び交う中、シャッターをきり続けるキャパは
使命感という言葉では言い表せないようななにかに突き動かされてたみたいでした。