宗祖親鸞聖人のご正忌法座を下記の様に営みます。極寒の最中ですが、どうか万障お繰り合わせてご参詣下さいませ、本堂を出来うる限り暖かくしておきます。
日時:1月16日昼席 午後1時始め 「絵ものがたり正信偈」の朗読法話
16日夜席 午後7時始め
17日朝席 午前10時始め
おとき 正午より
講師:広島県三次市 東光坊ご住職 坂原英見(さかはらえいけん)先生がご出講くださいます。
覚如上人があらわされた「御伝鈔」には親鸞聖人は弘長2年(1262)11月二十日頃よりお加減が悪くなられ、世間のことは口にされなくなり、申されることは仏恩の深いことを申され、称名は絶えることなく申されておられましたが、28日の午の刻(正午より2時頃)そのお念仏の声が絶えました。その時が聖人のご往生の時でした。御歳は90に満ちておられました。と記されています。
東山鳥部野の南辺、延仁寺でお別れの葬送、荼毘が行われ、ご遺骨は大谷に納められたとあります。
この「御伝鈔」の4幅の御絵伝は本堂右余間にお掛けいたしました。ご拝観ください。
日時:1月16日昼席 午後1時始め 「絵ものがたり正信偈」の朗読法話
16日夜席 午後7時始め
17日朝席 午前10時始め
おとき 正午より
講師:広島県三次市 東光坊ご住職 坂原英見(さかはらえいけん)先生がご出講くださいます。
覚如上人があらわされた「御伝鈔」には親鸞聖人は弘長2年(1262)11月二十日頃よりお加減が悪くなられ、世間のことは口にされなくなり、申されることは仏恩の深いことを申され、称名は絶えることなく申されておられましたが、28日の午の刻(正午より2時頃)そのお念仏の声が絶えました。その時が聖人のご往生の時でした。御歳は90に満ちておられました。と記されています。
東山鳥部野の南辺、延仁寺でお別れの葬送、荼毘が行われ、ご遺骨は大谷に納められたとあります。
この「御伝鈔」の4幅の御絵伝は本堂右余間にお掛けいたしました。ご拝観ください。