とにかくお慈悲の力は ぬくいでなあ 源左(げんざ)
一月を飾る法語は山陰青谷町に生まれた妙好人「足利源左」の語録から選ばれています。源左さんの語録はどこを読んでも土や
草や太陽の香りがして来ます。そのまゝの日暮にお念仏がそのまゝ働いていて下さっているからなのでしょう。
19才の青年期から聞法に励みながらも中々聞き開くこと出来ず苦悶する時期があられましたが、ある時、牛(でん)を連れての山での労働
中にお念仏のお心に目覚めることが出来たことをいつも語っておられたと伝えられています。
おらあ、牛(でん)めに、えゝご縁をもらってやあ。・・・」
源左さんの生まれは天保13年4月19日の誕生、昭和5年2月20日の往生、行年89才であられました。
当山の前住三智は龍大に在学中(大正末から昭和5年)に興教書院発行の信仰雑誌「法の園」の編集に携わっていました。1年
後輩の同じ編集員に鳥取県から来ておられた辛川忠雄さんと云う方がおられました。この辛川さんが同郷の尊い念仏者足利源左に
ついて2ヶ月にわたって紹介文「妙好人源左同行を語る」を掲載したのが世に知れる最初であったと話してくれたことがありまし
た。源左さんは辛川さんの寺、鳥取市用瀬町の正覚寺で学生の辛川さんと同じ部屋に寝たこともある程親しい間柄であったようで
す。源左さん86、7才の頃の、
「法の園」の辛川さんの記述のナンバーのみが書庫にみられないのが残念なことです。今、昭和53年刷の柳宗悦・衣笠一省編
集の「妙好人因幡の源左」を参考にしてこのブログをまとめています。
源左さんの口癖「ようこそ、ようこそ、なんまんだぶつ」、「とにかくお慈悲の力は ぬくいでなあ」とつぶやく源左さんの心
はあたたかく、その清いあたたかさは近隣の人々の心をいつまでもいつまでもぬくめつづけていました。尊い人であられました。