万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

菅 清光さんのこと

2013年01月10日 | Weblog
                             
                             平成18年5月本堂起工式での菅清光さん


 去る1月6日宗方の菅清光さんが今治の病院に於いて静かにご逝去になられました。行年96才であられました。

清光さんは90を越えるお歳で矍鑠として世事のことや寺のお世話をして下さっていました。30数才の頃から10期40年町会

議員を務められ、その後寺の総代にご就任いただき、万福寺本堂造営事業には建築委員長を務めて下さり、本堂完成に尽力下さい

ました。本当に有難く御礼を申し上げます。

 清光さんは戦時中は戦争に出征されていましたが、戦後の社会が目標を失った中で、ご法座に足を運ばれては聞法に励んでおら

れた姿が目に浮かびます。私が少年時代の頃のことです。清光さんは自らには厳しく家族や近隣の人には優しく接する方でした。

私自身教えられることの多い方でした。合掌



                        
                         冬ばら 福山にて


                               
                              岡山鷲羽山からの夕日 瀬戸内海落日    
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一月の法語

2013年01月08日 | Weblog
                                       


    とにかくお慈悲の力は ぬくいでなあ     源左(げんざ) 

 一月を飾る法語は山陰青谷町に生まれた妙好人「足利源左」の語録から選ばれています。源左さんの語録はどこを読んでも土や

草や太陽の香りがして来ます。そのまゝの日暮にお念仏がそのまゝ働いていて下さっているからなのでしょう。

 19才の青年期から聞法に励みながらも中々聞き開くこと出来ず苦悶する時期があられましたが、ある時、牛(でん)を連れての山での労働

中にお念仏のお心に目覚めることが出来たことをいつも語っておられたと伝えられています。

   おらあ、牛(でん)めに、えゝご縁をもらってやあ。・・・」 

 源左さんの生まれは天保13年4月19日の誕生、昭和5年2月20日の往生、行年89才であられました。

当山の前住三智は龍大に在学中(大正末から昭和5年)に興教書院発行の信仰雑誌「法の園」の編集に携わっていました。1年

後輩の同じ編集員に鳥取県から来ておられた辛川忠雄さんと云う方がおられました。この辛川さんが同郷の尊い念仏者足利源左に

ついて2ヶ月にわたって紹介文「妙好人源左同行を語る」を掲載したのが世に知れる最初であったと話してくれたことがありまし

た。源左さんは辛川さんの寺、鳥取市用瀬町の正覚寺で学生の辛川さんと同じ部屋に寝たこともある程親しい間柄であったようで

す。源左さん86、7才の頃の、

 「法の園」の辛川さんの記述のナンバーのみが書庫にみられないのが残念なことです。今、昭和53年刷の柳宗悦・衣笠一省編

集の「妙好人因幡の源左」を参考にしてこのブログをまとめています。

 源左さんの口癖「ようこそ、ようこそ、なんまんだぶつ」、「とにかくお慈悲の力は ぬくいでなあ」とつぶやく源左さんの心

はあたたかく、その清いあたたかさは近隣の人々の心をいつまでもいつまでもぬくめつづけていました。尊い人であられました。
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平成25年法語カレンダー

2013年01月03日 | Weblog


 今年1年の法語カレンダーは昭和から平成へと親鸞聖人のお念仏に生きられた方々12の遺された尊いお言葉が法語として掲げ

られています。その表紙には金子大栄先生のお言葉 「念仏は自己を発見することである」 のお言葉が挙げられています。

金子大栄先生は明治14年のお生まれ、新潟県のご出身です。真宗大学卒業後清澤満之先生主宰の浩々洞に入られ東洋大、大谷

大、広島大学で講じられ多くの学生や求道する人々を導かれました。その講義録や講演録は著作となって多く残されています。

 表紙の法語「念仏とは自己を発見することである」のお心は如来さまがこの私を見抜いて救う全ての手立てを完成された輝き、

光に遇うままがこの私の本当の私を知ると云うことなのであると味あわせていただきました。

今年一年の法語は昭和の時代を生きられた念仏者、妙好人の残されたお言葉からお念仏の光に照らし出された「自己」をテーマ

として選ばれているようです。それでは一月の法語について味わってみたいと思います。


コメント (2)
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謹賀新年

2013年01月01日 | Weblog
                   
                   玄関や所々に置いた正月の花
                               赤と白の椿はいずれも侘助椿です


 明けましておめでとうございます。
   本年も宜しくお願いいたします。

 昨夜、11時40分より除夜の鐘を撞き始め12時10分に108を撞き終え、続いて喚鐘を七五三に打って修正会勤行を正信

偈をもって行いました。

 法話を住職がお話いたしました。

過ぎし平成24年も世界に、日本に、近隣に、各家庭にそして自分自身の身の上に止まることがない変化の中に生かされて来ました。その変化に時に涙し、辛い思いを抱き、また安堵感や嬉しさ

にも浸ったことです。新しい平成25年もこの変化はたゆまなく続いていくことでしょう。そして時としてどうしようもない悲しみや辛さを背負わなければならないようになるかも知れません。

しかしその私を如来さまは常に「悲しくとも、辛くとも大丈夫、そのあなたと共に歩みます」と寄り添っていて下さるのです。そのすがたを「ナモアミダブツ」と申すのです。とお話ささせて頂

きました。


                           
修正会にお参りに来られた宗方へ帰郷のN・Kさんが下さったお餅。毎年ご兄弟が帰郷してお餅を搗くのだそうです。ヨモギの入った草餅、キビの入ったキビ餅もあります。ここ数年同じように頂きます。お雑煮にして美味しく頂いています。
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