ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

南海の紫煙

2006-10-22 02:11:46 | その他の日本の音楽


 下は、旧友の”鉄の目キリコ”さんの掲示板で3年ほど前でしたかねえ、交わしましたあるタバコに関する会話の抜書きです。別の場所でタバコが話題になっていたので、ふとこの会話を思い出し、懐かしくなって再録する次第です。その後、ネット世界から疎遠になってしまっているキリコさんに「帰ってこいよ~」との願いを込めつつ。

南島の紫煙 投稿者:マリーナ号 投稿日: 2月21日(金)02時45分32秒

☆屋嘉節 by松田永忠・石原節子

”なちかしや沖縄 戦場になやい 世間御万人の 流す涙流す涙
 心勇みゆる 四本入りたばく 淋しさや月に 流ちいさゆささゆさ”

沖縄のローカルレーベル各社から出されたシングル盤のアンソロジィであるCD、「チャンプルーシングルズ」のシリーズ第二集、第二次世界大戦に絡んだ歌を集めた「平和の願い」の末尾に納められた歌である。
沖縄の地を苛酷な戦火の坩堝に叩き込み、戦争は終わった。傷つき、疲れ果てた身を収容所に横たえ、ただ、平和だった頃の故郷や恋人の夢を見るだけの主人公。その心を慰めてくれる配給のタバコ。心の寂しさを月に流してしまおうと試みるのだが・・・

投稿者:鉄の目キリコ 投稿日: 2月24日(月)02時46分50秒

大戦がらみの沖縄の煙草ソングですか、これは意表を衝かれました。相も変らぬ博覧強記ぶり(音楽の場合もこの言葉でいいのだろうか?)には感心させられますです。
「心勇みゆる 四本入りたばく」つーフレーズになぜかぐぐっと来てしまいました。娯楽がほとんど皆無であろう収容所生活では、この4本のタバコを大切に大切に深々と吸う時間はなにものにも替えがたいものだったのでしょうね。くゆる紫煙の向こうに煌々と輝く月を眺めながら故郷や恋人に想いを馳せ・・・そして彼は帰ることができたのでしょうか。。。

あ、関係ないけど琉球方言では「たばく」と言うのか。ひとつ賢くなったぞ。

四本入りたばく 投稿者:マリーナ号 投稿日: 2月24日(月)20時36分44秒

先に紹介しました「屋嘉節」に出てくる”四本入りたばく”ですが、これは裏が取れていない私の推測だけの話なので書かなかったのですが、もしかしたら戦時中、兵士たちに上官から「天皇陛下のお心である!」と手渡された”恩賜のタバコ”である可能性もあります。
だとすると、この歌の奥行きはさらに深くなります。敗残の兵として米軍の収容所に収監されている主人公が、おそらくは沖縄現地徴用の「皇軍兵士」であった頃に与えられた菊の御紋章入りのタバコをくゆらせ、心の慰めとしている。”心勇みゆる”の一言にも、二重三重の意味が加わってきます。まあ、確証が取れていないので、何とも言えないのですが。
恩賜のタバコと言ってもピンと来ないでしょうが、映画「戦場のメリークリスマス」の中で、ビートたけし演ずる軍曹が、坂本龍一演ずる将校からこのタバコを手渡され、最敬礼で受け取るシーンがあります。画面いっぱいに菊の紋章入りのタバコがアップになりますが、意味の分からない人がほとんどだったのではないか。
もっと身近かな例を挙げますと、今の天皇陛下が皇太子時代、私の家の三軒となりのホテルに宿泊された事があるのですが、その際にも宿の主人に恩賜のタバコが渡されたとのこと。まあ、そんな形で使われてきたタバコであるわけです。
この恩賜のタバコ制度も、嫌煙権運動との兼ね合いで廃止されたとか廃止が検討されているとか聞きましたが、どうなりましたか・・・

投稿者:鉄の目キリコ 投稿日: 3月 1日(土)00時02分42秒

>(”四本入りたばく”)もしかしたら戦時中、兵士>たちに上官から「天皇陛下のお心である!」と手渡された”恩賜のタバコ”である>可能性もあります。
なるほど、興味深い仮説ですね。確かにそれが「恩賜のタバコ」なら歌詞の意味も随分変わってくるし、「彼」の生き方や後人生の解釈というか推測も大分変わらざるをえませんね。同時代の方が歌詞を読めば感覚的にわかるのかもしれませんが・・・。
でもどうなんでしょ、米軍の捕虜収容所で「恩賜のタバコ」が配給されることなんてあったんでしょうかね?わたしゃやっぱりこれはラッキーストライクかなにかの米軍配給の煙草だったと思いたい。だって、本土防衛の盾にされ故郷も焼かれて捕虜にされ、つまり人生を台無しにされた上に、それでもまだ「天皇陛下からの賜り物」に「心勇みゆる」んじゃあ、あまりにも救いがないではありませんか。。。

虚しき栄誉 投稿者:マリーナ号 投稿日: 3月 1日(土)16時40分48秒

むふふ、鉄の目さん、その理解は甘いっ!「四本入りたばく」が恩賜のタバコだった場合、この歌には、より深い戦争への異議申し立ての意味が加わるのです。

恩賜のタバコを受けて「国家のためにご奉仕するぞ!」と心勇む日本帝国軍人、というのが、本来の形であるのです。建前としては、晴れがましい姿です。
が、この歌の主人公は敗残の兵であり、彼の知故は戦いで命を落とし、町は破壊されている。そんな環境で一人、本来なら栄誉である筈のタバコ、空を見上げて誇らしい思いで口に運ぶはずのタバコを、彼は、まったく救われないない状況で、真っ暗な気持ちでくゆらす訳です。その味の苦さ。
「心勇む」と、本来”臣民”が言うべき慣用句を口にするものの、そのなんと味気なく無意味である事か。一体なんだったんだ、このタバコと共に受け取った「栄誉」って?「心勇みゆる」に、二重三重の意味が出てくる、と書いたのは、そういう事を言いたかった訳で。
意義を失ってしまった恩賜のタバコの苦さの向こうに、「栄えある大日本帝国」の幻想と、その末路たる悲惨な現実が浮かび上がってくる。深い深い歌になる訳です。
とは言っても、それが恩賜のタバコであるって確証はないんですけどね、やっぱり。

投稿者:鉄の目キリコ 投稿日: 3月 2日(日)00時40分50秒

ふむふむなるほろ~。「四本入りたばく」が恩賜のタバコだとすると、確かにそういったより深い解釈も生まれますね。声高な言葉よりも静かな情景によって戦争なるものの幻想と現実を浮き彫りにする、静かながらも痛烈な反戦メッセージを込めた歌、となりましょうか(まさに「平和の願い」ですね)。
私も個人的にはこういう奥行きの深い解釈のほうに惹かれるのですが・・・んでも!やっぱり引っかかるのは「米軍の捕虜収容所で、敗戦国のシステムであった『恩賜の煙草』を相当数の捕虜たちに毎日配給してあげた」なんて事実があったのか?ということなのですね。米国の強さと正しさを教え込まねばならない捕虜たちにかつての敵国の親玉の下され物をわざわざ配給してあげるなんて、例えは悪いが、例の同時テロの容疑者たちに刑務所内でコーランの最も過激な一節を毎日朗読してあげる、くらい不自然かつ危険な行為だと思うのですが。
あと、捕虜たちが何千人いたのかは知りませんが、全員ではないにせよ彼らに毎日4本「恩賜の煙草」を配給するとなると物凄い本数のタバコが必要になるわけで(千人に配給するとしても、1ヶ月で12万本!)。敗戦でずたぼろになった国土の中、それらを米軍がどこからどうやって調達したのかというのも大きな疑問です。
この「WHY?」と「HOW?」の二つの疑問があるからわたしゃ「四本のたばく=ラッキーストライク(とは限らんが)説」を採るのですよ。もっとも「え?俺は捕虜収容所で恩賜の煙草もらったぜ?」という体験者の方の一言で吹き飛んでしまうような、説というより単なる憶測に過ぎないものだということは重々承知でありますが。

どなたか体験者の方はここにいらっしゃらないでしょうかねぇ?いらっしゃらないでしょうねぇ・・・。
ああそうか、こうやって歴史は記憶から記録に変わっていくのだなぁ、などとしみじみ感じたり。