ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アパラチアに憧れて

2006-02-09 03:23:16 | 北アメリカ

 ジョン・セバスティアンの”Facs Of Appalachia”は、彼独特のなかなか深い”古アメリカ幻想”に酔わせてくれる曲である。(1974年作、アルバム”Tarzana Kid”所収)

 「ビルだらけの街に生まれ、地下鉄の響きを子守唄に育った」と、ニューヨークっ子である自身の出自から歌いだされ、やがてアメリカ東部に雄大に広がるアパラチア山脈と、そこに繰り広げられてきた古くからの人々の暮らしに寄せる憧憬の念が、素朴なアパラアチアン・ダルシマーの響きと、それに被さるリトル・フィートのロウエル・ジョージのスライド・ギターに寄り添われ歌い上げられて行く。

 半ズボンに履き慣れたスニーカーでニューヨークの下町を闊歩しながら、発見したばかりの宝箱、アパラチアの伝承音楽に心ときめかしたジョンの少年時代の思い出がいまだ生き生きと息ついているようだ。
 ふと空を見上げれば、そこは高層ビルに切り取られた四角い空だが、その灰色の空の彼方にアパラチアの山塊は確かに存在しているのであり、百年もの時を越え、峻険な山を息を切らして登って来た蒸気機関車が山奥の町に着き、町の家々からはバンジョーの響きが漏れ聞こえる、アメリカ人の心のふるさととも民謡の宝庫とも称せられるアパラチアの日々の幻想がたち現れる。

 そんな現実と幻想の距離感が快い。かって存在したもの。今でも存在しているのかも知れないもの。もう失われてしまったもの。そのような世界に思いをはせる際の血のざわめきが、この歌には歌い込まれている。

 アメリカ東部に縦断するアパラチア山脈の尾根伝いにおよそ3500キロ続く、アパラチア・トレイル。アメリカ開拓時代、ヨーロッパからやって来た移民たちは、まずアメリカ東部に到着してその暮らしを確保、次にアパラチア山脈を越えて、「西部の開拓」を行っていった。アパラチアはそのまま開拓時代の、いわば原点である古いアメリカの史跡が残る場所でもある。
 ヨーロッパ各地から移民たちが持ち来たったそれぞれの民謡は、山塊の暮らしの中にさまざまな形で痕跡を残す。あるいは混じりあい、あるいは孤高の位置を保持しつつ。ブルーグラス音楽もヒルビリー音楽も、ともかくアメリカの土の匂いのする白人音楽は、かっては皆、この山塊からやって来た。

 かねてよりの疑問をある人にぶつけてみた事がある。「確かにアパラチアの音楽は好きだが、突出して好きな音楽というわけではない。にもかかわらず、欲しい楽器を挙げて行くとアパラチアン・ダルシマー、オートハープと、アパラチアの楽器ばかりになってしまう。これはどういうわけだろう?」と。その人、答えていわく。「アパラチアの楽器はどれも、特に高度な音楽教育を受けたわけでもない移民たちが弾きこなせたレベルの、会得の容易な代物が多いから手を出し易いのではないか」と。なるほど。

 ある意味、そんな手軽な秘境(?)としての気安さもアパラチア音楽の魅力の一つと言えるのかも知れない。無茶な説だが、そういえば我々は、たとえばディズニーランドのような場所で、縁もゆかりもないアパラチアのふるさと幻想にしばし触れて楽しむ、なんて事も普通にやっているのだものなあ。






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