これは既に記事に書いたかもしれないし、そうでなくともなんとなく気がついていた方もおられようが、昨年末より体調不良です。あちこち不調でかなり厳しい。しかも、医師に症状を話してみたものの、その反応が「ん?そんなことあるのかな?」というものだったので、何やら心もとないものがある。連休明けより検査検査の日々が始まるが、どうなりましょうか。
思えば私の年齢は、父の亡くなった年齢にもうすぐ手が届くところに来ている。それ以後も平均余命は伸びているのだし、糖尿病の合併症を起こしつつ飲んだくれ飽食していた父の享年など楽勝で超えることになるんだろうなと想像していたのだが、生きてあるだけでも大変な作業だよなあと遠い目などしてみる日々である。
そんな日々、ふとロシア民謡の「鶴」を聴いてみたくなった。
なんのことはない、漫画家の吾妻ひでおが自身のアルコール中毒との戦いを描いた作品の中で、なぜかは分からぬままこの歌に強くこだわり、渇望というくらいの勢いで聴くことを欲していたから。
もとより普通の精神状態ではないその時点の彼の、揺れ動く心象が求めた救いの象徴が、かのロシア民謡だったなら、まだ正体定かならぬ病に苦しめられ、先の不安に苛まれる自分の救いにも、もしかしたらなるのかもと、まあ、そんな思いつきで聴いてみたくなった次第。
盤を手に入れ聞いてみれば、まあいわゆるロシア民謡のメロディであり、しみじみと伝わってくるものがあるが、吾妻のこだわりのよって来るところはよくわからない。この歌は、日本ではダークダックスで知られているとのことだが、私よりちっと前の世代の吾妻はそのヴァージョンを聞いて、この歌に親しんでいたのだろうか。そんな風にして歌に馴染んだ世代でなくては分からぬなにごとかが、歌の背景に横たわっているのかもしれない。
ロシア民謡と書いたがこの曲は、多くの”ロシア民謡”として知られている歌の数々と同じく、実際は民謡でなく、きちんと専門の作詞作曲者によって書き下ろされた”歌曲”である。
この”鶴”は、旧ソ連邦内の自治共和国ダゲスタンの詩人が、広島の原水禁大会に参加した感激で書き上げたものだそうな。そのようなことに素直に感動できた時代。まだ”運動”も若く、彼らがまとっていた素朴な白のワイシャツと同じくらい、その想いもまた穢れ無きかと信じられた。そんな時代の出来事。
戦場で散った戦友は死んでしまったのではなく、鶴に姿を変えて大空を飛んでいるのだ、と。歌は歌っている。ダゲスタンという国に関するなんの知識もない。カフカス山脈とカスピ海に挟まれた小国。イメージしようとするのだが、脳裏に浮かぶのは日本鶴の舞う富士山麓の風景だったりする。
”鶴”は、言われてみれば確かに韓国の人たち好みのメロディと言えるかもしれません。歌の流布した過程、調べてみればいろいろ出てくることでしょう。
2カ月ほど前からお邪魔しております。
素晴らしい歌との出会いや、
これまでに聴いてきた音楽に関する嬉しい発見があり、
とても感謝しております。
そんな中のひとつが、
この記事で紹介された「鶴」です。
韓国歌手のパク・ジンガン氏の歌うこの曲、どこかで聴いたもかなかなか思い出せなかったものです。
http://www.youtube.com/watch?v=jxinNdD5Wlc
ありがとうございます。
これからも引き続き拝読させていただきます。
よろしくお願いします。