ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

赤道ディスコティック

2012-10-08 04:50:54 | アフリカ

 ”Dancing Time”by The Funkees

 副題に、”The Best Of Eastern Nigeria's Afro Rock Exponents 1973-77”とあり。
 以前、この場で取り上げた70年代にナイジェリアで燃え上がったアフロロックやサイケデリックのコンピレーション・アルバム、”The Warld End”にも一曲収められていた当時、東ナイジェリアのトップバンド、その名も恥ずかし”ファンキーズ”の、ソロ・アルバムが出てしまっていた。
 70年代に出された彼らの2枚のLPとシングル盤からのピックアップとのこと。またも日の目を見る、幻の名演集。これが期待に違わぬ見事なアフロ・ファンクロックの熱演集で、嬉しくなってしまうのだった。まったく。アフリカには不遇に終わった名バンドの記録が一体いくつ眠っていることやら。

 ともかく丸太でぶん殴られるようなどす黒くてぶっといアフリカン・ファンクの粗暴なエネルギーの暴走は爽快の一語に尽きる。リンガラやジュジュなどといった音楽が表舞台で美しい洗練の花を咲かせているその裏通りで、こんなに熱っぽいセッションが日々、燃え上がっていたとはね。
 リズム陣やボーカル隊の熱演もたまらないが、グルグルととぐろを巻くようにインプロヴィゼーションを紡ぎ上げてサイケの炎を燃え上がらせるギターや、チープな音色ながらあくまでファンキーに迫るキーボードのプレイが、なんだか60年代末、日本のGSが夢見たニューロックの残滓みたいに聴こえて、こんなのはこちらの勝手な思い入れと自覚しながらも必要以上に熱くなってしまうのだった。

 もう、「アフリカに先祖返りをしたアフロ・キューバン系音楽がアフリカ風の洗練を受け」なんて話はまだるっこしいからやめるのはどうかね。
 その代わりに、これらアフリカン・ファンクの発掘音を聴き、「アフリカはヨーロッパの都合で大西洋を行ったり来たりの地獄の旅をさせられたが、どちらに行っても図太い真っ黒なグルーブは変わることがなかった」でいいんじゃないか。と思ったりする。






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