盤がどこかにもぐりこんでしまったので、うろ覚えの英語歌詞のいい加減な和訳で申し訳ないが。大物ブルース・シンガー、ボビー”ブルー”ブランドの80年代の優しく美しいバラード、”メンバーズ・オンリー”である。
”メンバーズ・オンリー。これはプライベートなパーティなんだ。文無しでも気にするな。小切手帳なんか持って来るなよ。お前の壊れたハートだけあればいいんだ。今夜はメンバーズ・オンリーなんだから。
お前は女に振られたのか。そこのあんた、あんたの前の男はそんなにひどい奴だったのか。そりゃ人生にはいろいろ辛い事もあるよなあ。今夜はそんな、寂しくって哀しくってたまらない奴のためのパーティなんだ。メンバーズ・オンリーなんだよ。
おふくろさんにもオヤジさんにも声をかけてくれ。そいつが黒人だろうと白人だろうとアジア人だろうとインディアンだろうとかまわない。今夜は哀しいハートのためのパーティー。メンバーズ・オンリーなんだよ”
本来、金持ちしか入れてやらない会員制クラブの入り口に掲げられているはずの”メンバーズ・オンリー”の語を、まるで逆の意味で使っているのが素晴らしかった。
人間の生まれながらに持つ哀しさ寂しさ、その前では、”レッドであろうとイエローであろうと、ブラックであろうとホワイトであろうと”同じことと、黒人の側から手を差し伸べるブランドの、ディープな歌唱に酔ったものだった。
お話変わって。この間の選挙におけるコイズミ党の、彼ら自身も驚きの大勝利の原因に関してある人がこのように分析していた。
「もう人々は、権力を持つ人に疑いを持ったり反発を感じたりするのに疲れてしまい、コイズミに一票を投ずる事によって、コイズミの側に、つまりは”勝ち組”の一員に迎え入れられた幻想に陥ったのではないか」と。
ある意味、”コイズミへの一票”は、深い深い絶望の表現だったとも言えるわけだろう。
アメリカの黒人は。おっと。昨今では、この”黒人”と言う言い方自体が問題があるという事になっているらしい。”アフロ=アメリカン”と言わねばならないという。”ブラック・ユーモア”なる言い回しも、「忌むべき色としての黒のイメージを演出する」として”黒人”の側から非難の的ともなるそうな。
私が音楽に夢中になり始めた頃、ファンクの始祖、ジェイムス・ブラウンは強力なリズムに乗せて「俺は黒い、それが誇りだ」とシャウトしていた。黒人たちの掲げた旗には、”ブラック・イズ・ビューティフル”と書かれていた。
が、時の流れの中で、「我々は黒い、それが誇りだ。黒は美しい」という主張はいつか、「我々を忌むべきイメージの”黒”で呼ぶな」へと堕ちてしまった。
今夜も世界中は、”寂しくって哀しくってどうしようもない奴”で溢れそうなのに、ブランドのパーティには閑古鳥が鳴いている、そんな気がしてならない。そのような場にいるのは、どう考えたって、”勝ち組”幻想をぶち壊す事にしかならないわけだから。