ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

バートン・クレーンの世界

2008-06-29 02:09:46 | その他の日本の音楽


 ”バートン・クレーン作品集”

 戦前の日本のジャズソングを集めたアルバムなど聴いていると時に外国人歌手による不思議な日本語の歌が紛れ込んでいるのに出逢う。「家に帰りたい 野心がありません 頭が痛い おなかが大変」なんて調子の舌足らずの日本語をとぼけた調子で歌った、なかなかに人を食った出来上がりの曲ばかりである。

 ああ、この時代にもすでに我が国の芸能界には”外タレ”というのがいて、こんな奇妙な歌を歌ってウケを取っていたのかなあなどと感心したものだ。

 ちなみにその歌手、バートン・クレーンの本業は当時日本で発行されていた英字新聞、”ジャパン・アドバタイザー”の記者である。彼が宴会の席でアメリカのポピュラー・ソングに日本語の妙な歌詞を付けて歌っているのを聴いたレコード会社の社長(米国人)が吹き込みを薦めたのが事の始まりのようだ。基本は宴会芸なのですな。

 2006年にバートン・クレーンの散逸していた吹き込み曲を集めた、集大成的ともいえる、このアルバムが出た。発売は”バートンクレーン発行委員会”となっていて、この歌手の強力なマニアも確実に存在しているのだなあと、その丁寧な仕事に恐れ入った次第。
 で、出来上がったアルバムを聴いてみるとこれが珍曲奇曲の目白押しで、なかなか凄まじい代物である。こんな曲たちが1930年代初めの日本に”流行歌”として流布していたとはなあ。

 基本的には酒好き女好きのお調子者の外人、というキャラ設定の語り手が、”マヌケな不良外人と銀座のカフェーの女給”などという構図を取りつつ、その”青い目に写った日本社会”を戯画化して描き出して行く、そんな趣が見えてくる。
 とは言ってもそいつは結果としてそのような傾向が作品群に漂うという話で、これらの歌が生み出されたリアルタイムにおける事情は、”外人コミックシンガー”なる素材を生かして、どのようにヒット曲を作り出そうか、そのための創意工夫の歴史なのだろうけど。

 使われるメロディは、歌い手がアメリカで聞き覚えた来たのであろう、俗なポップスや民謡、ホームソングのタグイであるようだ。分野を特に定めず、平均的アメリカ人が当時好んで愛唱していたのであろう雑多なジャンルの歌に、素材を求めた。
 このあたり、日本の俗とアメリカの俗が微妙に絡み合い、不思議なハーモニー、あるいは誤解による混乱(?)を醸し出していて、こいつは聞き流して行くとかなり楽しい。

 とは言え、アルバム一枚、全25曲にじっくり付き合うと結構疲れてしまう部分もあるのもまた事実である。
 ”補作詞家”としてバートン・クレーンを支えた森岩雄の活躍も大きく作用していそうだが、その歌の世界、当時の日本の文化状況に深くコミットし過ぎ、構成が懲り過ぎの感を受ける曲もないではないのだ。

 クレーンのデビュー曲であり最大のヒット曲であるという”酒が飲みたい”みたいなシンプルな世界をただ追っていたら、もっと気軽に聞き流せる”ジャズ小唄”の世界が出来上がっていたのではないか。ちょっと惜しい気がする。
 まあ、これもファンの欲張りな要求であって、こんな楽しい歌の世界が戦前の日本に存在していた、それだけで十分に嬉しくなる話なんだけどね。

 また、バックを務める日本のコロムビア・ジャズバンドの演奏の見事さには敬意を表するよりない。これだけ多様な音楽をこなしながら、破綻する瞬間というものがないのだから。なんて褒め方も失礼かも知れないが。

 それにしてもバートンのとぼけた日本語の言葉遣いの裏側から顔を覗かせる、その結構厭世的な人生観には、時にドキリとさせられもする。彼の歌が巷に流れていた時代の、日本は国際連盟を脱退、ドイツではナチスが政権を獲得、なんて世相を反映しているのだろうか。

 ”仕方がない”(バートン・クレーン作詞)

 僕は君に惚れたし 君も僕が好き
 でもお金がなければ生きられない
 君背中を向ける 僕は下を向く
 いくじがないから仕方がない

 産業合理化なんて誰が言い出した
 僕には妻子があるし2号まである
 どうせ駄目なものなら殺しておくれよ
 このまま生きていても仕方がない