ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遥かなるチベット、見えないチベット

2008-06-04 00:30:05 | アジア


 ”吉祥天唱”by 巴桑

 チベット系の歌手を取り上げるのは、これで3人目だったかな。”巴桑”と書いて”パサン”と読むようです。2005年にデビュー・アルバムを出し、これは2作目のアルバム。まあ新進気鋭の歌手というところなのでしょう。チベット自治区文教委員にして国家2級演員である、とジャケの解説にありますが、それがどのような立場なのかは不勉強で分からず。

 中国の民族系ポップスではもう当たり前になってしまった、まるで絵本みたいな豪華な装丁の”紙ジャケ”を開くと、果てしない砂漠の上に広がる壮大な夕焼け、雪を頂いた山脈が静まり返った湖にその姿を写し、山々を越えてはるか彼方に流れる雲、カスミの彼方に幻のように浮かび上がる壮麗な寺院などなど、遥かなる異郷・チベットへの憧れが満載であります。こいつは旅情がかき立てられるわ。

 で、収められている曲も、広大なる辺境の大地の自然と生活、流れ過ぎた歴史などをテーマにした壮大なイメージのものが多い。
 おそらく巴桑は中国国内にあって”支配層”である漢民族が、”辺境と、その住民たる少数民族”に対して抱くエキゾチックな幻想を満たす事を稼業としているのではないですかね。まあ、各国音楽をつまみ食いする物好きなワールドミュージック・ファンとしては、こんな書き方をするのはむずがゆい気分なんですが。

 アルバム冒頭の曲は日本では”草原情歌”として知られている歌のようで。この歌などはいかにも中国の歌手、といった甲高い発声法でキンキンと迫ってくるのですが、その次の曲ではずいぶん印象が変わり、同じ甲高い声でもずいぶん柔らかく、奥行きのある歌唱が聴ける。
 何が違うのかと思えば、一曲目は中国語、二曲目はチベット語の歌なんですね。なるほどなあ。

 収録曲十二曲中半分ほどがチベット語の歌で、”チベット民歌”とか”チベット宮廷歌”などとジャンル名が打たれている。各ジャンルの違い、聞き分けるほどのチベット音楽への知識がこちらにないのが悲しいですが。どれも大自然との対話のうちに生まれて来たような悠然たる響きのメロディであるとしか言えない。
 おそらくこれらの歌が彼女の本領なのであろうと、これは聴いているだけでもはっきりと分かる。やっぱりこっちの方がリアルな感じで、歌声の向こうに広がる人々の生活が見えてくる感じなんですね。

 残りの半分を占める、中国語による、主に中国各地の民謡の歌唱は、漢民族の国で生きて行かねばならない”少数民族歌手”としての彼女の、まあ”営業活動”なのでありましょう。こっちはあまり深いものは感じない。とは言え、彼女のパワフルな高音の歌唱の迫力は、やっぱり凄いですが。

 ストリングス主体のオーケストラに中国の民族楽器が加わった形の、スケールの大きな演奏を繰り出すバックの音と相まって、そんな巴桑の天高く鳴り渡る歌声が、遥かなるチベット高原の詩情を描いて行く。
 ともかく描かれるイメージの雄大さに圧倒されてしまう。我々島国の住人なんかには想像もつかない巨大な自然の中に人々の暮らしがあり歴史があって、その彼方に遥かなるチベット高原の雄大な姿が霞んでいる。

 けどこれって、どの程度の”リアル”なんだろう?なんて事も、そりゃやっぱり考えてしまったりはしますけどね。その壮大な風景の下で、今何が起こっているのだろう、と。現実は、美しい絵はがきのようなものばかりであるはずはないのであって。
 一曲だけ収められている、毛沢東と中国共産党を讃える歌を歌う際の巴桑の心に去来するものは、それは複雑なものでしょうからね。