ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

黒いユダヤ人?

2008-06-15 01:52:31 | 北アメリカ


 ”Soul Messages From Dimona ”

 アメリカにおける”ブラック・モスリム”なる集団を知った時も、ずいぶん不思議な気がしたものだった。なんでアラブ世界から地理的にも離れたアメリカ合衆国内の、しかも黒人たちに、イスラム教に帰依する集団が出て来たのだろう?と。まあ、これに関してはただ宗教上の存在でもなく、アメリカにおける黒人と白人の対立に関わる微妙な代物で、当方、いまだにそのすべてが理解できたともいえないのだが。

 とか言っていたら、このほど、”ブラック・ヘブライ”なんて自称する人々の存在を知ってしまい、ますます訳が分からなくなった次第。黒いユダヤ人?大体のところは知ったつもりでいた黒人文化、まだまだ未知の領域があるようだ。

 ことの起こりは近世、アメリカ大陸でユダヤ教と接した黒人たちの中に、それを受け入れる勢力が出て来たあたりのようだ。ここでもやはり黒人の社会運動にも関わりあいつつ、「ヤコブは実は黒人であり、我々がユダヤ教徒を名乗るに当たり、そもそも改宗の必要さえない」などなどの、ジャマイカのラスタ主義など想起させる主張なども行ないつつ、勢力を伸ばして行ったようだ。

 ここに挙げたアルバムは、その”ブラック・ヘブライ”の文化を代表するバンドと言えようか、1970年代から80年代にかけてイスラエルのディモーナなる街をベースに活躍していたファンクバンドたちのレコーディングを集めたものだ。
 CDのジャケを覆っている紙カバーの写真には、アフリカ人のようなインド人のような、はたまたハリウッド製作の聖書ネタの映画の登場人物のようにも見える衣服を身に付けた黒人たちの姿がある。彼らが”ブラック・ヘブライ”世界の音楽で主導的な存在だった”ソウル・メッセンジャーズ”のメンバーだそうな。

 70年代に「黒いヘブライ人」を名乗るアメリカの黒人グループがアフリカのリベリア(アメリカの黒人奴隷が帰還して建国した国)への移住を計り、が、それに失敗した後、イスラエルのディモーナに定住した、などという記録があるようだが、その連中がすなわち、ソウル・メッセンジャーズのメンバーにつながるのだろうか。ちなみに、イスラエル当局は彼らをユダヤ人とは認めていないそうだが。

 こうして調べてみると、なかなか微妙な存在といえそうなブラック・ヘブライである。
 そのサウンドも同じく。ようするに70~80年代のデトロイト~シカゴ風のソウル=ファンク・サウンドをベースにし、それにブラック・ヘブライとしてのメッセージを込めて出来上がっているもののようだ。
 あの当時のやや浮ついた(?)ノリの良いファンクサウンドに、当方にはなんとも正体不明に感じられる宗教的主張から来る辛気臭さが入り混じり、なんとも不思議な世界を描き出す。どこか腰の座らない落ち着かなさなど感じてしまうのは、彼らの浮き草的生き様が反映されているせい、と受け取るのが正しいのかどうか。

 ブラック・ヘブライの宗教運動としての厚みがどのくらいあるのか寡聞にして知らないのだが、はたしてこの”黒いユダヤ音楽”の明日はあるのか?と、”?”マークばかりが並んでしまうのである。
 ともかく未知の音楽、まだまだ世界には溢れているようで。