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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

祭囃子が聴こえる

2009-07-16 04:42:49 | いわゆる日記


 と言うわけで祭りの真っ只中である。祭りの運営と参加者、両方やってりゃそりゃたまりませんわい。疲れたよ~。
 とか言っていても生産的でないので、昨日書いた、祭り太鼓のビートの不思議について考えたところをメモしておくことにしよう。

 まず思うのは、これはお馴染みの阿波踊りの音楽でも連想していただければいいのだが、「馬鹿囃子」みたいなアップテンポのダンスナンバー(?)は普通に乗れるとしても、「鎌倉」みたいな描写音楽(?)は、どう乗ったら良いのか分らない、ということである。

 太鼓の音楽であるからリズムの拍動は確かに刻まれているわけで、だから音楽にあわせてリズムを取る事は出来るのだが、それで楽しいかと言えばそうでもない。なんか、普通の音楽で打楽器のアンサンブルだったら躍動感とか開放感とかにつながるものがあるのだが、こちらにはそれがない。むしろ抑圧的ビート、なんてものを感じたりする。
 リズムに身を任せていると、森羅万象のすべてを絡み取り抑えつけようとする意思とでも解釈したいものを感じたりするのだ。なんなんだろう、この抑圧感というものは?

 音楽の生まれてきた宗教的バックグラウンドなど考えられないだろうか。その源流を辿ると悪霊退散とかの意図を持って打ち鳴らされた太鼓に至るとか。
 まあ、そう考えてみたというだけで何の根拠もない話だが。

 と、何も分からないままに文章を終わるが、いやもうほんとに疲れた、明日は祭りへの参加はサボっちゃう予定である。ワシもう、そんな体力ないもん。若い者に任せますよ、若い者に。で、明後日の祭りの撤収作業に加わって辻褄を合わせりゃいいんじゃないかと。よくはないかも知れないが、まあ、それで許してもらわねばならんのさっ。

私は祭りが嫌いだ

2009-07-15 04:15:33 | いわゆる日記


 私の街の夏祭りが、この15,16日にありまして、これが結構規模がでかい。昼間は各同好会の神輿が走り回り、夜は各町内会が工夫を凝らした山車が街中を巡幸する。祭り太鼓が街中に響き渡り、そして街中が飲っぱらいだらけになる。
 まあ、祭りの規模がでかいのはいいんだけど、斜陽と噂のわが街の若者人口は都会に流出してしまっているので、それを支える人員が決定的に足りない。
 結果、ワシら残留住民の負担は増すばかりとなっております。 老人会からお呼びの来るような年齢になるまで町内会青年部を抜けさせてくれないんだから。人手不足で引退させちゃくれねーんだ、ほい。

 ともかく毎年、祭りの準備、当日の進行、終わったあとの片付けと、やらにゃならんこと山積みでね。もう面倒くさいのなんの。このクソ暑いのになあ。助けてくれ。助けると思って助けてくれ。ひー。
 と言うわけで私、祭りが大嫌いです。 もうじき、夜が明けたら始まるんだなあ。嫌だなあ。きぐしねいです。

 それでですね、ここで何が情けないといって、我ながら弱ったものだ、ワールドミュージック愛好家としてこんなんでいいのかいと疑問に思っているのが、祭りの夜に引き回す山車の上で叩かれる祭り太鼓の打ち出すパターンが、どうも理解できずにいること。こんなになさけない事ってないよ、子供の頃から聴き馴染んできた祭り太鼓、いまさら分からないもないもんだ。
 なんというのかなあ、こちらが昔から聴き馴染んでいるロックやらラテンやらアフリカ音楽やらのパーカッション・アンサンブルの、ドカドカリズムの渦に乗せてゆくあれとはまた違う仕様であって。そもそも踊りの伴奏と言うか踊りと一つになって成立するものなんだろうな、本当は。リズムの乗りだけじゃノリが分らない。なんか描写音楽みたいな感じなんであって。

 どうやらこれらは、江戸起源の”三社祭礼囃子”ってものの流れらしい。”鎌倉”とか”馬鹿囃子”なんて演目名からして、そうだからね。
 とかもっともらしいことを言っているのだが、そもそも私は和太鼓の譜面(と言うのか何と言うのか)が読めない。子供の頃、練習をサボって逃げ回っていたムクイといえばその通りなんだが、とにかく読めない。あんな、白丸黒丸が並んでいるだけの譜面から、あれこれ変化するリズムパターンを読み取れるもんだとか、いまさらながらに初心者丸出しの発言を成している。

 他の連中はさあ、あの譜面に書かれている通りのリズムを無心に打ち出しているから、「この太鼓の曲は、構造が難解である」とか、どうでもいいようなことで悩んだりしないんだよ、つまりはそれだけの話でさあ。
 などとブツクサ言ってみたりしなければならない、だから私は、祭りが大嫌いだ。夏祭りなんかさあ、遠くで聴こえる祭囃子を聴きながら、わけありの場所で一杯やっている、これが一番と思うんだがねえ。そうも行かないのさ。弱ったもんだねえ。くそったれめが。

コーヒー

2009-07-02 04:46:35 | いわゆる日記


 コーヒーといえば、スーパーで売っている1リットルのパック入り98円也、のコーヒー(加糖、ミルク無し。スーパーのオリジナル商品)が一番好きという根がジャンク好きの私であります。通の人には聞かせられない話ですが。

 いやあそのコーヒー、子供の頃にあった、ビン入りの原液をカルピス式に水で薄めて飲むコーヒーの味を思わせるものがあって、なんか愛しいんですよ。

 ちなみにその思い出のコーヒーのビン、ラベルに黒人のイラストがあって、あれも良い味を出していて好きだった。でもきっと今は、”ちびくろサンボ”と同じく差別と責められ、社会から抹殺されているのでしょう。

奇怪な要求・・・?

2009-06-28 02:43:32 | いわゆる日記

 あのア○ゾンに注文しようとしたら、下のような説明文付きでクレジットカードの番号を入力しろって言ってきた。もちろんそんなもの、とっくの昔に入力してあって、これまで何度も買い物をしているんだが。
 それに、「そこは今までクレジットカード払いで一度も荷物を届けた事がない住所です」とか言ってるけど、そこにこれまでずっと荷物を配達させて 来たんだけどね、俺は。
 何を言い出したわけ、ア○ゾンは?気持ち悪くてクレジットカードの番号なんて打ち込めないよ。
 下は、その怪説明文と、それに対して私が出したカスタマーサービスへの質問文であります。今のところ返事無し。これ、何が起こっているか分る人おられますか?

 ~~~~~

 注文を確定しようとすると、”支払方法を選んでください”と称して、とうの昔に入力済みのはずのクレジットカードの番号をまた入力せよとの指示が出てしまいます。
 また、以下のような”説明”も表示されるのですが、こちらが指示した届け先は、もう何度もクレジットカード払いで商品を送っていただいている場所であり、この文章は理解不能です。
 貴社のシステムに問題が生じている可能性も考えられますので、この件に関する納得できる説明がいただけるまで、貴社への注文は中止することとします。ご説明をお願いいたします。
 私の個人情報ははたして守られているのでしょうか。非常な不安を感じています。

 ~~~~~

 問題のア○ゾンが提示した説明文。何を言っておるやら。
 ↓
 >ご指定いただきましたお届け先は、今までに一度もクレジットカード払いでお荷物をお届けしたことがないご住所です。 クレジットカードでのお支払いをご希望の場合には、アカウント保護のためカード情報を入力してください。 お支払い方法の情報は記録されますので、同じお届け先をご使用の場合、次回からはカード情報を再度ご入力していただく必要はございません。

 何を言っておるやら。その”再度ご入力”を要求されちゃったんだからさ、こちらは。

さすらい

2009-05-30 04:54:27 | いわゆる日記


 ”Orphans”by Tom Waits

 あれはなんという名の鳥だったかなあ。以前、調べたんだけど、もう忘れてしまった。
 ともかく、スズメくらいの大きさの鳥の小集団が一つ、もうずいぶん前から私の街の海岸線に沿って放浪を続けている。
 定まった安らぎの地というのは見つけられないのか、そもそも定住の習慣がないのか。ともかくある程度の高さのある木の葉の茂りを見つけてはそこにビッシリとたかり、チクチクチクと終日鳴いている。
 夕方の、ある決まった時間になると鳥たちは一斉に夕暮れの忍び寄る空にワッと飛び立ち、奇妙な幾何学もどきの模様を描いて、空の高みで飽くことなく旋回しているが、あれはエサでも捕食しているのか、それとも何か別の意味がある行動なのか。私には見当も付かない。

 連中を初めて見たのは町外れの港でだった。船着き場の端っこの防風林に留り、やかましく鳴きたてていた。ああ、この連中、いつかニュースで見たことがあるぞと私は思ったものだ。
 どこかの団地の近くの林に鳥たちが住み着いてしまい、近隣の住人たちが早朝からの鳴き声などに閉口している、が、大量の鳥をどう処理したら良いのか役所も困惑している、なんて内容のニュースだったと記憶している。
 わが町の鳥たちは、ニュースで見た集団とは比べものにならないくらいの小規模の団体ではあるが、それでも近くの立ち木にでも住み着かれたらうっとうしいだろうなあ、そうならないといいがなあ、などと思った。

 その年の暮れ頃だったか、鳥たちは近所のコンビニの店先の椰子の木を住処に選んだ。椰子の木と言っても、以前、その場で営業していたホテルが植えたもので、そこが廃業してから手入れをするものもなく、半分枯れかけた代物だったのだが。
 コンビニに買い物に行くたびに、あと通り一つだなあ、ウチの近くに住み着かないといいがなあ、やかましいのは御免だぜ、などと思いつつ鳥たちが取り付いて騒ぎ立てている枯れかけた椰子の木を見上げたものだ。
 だが私の心配は外れ、新年がやって来るのも待たずに鳥たちは、国道を挟んだガソリンスタンドの方に移動していた、いつの間にか。

 そんな事を繰り返し、気がつけば数年の歳月が流れ過ぎている。生命と言うのも結構しぶといものなのだなあと思う。彼ら鳥たちが命を繋ぐに適当な立ち木さえない、索漠たる我らが街の海岸線であるのに、鳥たちは絶滅もせずに、あちこちに住処を替えながらそれでも生き残っている。何をエサにしているのかさえ分からない。
 それでも、大繁殖はするはずはなくとも、さほど数を減らすでもなく、気がつけば何年かを生き抜いてしまっている。それともそんなに遠くないある日、「そういえばあの鳥たちはどうしたんだろう?このところ、鳴き声を聞いていないけれども」なんて形で彼らの終末に気付く日が来るのかもしれない。

 そういえば最近、鳥たちの鳴き声を聴いていないのだった。まあ、そんな事は、このところ頭の隅を去ることのない仕事上の困惑物件と比べればまったくどうでもいい事ではあるのだが。
 真夏かと思うような暑気が来たかと思えば薄ら寒い雨の日が続く。季節はまた来たり去って行き、生き残った私は取り残されて、ただここにいるだけの者である。
 というわけでTom Waitsが2006年に出した3枚組のアルバム、”Orphans”である。上の話とはあまり関係がない。ただこれをBGMにキイを叩いていたと言うだけの話。

 トムの音楽は初期の酔いどれジャズごっこ盤はめちゃくちゃ愛好したものだ。こちらも名うての酔っ払いと化しつつある時期だったので相性はよく感じ、彼の1stや2ndはターンテーブルに常に載ったままだったと言っていい。
 その後、彼は芸風を変えてしまい、なんだか酷く疲れる暗黒ソングを歌うようになったので、なんとなく距離を置くようになってしまった。それでも時に気になり、こうして新譜を買ってみたりする。
 今回のこの3枚組、なんだか事情がよくわからないのだが、未発表の拾遺集という奴だろうか。2枚目の”Bawlers”が、かって私が好んで聴いていたセンチメンタルな酔いどれ裏町詩人風情がここでだけ復活しているので、なかなか気持ちよく聴けたりするのだった。こちらは医師から過度の飲酒を諌められる身の上であり、酔っ払いの資格さえ失っているのだが。

 などと言っているうちに、酷薄な夜明けはいつの間にか窓の外に忍び寄っているのだった。また、取り残されたよ。

時差ボケの朝に

2009-05-03 04:59:27 | いわゆる日記


 やっていた会社を整理してから、生活時間帯メチャクチャの連鎖の輪を抜け出せないまま日が過ぎてゆく。
 今だって、土曜の夕食を終えた後、テレビを見ていたら眠り込んでしまい、目が覚めたら日曜日の午前二時だった。こんな中途半端な時間に目が覚めてもどうすりゃいいのやら、身の置き所がない。毎日、日本在住のまま時差ボケというわけの分からない日々。
 とりあえず、毎週土曜日は酒を飲む日と決めているんで、予定通り飲んでしまおうか。とか言ってるうちに、もう朝4時過ぎてるぜ。これを土曜日の夜といえるのか。

 城南海ちゃんがテレビに出てたんだね。
  ↓
 ●城南海in NY

 何度も聴いているうち、このシングル曲「誰かのために」も耳に馴染んでこれでいいような気がし始めた(苦笑)
 彼女がニューヨークに何をしに行っているのか、彼女のブログを遡って読めば分かるんだろうか。あの形式のブログは遡るのが面倒くさいんで、やる気がしないんだが。なんか面白い仕事が始まっているならいいんだが。
 しかし、「曇り女の伝説」には笑ったね。雨降りの日も番組収録が始まれば雨が上がり、曇り空になるそうな。
 「それは良いですね」「でも、晴れの日も曇りになっちゃうんです」「はらほろひれはれ」

 ところで、gooのブログに下のような書き込みをいただいた。

 ~~~~~

Unknown (ナイジェリア音楽ファン)
2009-05-02 11:52:10
来週9日土曜日のNHK-FMのピーター・バラカンの番組「ウィークエンド・サンシャイン」がナイジェリア音楽特集だそうで、ジュジュやハイライフばかりか、アインラ・オモウラのアパラにサカラ、シキルやワシウ両巨頭のフジまでかかるんだそうですよ!朝7時15分からの放送、楽しみです。

 ~~~~~

 これは聴かなきゃなるまいが、しかし、朝7時なんて、どうすりゃいいやら?もうラジカセのタイマーなんて長いこと使ってないんで、使用法も忘れてしまったし。今日のこの調子で来週も番組が始まるまで起きてりゃいいんだろうか?

 身の置き所のない、中途半端な朝。目が覚めたらキヨシローが死んでいたってか。
 彼の話題は私にはそもそも鬼門で、なぜって、私は彼の音楽があまり好きでなくて、けど、私の周りは彼のファンだらけだ。話題にして得な事なんか一つもない。そんなときは形通り哀悼の意でも表してお茶を濁しておけばいいんだけどね、余計な話はせずに。

 それにしても、同世代のミュージシャンがコロッと逝ってしまうのも、もう当たり前の出来事みたいに感じられてきている。昔馴染みの連中のうち、誰が生きていて誰が逝ってしまったのか、すぐには分からないようになっている。
 この間、とうに亡くなったものと長いこと信じ込んでいたトシ・イトウ氏がテレビに出て来たんで、ビックリしたものだった。誰と間違えていたんだろうか、私は。しかも、その時の話題は、氏が率いるムードコーラスグループ、”ハッピー&ブルー”のメンバーの一人が性転換したから今後は女性歌手として扱う、なんて話題であって。

 勝手に時は過ぎて行き、こちらとしては抗うすべもない。同級生の死去の知らせだって、もうそんなに驚くべきものでもなくなってきている。
 色川武大が今の私くらいの歳に、同世代の筒井康隆との対談でそのような話題が出たとき、「真っ最中ですよ、今が」とか言っていたのを覚えているが、そう、ここまで来てみれば、確かに”真っ最中”だ。
 まあ、こんな話をしていてもなんだから。とりあえず酒飲んで寝直すとするわ。

桜色の向こうにナポリ

2009-02-07 03:33:19 | いわゆる日記


 ”O Sole Mio-Favourite Italian Songs” by Luciano Pavarotti

 もう昨日になってしまった金曜日、ちょっとした用事を片付けた後、まだ昼下がりだったし天気も良かったんで、街の高台にある別荘地帯を軽くドライブしてみたんだけど、これが凄かったね。
 なにが「そのうち桜前線の便りも」だよ、天気予報官諸君!私の街はとっくに桜は満開となりかけてるぜっ!まあ、要するにこちらに植えられているのが早咲きの品種だって、それだけの話ではあるものの。

 駅裏の道を上がって行くと、JRの線路がトンネルに入り込むあたりを見下ろす道路に沿って植えられた桜が、ここは街一番日当たりが良いのかね、もう満開状態になっていて、ちょっとした見ものだ。
 そのあたりに戦前の華族が残した広大な庭園があり、今は梅の名所として名高く、観光客がバスを連ねて訪れるようになっているんだけど、観光客連中も梅はそっちのけで桜の並木に見入り、盛んに記念写真を撮ったりしている。

 そこを通り過ぎてさらに坂を上り別荘地帯に入って行くと、さらにあちこちで花開きつつある桜の群生があって、ともかく天気の良さもあり、寒さに震え上がっていた昨日までの重苦しい気分がむしろ非現実的だ。
 いやもう春だね。すでに当地では桜満開も目前かと思えている。大島弓子のマンガにあった、「なんという凄い季節でしょう」ってセリフが何度も頭に浮んだ。

 別荘地帯をクネクネと縫って走る道を抜けて行くと、カーブを曲がるごとに「あれ、いつのまに」なんてビックリするような光景が展開されていて、ああ、こちらが冬の寒さに身をかがめているうちに、こんなことになっていたんだなあ。なるほど、人間の都合なんかとは関係なく、季節は確実に巡っているようだ。

 助手席に座っていた老母が溜息をついた。「もったいないねえ、これを誰も見ていないんだから」と。そうなんだねえ。観光客はこんなところまで上がってこないし、別荘地帯の住人もこの状態を知ってや知らずや、家々はどこも閑散とした雰囲気で人影もない。桜がいくら咲き誇ろうと、それを目にする者は気まぐれな通りがかりの我々くらいのものなのである。
 いやそもそも、この別荘地帯なるもの、どれほど機能しているのやら?もしかしたらこの洒落た家々も持ち主たちはとうに没落し、不動産会社の持ち物にでもなってしまっているのやも知れぬ。だってほんとに、人がいるのなんて見たことあるのは中の数軒しかないものなあ、別荘地帯では。

 などという事を考えながらのんびり桜の下をドライブしつつ聴いていたのが、このアルバムである。急いで言っておくけど、当方、クラシック音楽には何の知識もない。普通、聴く習慣もない。このアルバムだって”イタリア民謡集”ということで手に入れただけの代物である。

 誰かが書いてたなあ、「パヴァロッティはナポリの出身でもないのだから、そんな彼の歌うナポリ民謡に何の意味があろうか」なんて、このアルバムへの否定的文章を。
 そんな細かいニュアンスまで、我がポンニチの人間に感じ取ることが可能なのかねえ。まあ、その人には可能だから、そう書いてるんだろうけど。
 クラシックには興味のないワールドミュージック・ファンの立場から言わせてもらえば、ここに収められた曲というのは”専門家が作曲したナポリ民謡風の歌曲”なのであって、本物のナポリの民謡とはそもそもあまり関係がない。ほんとのナポリの民謡というのは、もっとイスラム色の濃いものであってね。こんなに部外者にとって聴きやすい音楽じゃあありません。

 だから、そんな”民謡ということになっている歌曲”を相手に、歌い手の生まれや育ちにこだわってみるのは、どれだけの意味があるのやら?ですなあ。そんな事を言う人は、たとえばNCCPなんかが復興させたドロドロのナポリ民謡とか、聴いたことがあるんだろうか?
 ようするにこれ、歌謡曲でしょ?ご当地ソングでしょ?
 とかなんとか言いつつ車を駆って行くと、別荘地帯一の桜の群生地帯に至り、その辺はまだまだ咲き初めと言うところで、まだまだなのだけれど、しかし順調に咲けば凄いことになりそうだなあ、なんて感触があり、母はまた「もったいないねえ」との溜息をつくことになる。

 ちょうど良い具合に、その辺でアルバムの曲目は「はるかなるサンタルチア」から「カタリ、カタリ」へと移行するところで、いやあ、良い按配でありましたとさ。なんでこう春先の気分というのはイタリアの音楽に合うんだろうかね。
 以上、桜の満開目前の某所よりお送りいたしました。春はもうすぐ。

まるで日記のように

2008-12-31 21:09:48 | いわゆる日記


 2~3日前から風邪気味でね。熱とかはないけど喉が痛い。なんとか悪化しないで欲しいんだがなあ。それでなくともここのところ寒いんで、習慣だったはずのウォーキングもサボることが多くなってきていて、なんか不健康傾向へ一直線て感じになってる。
 とか言いつつ、今夜は一年の終わりでもある事だし、”週に一度の酒を飲んでもいい日”じゃないけど飲んじゃおうかなあ、なんて思っている。こうして人はアルコール依存症の世界へ還って行くんだね。いや、明日からはもう飲まないから許してくれ。本当だ。

 昼間、電話の回りに散らかっている書類を片付けていたら、往復はがきが出てきた。なんだこれはと思えば、これが正月にやる高校の同窓会の出欠を問う葉書。もちろん、もう締め切りは過ぎている。ハナから出る気はないけど、返事を出さねば悪かったなあ。
 まあ、高校にはろくな思い出がないのでその種の会には一度も出たことはないから、誰も俺が出るなんて思ってやしないだろうけど。それにしても、そんな葉書が来ていた事、完璧に忘れていた。

 なんかそんなポカがこの頃、多い。一昨日も、ずっと前に出来上がっていると連絡を受けていた小切手帳を、銀行に取りに行くのをすっかり忘れていて、年が変わる前の危ないところで受け取ることが出来た。マヌケだよなあ。まあそれ以前に、そんなに長いこと小切手を使わなかった、つまり仕事上の支払いをしなかったってのも、結構ヤバくないか。まあ、どうだっていいやなあ、事実上、店仕舞いをしてしまった本業の話なんて。

 朝から頭の中にキンクスの”ビレッジ・グリーン”のメロディが流れっぱなしだ。よくあるよね、なんだか分からないが取り付かれたように同じメロディが頭を離れないっての。
 これを使ってテレパシー能力のある奴から心を読まれるのを阻む、なんてアイディアが出てくるアルフレッド・ベスターのSF小説は、”虎よ!虎よ!”だったっけ、”分解された男”だったっけ?

 「”ビレッジ・グリーン”といえば、あのメロディをパクったのが某バンドの某曲だよなあ。あ、これは気を遣ってはっきり書かないんじゃなくて、本気で思い出せないのね。
 でも、某バンドが何バンドかは思い出した。そのバンドのアンナって曲を聴きながら飲むと結構気持ちよく酔えるとこの間気がついたのよな。この夏以来、沖縄の音楽ばかり酒のお供にしていたのだが、このところ、いかにもロック!みたいな曲を聴きたいって欲求が心の底に芽生えているみたいだ。ロックったって、60~70年代に限る、だけどね。
 とかダラダラ書いているうちに、年は明けて行くだろう。じゃ、酒飲むから。

その後・・・

2008-12-13 04:15:05 | いわゆる日記


本日、セブンアンドワイより、返品分の入金がありました。
3週間の空しい戦いでした。

しかしなぜ、アマゾンが一日でやってしまうことを
セブンアンドワイでは3週間もかかるのか、ということであります。

皆さんのご声援に感謝します。


成り行きが注目されます(笑)

2008-12-12 04:18:33 | いわゆる日記


 というわけで、昨日の続きです。
 問題の通販サイトのカスタマー・センターから、一日遅れの返事がありました。何はともあれ、まずそれをお読みいただきましょう。


>【ご連絡・ご回答】
>お問合せいただきまして、ありがとうございます。

>この度は、××様にご迷惑をおかけしてしまい、
>誠に申し訳ございませんでした。

>ご返金の日時につきましては、担当部署に確認の上、
>詳細が分かり次第、メールにてご連絡致します。
>恐れ入りますが、今しばらくお待ち下さい。

>お待たせしてしまい、大変恐縮でございますが、
>何卒、ご容赦いただけますようお願い申し上げます。


 (笑)、ですかね。引用したってしょうがないみたいな、もう「私はそんなこと、どうでもいいです」と言っているも同然の文章です。
 それにしても、「すぐにご返金いたします」ではなくて、「ご連絡いたします」なんですね。この文章を書いた人物、おそらくこの返事を書いただけで、事態の解決のためになにか行なうなんて事、絶対にないんでしょうね。これ、確実だと思う。そんな気配がヒシヒシと伝わってくるもの(笑)

 この件であちらとは3往復かな、やり取りをしたんだけど、そのたびごとに相手の署名が違う。これは本当に担当者が頻繁に入れ替わっているのか、それとも責任回避のために、署名をランダムに変えているんだろうか?いずれにせよ、「何とかしよう」という意欲はまったく感じません、どの回答文を読んでも。

 知人は、「この回答文を書くのは”派遣”の仕事であり、社員連中はクレームなどに関わらず、別のところで別の仕事をしている。が、返品に伴う返金の作業にGOサインを与える資格があるのは社員だけなのであり、派遣の連中には何も決める資格がない。それゆえ客のクレームには、このような毒にも薬にもならない回答しか返せない」と考察しました。私もそんなところではないかと思っています。

 あ、予想通り誠意の感じられない答えが返ってきたので、相手の会社名を発表します。”セブン&ワイ”です。例の注文品をセブン・イレブンで受け取れるところですね。
 知ってる人は知ってるが、ここはとうに絶版になってしまった商品が結構売れ残っていたりするんで、意外に穴場なのです。まあ、もうここで買う気はないですがね(笑)