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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

明日は遠く

2012-04-01 04:57:39 | いわゆる日記

 これは、ツイッターで見つけた報告。やっぱりそうか。心の底に隠れていた真実って、つい口をついて出てしまうものなんだなあ
   ↓
  @Yamakawakenichi 細野豪志原発相は北九州での瓦礫受入れ要請のビラ配り中に、受入れ反対の女性に「みんな被爆してるんですよ!」と言ったそうだ


 先日書いたとおり、体調は悪いし、パソコンは不調だしで、なかなかこのブログを更新できないでいる。今だって、パソコンをなんとかしようと散々戦って、まあとりあえずネットまで来ることはできたのだが、そこまでで力を使い果たしてしまって、もう文章を書く気力がなかったりする。
 結局は、そろそろボロ・パソコンを買い換える時期だ、ということなんだけどね、もう10年使っているんだから。それも酷使。でもまあ、いずこも同じ金がない、ということで。

 もっとも、ブログの更新がはかどらないのは、そぞろ自分の書くものを別のパターンに切り替える道はないか、なんて気持ちになってきているせいもあるのかもしれない。同じようなことをいつまで書いているつもりだ、なんて苛立ちがオノレの心中にないわけではない。
 亡くなった伊丹十三が言っていた。若いうちは自分というものを確立するべくもがくのだが、人生、後半に入ると、それまでに作り上げてきたその”自分”というものを突き崩すのが、人生のテーマになってくると。
 なんつっていろいろ試行錯誤したあげく書いてみた新しいつもりの文章、他人が読むと、以前の文章と大した変化はなかったりする。そんなものだが。


 ふと「そうか、”くり万太郎のオールナイトニッポンR”は、もう終わってしまったのだな」と気がついたのだが、「しまった、最終回を聞き逃した」とか悔やむほどいれこんで聞いていたわけでもない。
 「AKB48のオールナイト」とかを聞き終えたあと、ラジヲをそのままにしていると始まってしまう番組だった。私がガキの頃は、これは「オールナイトニッポンの2部」と言ったものだったが、Rと呼ぶらしい。

 Rの意味も不明だ。そもそも2部もかっては各曜日の担当者がいたものだが、この頃はクリ一人が月曜から金曜まで一人でしゃべっているのだ。これも経費の削減?
 そういえばタモリとかたけしなんかがやっていたころにはあの番組の一部のほう、番組冒頭のスポンサー読み上げは20社とかに及んだものだが、昨今では2~3社の社名が読み上げられるだけで、一社提供になっていることも珍しくない。

 最初は「なんだ、このオヤジは?」とか外角低めに見ていたのだが、番組でクリがかけるのが、当方が青春時代に記憶に残った曲、それも「あ、お前もそれを聞いていたのか」なんてマイナーものも少なくなく、気が付けばクリ万太郎の放送がなんだか気になってきているのだった。
 彼の言葉で心に残っているのが、彼が学校を卒業しアナウンサー目指して就職浪人をやっていたとき、流行っていたエルトン・ジョンの”グッバイ・イエロー・ブリックロード”のLPを買い、そればかり聴いていた、と言ったこと。何か妙にリアルだった。その時街に吹いていた風の匂いも想像がつく、というか俺の記憶にある、と思った。

 要するにクリは一人で”ラジオ深夜便”をやっていたのだろうなあ。それにしても、何日か前に大滝詠一がゲストで出て、放送時間めいっぱい使って言いたいこと言って帰った、あの会を録音しておくのを思いつかなかったのは、返す返すも無念である。
 録音と言えば、そう、今日、カセットテープを買いに行って、そんなものはもう売っていないと知って、これも驚愕した。今の若い連中って、好きなアーティストとかアイドルとかがラジオに出たら、どうやってその番組を録音するのだ?いや、ラジオなんか聞かないのか。

 昨日、夕食後にダレていたら、聞いたのだった。中学時代の同級生の息子が、自ら命を絶ったと。新卒で務めた仕事も辞めてしまい、何ごとか悩んでいたらしい、とのことだったが。
 そうか。いろいろ悩んでいる息子、の気分で未だに生きている自分だったが、とうの昔に”死なれる側”の年齢に回っていて、それを決め技に使う訳にも行かなくなっていたのだった。



CM獄舎の冬

2012-03-27 02:48:27 | いわゆる日記

 「君のやる気スイッチ、一体どこにあるんだろう~♪」ってCMが目に付く季節がやってきた。
 私には、あの上半身裸のチューボーが奇声を挙げて街を走る映像、フラッシュバック現象を起こしてパニック状態に陥っている覚醒剤常用者の姿にしか見えないんだが、なにがいいんだろうね?ご家庭の主婦には、なぜか好評のようだ。
 グロテスクなり、日常。

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 「大和ネクスト銀行」のCMを見るたび思うんだが、Dock of the Bayって曲は、あんなに大声張り上げて歌うようなものなのかね?オーティスのオリジナルを聴いてご覧。あるいは、歌詞内容を熟読してごらん。歌の巧拙ではなく、解釈そのものの間違いとわかるはずだ。
 ともかくあのCMにおける歌唱、ひどく無神経なものを感じて不愉快で仕方ない。

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 一月の半ばだったか、テレビを見ていたら、某住宅会社のCMに、ちょっと気に障る表現があったのだ。
 画面には、見ようによってはおしゃれな四角の建物が捉えられ、細野晴臣によるナレーションは、こう語ったのだ。

 「やはり都会に住もうと思う。広さはないが豊かさがある」

 悪かったなあ、と、私はムッとしたのだった。だってそうでしょう。そうか、田舎には広さはあるが豊かさはないのか。悪かったなあ。田舎は貧相で。

 細野演ずる語り手は志を語っているのである。
 「それでも都会には田舎にはない豊かな文化(とスポンサー側は言いたいのだろう、細野が起用されるくらいだから)がある。だから自分は、居住面積は物足りないが、それでも都会に住むだろう」
 そんな志を。

 言ってくれるじゃないか。と、とりあえず田舎在住者として私は、ツイッターに細野相手にツッコミを入れておいた。
 それから何日もたたないある日。そのCMの細野のナレーションが微妙に変わった。

 「狭さの中にも、豊かさは作れる」

 と、なんとか差別的表現とならないような”配慮”のなされた表現にしたようだ。 いや、いくらなんでも、これは私のツイッターが原因ではないだろう。私はそれほど大物ではない。けど、似たような非難があちこちから寄せられたのではないだろうか、あのコピーに対して。
 で、その関係は気にするスポンサー・サイドとしても黙っておられずコピーを差し替えさせた。そんな次第ではなかったかと想像する。

 まあ、それでお茶を濁せると信じるなら、それでもいいさ。けど、一人の田舎暮し者として、私は忘れない。そして語り継ごうと思う。
 あのCMコピーのオリジナルが、つまりは都会人のうっかり漏らしてしまった本音が、「都会には広さはないが、田舎にはない豊かさがある」であったことを。

あの二人、別れてくれないかなあ。

2012-03-19 03:16:43 | いわゆる日記

 ”MIWAのオールナイト・ニッポン”を聴いている、なう。というか、だいぶ前に終わってしまったが。もう次の番組、”R”が始まっている。
 私はこの子の、妙に甲高くて硬質な声は異様な感じでちょっと好きなんだが、CDにおけるバックのサウンドがあまりにも無神経にやかましいタイプのロックで、ちょっと買う気にはなれないね。惜しいなあ。

 惜しいと言えば、ハンバート・ハンバートという男女二人組のグループがいるけど、あそこはまだ男女デュオでやっているのかしら?あれも惜しいなあ。
 あそこの女性ボーカルの人の歌、私は大好きなんですがね(知らない人に説明すれば、”アセロラ”のCMソングがあるでしょう、あれを歌っているのが、その人)なのに、なにかというと、男性メンバーが間抜けな声でコーラス入れてきたりするのね。なんだよ、あれは。清楚な女性ボーカルが描き出した世界が、無神経な男のマヌケ声ですべては台無しだ。
 だから私、あのグループのCDは買ったことないんだけど。女の人はファンなんだけどねえ。あれは惜しい。

 デュオの片方がいらない、といえば、これはもう古い話なんだけど、彼らのファンの間では「そんなこと、絶対言ってはいかん」くらいのタブー、もうそんな発想、するだけでも獄門、くらいの話らしいんで、ついでだ、あえて書いてしまうけどさ。
 イギリスのフォーク=トラッド界の大ベテラン、リチャード・トンプソンが昔、当時の奥さんだったリンダとデュオで活動してたでしょ、リチャード&リンダ・トンプソンなんてバンド名で、ずいぶん長いこと、活動してた。
 この場合はさっきと逆で、私、この奥さんのリンダの声が好きじゃなくてねえ。なんかやたら力強くて、音色も明るすぎる。アメリカのカントリー・ルーツの歌い手みたいな日向臭さがある。

 英国の歴史の重苦しい各場面を背負ったみたいなリチャードのつくる暗い美学に律せられた音楽に、あの声はないでしょう。ヴァシュティ・バニヤン、とまではいうまい、サンディ・デニーであるとかシャーリー・コリンズであるとか、英国伝統の滅びに向かって吸い込まれて行くようよな影のあるかすれ声の美学、これでしょう、リチャードのペンになる曲を歌うのなら。

 だから、早く別れればいいんだがなあ、あの二人、と遠く海を隔てた日本で祈ってたんだけどね。で、その祈りは通じて、二人はめでたく離婚と相成ったんだが、あまリにも長い歳月が過ぎ去っていた。結局、リチャードのクリエイターとしての一番輝いていた時代は、彼の作品を歌うにはあまりむいていない女性歌手に作品を提供することに費やされた。
 ああ、もったいない。今からでもいい、リチャードよ、リンダとのデュオ時代の曲を、彼自身の歌声で歌い直す作業にかかってくれないかなあ。

 さらに、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ・・・は、いまさら言うまでもないか。



読みたくも ない本もあり 長冬日

2012-02-26 22:40:44 | いわゆる日記

 ”Homogenic”by Bjork

 いつぞや、図書館の音楽本のコーナーにアイスランドの(クソ寒い国の音楽特集、続行中)ビョークのインタビュー本というかライフストーリー本のようなものがあるのを見つけ、ちょうどそのようなものを探していたところだったので、さっそく借りてきたのだが、これがえらい本だったのだ。

 なんかアメリカ人だかイギリス人だかの著者は、本来はフェミニズムの闘士かなんかの女性で、ひょんなきっかけで聴いたビョークの音楽に惹かれ、彼女に関する本を書く気になったとか、そんな事情のようだった。
 まあ、何に興味を持とうと勝手だけどさ。でもさあ。
 著者はビョークを追っかけて彼女の生活と意見、なんてものを訊き出し、ビョークの内面に鋭く迫る、なんて事をやって見せたつもりらしい。が、その実際というもの、なんともはや、なのであった。

 彼女はビョークの言動に、自分の持論と一致する(と彼女には思われる)部分を見つけると、「キャーッ!やっぱりそうだ。ビョークって、私と同じ事、考えながら生きてきたのよ。ねえ、これって凄くない!」と躁状態ではしゃぎ回り、逆に意見の一致しない、というより彼女には理解不能なビョークの言動に出会うと、「まあ、いろいろな考え方があるってこと」てな調子でスルーし、何事もなかったかのように別の話題に移る。なんスか、これは?

 なによりこの著者の御作品の耐え難い部分は、「男性の性的ジョーク」に話が及ぶと必ず、男性の生殖器に関わる汚いジョークを大張り切りで書き連ねることで、これには辟易させられる。
 なんなんだろう、この露悪趣味は。この著者の属する”運動”のセクトでは、「男性の性的ジョークには、それよりもっと下品な話題を返せることを示してみせる、それが女性の性的優位を証明する事につながる」とか、そんな認識になっているのか?どういう運動かと思いますが。
 そんな次第で、一冊読み切っても不愉快になっただけで、知りたかったビョークの生活と意見などさっぱり分からぬままに終わってしまったのだが。

 しかしビョークの芸風ってのもさ、この種の勘違いファンをきわめて呼び寄せやすいものであるってのもまた、言えることでさ。
 今回持ち出したアルバムは、ビョークがそれまで出していた”いわゆるロックの音”から距離を置いて、彼女独自の境地に一歩を踏み出した記念すべきアルバムだけど、まあ、聴き手のどんなに自分勝手な妄想でも引き受けうるような、一聴、へんちくりんな音世界ではあるのであって。

 でも残念ながらビョークはただ、やりたいことをやりたいようにやっているだけで、”運動”なんて自分の都合の枠の中にはめ込んで利用しようとしても、破綻は目に見えている。あなたの本がこんなことになってしまったのが、何よりの証拠だ。
 う~む、あの本のタイトルと著者名、なんだったかなあ。まあ、図書館に行って確かめてくればいいだけの話なんだけどね、もう一度あの本に対面する気にはなれないんだよね。という話であります。



リンガラを売り払う日

2012-02-13 05:16:21 | いわゆる日記

 ブログ仲間のころんさんのところを覗いたら復古調リンガラの名作との評価も高い盤、”ケレレ”について書いておられて、なかなかに愛情溢れたその内容に私は、それまで自分がやっていたことを思い、苦笑するしかなかったのだった。いやなに、私は自分のレコード棚からリンガラの盤を抜き出しては、中古レコード屋に売却予定のダンボール箱に放り込んでいたのだけれどね。
 久しぶりにリンガラを聴いたけど、なんかさっぱり乗れないな、などと首をかしげてからどれほどになるだろう。ついに結論を出したのだ、「自分はリンガラ・ミュージックが嫌いである」と。あ、いや、熱く歪んだ響きのルンバ・ロックなんかは今でも好きなんだけれど。

 昔、「アフリカに先祖返りしたアフロ=キューバン系音楽がアフリカ的洗練を受けて生まれた、汎アフリカン・ポップス」「リンガラこそはアフリカの深い森からの囁きの声」なんて物語に熱くなれた頃は夢中で聴けたリンガラだったのだが、その熱狂も冷めてしまうと、音楽自体にも冷めてしまい「これって、俺好みの音楽なんだろうか?」なんて疑問さえ出てきてしまうのだった。
 まあ、そういうこともありますわな、いろんな音楽を聴いていると。ちょい理屈先行で「自分はこの音楽が好きなはずである」なんて勘違い暴走を始めてしまうなんてことが。頭で、タテマエで音楽を聴いている証拠であって、そんな思い込みから自由になるなんてことだけでも、音楽ファン修行の結構でかい課題だったと、この年になって感ずるのだが。

 で、ころんさんの文章を読んでわかってきたのは、私は安定した音楽、完成した音楽が、あまり好きではないのだ、と。逆に未完成な、不安な要素で根本のぐらついているような音楽がどうやら好みらしい、と。
 同じリンガラでも、完結することなくただ揺れ動き、ついに夭折して行ったルンバロックなどならいまでも熱くなって聴けるのだから、つまりそういうことなんだろう。
 まあ、どちらが正しいもなにもない。人が音楽に何を求めるかの違いがそこにはあるばかり、なのだが。




Long Way From Home

2012-01-13 19:57:25 | いわゆる日記

 とりあえず持ち直したものの、どうやらそこまで。母の容態に関しては、これ以上良くもならないと覚悟するしかないようだ。そもそもが高齢であるのだし、心臓の病はあるし、それに重ねて今回の軽くはない病。衰弱しきっている母である。さらには、それらを切り抜けたとしても、その先には医師から指摘のあった認知症の影がちらついてくるのだ。

 今の病院が永遠に置いてくれるわけでもないし、退院後の母の落ち着き先を探さねばならない。役所の介護保険の窓口でくれた、その種の施設のリストを眺めている内に、人間はどこから来てどこへゆくのか、我々はなんのために生まれてくるのか、なんて哲学チックな想いが湧き出、だがそんなことを考える習慣もないので答えは出ず、というか答えなんかあるのか。こんな場所へたどり着くために、我々はあの長い旅路を歩き続けてきたのか。

 老人が惚けるのは、老いの現実の無残を正面から受け止めずに済ますため天が与えたもうた優しき配剤なのだ、という明石家さんまの説が妙に染みてみたりする。
 こんな思いにばかり取り付かれていてはいかんなと、わざと寒い中、海岸通りの公衆トイレまでオシッコしに行く。

 深夜の国道は人も車も全く通らず、虚しく点滅する交通信号が、なんだか人間には理解不能の空疎なゲームを演じているように見える。
 夜の電線が凍りつく空気の中、いずことも知らない世界への伝言を運んでいる。
 「返信あれ!返信あれ!」と。



母が倒れた

2011-12-29 22:14:24 | いわゆる日記

 母が倒れた。先日来、大量の痰が絡む、嫌な咳をしていたのだが。
 診断は肺気腫とのこと。医師は「タバコを吸う人の罹る病気なんですがねえ」と首をかしげたが。
 それ以上にきつかったのが、母に明白な認知症の兆候が見えるとの指摘。「この病気が治っても、これまでと同じ元気なお母さんで家に帰れそうにないんです」との事。表の病気に隠れて、もうひとつ、厄介な奴がひっそり進行していたというわけだ。
 神様、ずいぶん厳しい筋書きじゃないか。

 このところ、たて続けに親しい人たちを亡くした母の気持ちを思う。家には母専用の無駄話用の電話があるのだが、考えてみればそこにかけてくる人たちは、もう何人も残っていなかったのだ。
 長生きであることが、必ずしも母を幸せにしていない。これはどういうことだ。などと思ってみるが、何かするべきことが思いつけるものでもなかった。

 ここで負けてばかりもいられないので、音楽マニアの意地として、以前、吾妻光良氏が「ひどい頭痛にやられている場合の音楽」とかいうのを書いていて面白かったのを思い出し、真似して書いてみる。

 こんな形で落ち込んでいる時には結構染みるのではないかと思っていた賛美歌系の、つまり祈りの音楽関係は意外にもあんまり聴く気になれない。同じく、暗いブルースもので憂鬱の泥沼に落ち込むのも、あんまり救いに感じなかった。あれはまた別種の沼なんだろう。
 ロック関係は問題外、と思っていたのだが、プログレ方面はそれなりに今の心境に馴染む部分もあり。とはいえこれは癒しを得るというのとはまるで違う、むしろ困難事を前にして、いっそ異常心理に傾いてしまおうか、なんて心境にヒットしている感があるので、これはあまりやらない方がいいような気がする。

 では、どんな音楽が一番の癒しになったかと言えば、ちょっぴりセンチで可愛らしいメロディを素敵なリズムでただ素直に歌い上げた、つまりは古くから庶民に愛されてきた、ちっぽけな流行り歌、ということになる。なんのことはない、毎度自分が探し求めている港々の歌謡曲、ということじゃないのかね。と、我田引水にて終わり。

 下に貼ったのは、これから買う予定の、つまりまだ持っていないCDからの曲なんで、あれこれ言えないんだけど、どうやら1960年代に、いわゆる”一発屋”で終わったフレンチ・カリビアン歌手のレコーディングを集めたアルバムらしい。うん、それもまた、切なくて良し。



光の帝国

2011-12-28 04:13:24 | いわゆる日記

 「NHK総合テレビを見るなら、午前3時からが最高」と、世の中にはどんなマニアもいる、映像散歩マニアの声は上のようになり、彼らは何度も繰り返し巻き返し放映される深夜の埋草番組に、期待に胸躍らせつつチャンネルを合わせるのだが。

 そんな彼らのうちで「最高傑作!」と評価も高い「日本の夜景」シリーズだが、昨今の節電傾向もあり、なかなかオンエアしにくい状況になっているのかも知れない。最近、さっぱり見ないものな。
 そんな世情を憂い、この映像を貼るものである。昨年は東京~横浜編だったが、今年は神戸編。

 NHKよ、こんな傑作を死蔵するのは完全に罪といえる。放送しようよ!



ラジオ・ディズは終わらない

2011-12-10 17:08:52 | いわゆる日記

 音楽ファンとなる以前の私は、SF小説を読むことと、ラジオで海外からの日本語放送を傍受(?)することが趣味のチューボーだった、なんてことは何度か書いた。まあ、明朗とか活発なんて言葉とは無縁の少年時代だったわけだが、このラジオ趣味は形を変えつつその後も続いていて、考えてみればラジオの深夜放送なんてものは、もう何十年という長きにわたって途切れることなく聴取者である。ここまで来るとライフワークと言えなくもない。

 今、興味をもって聞いているのが”AKB48のオールナイトニッポン”であって、いい年をして何をやっているのだと言われれば返す言葉もない。いや、あの所属メンバーが全部で何人いるのかさえ見当がつかない今ウケ集団から、毎週、どういう基準でか選出された三人が深夜の二時間、たわいもないおしゃべりをする、その向こうにほの見えるオーバーに言えば人生模様が面白くて仕方がない。
 同じたわいもないおしゃべりでも、文字通りカラ騒ぎに終わる組もあれば、どこが違うのかわからないが妙にその会話に憎めないものを感じて、録音しておいたものをふと聞き返してしまったりする。両者の間に何の違いがあるのか、そのへんの機微に深いものを感じている。

 聴いている内、一人一人の個性の見分けがつくようにもなってくる。例えば達者だなあと思うのが佐藤亜美菜という子で、親の代からのラジオマニアとのことで、番組の仕切りも手馴れたものだし、その日の番組の運びから「このようなギャグが相場だろう」なんて見当を付けてゆく勘も鋭い。特にテレビなどでは目立つポジションを与えられていないようだが、うまく使えばいいのになあ、もったいないなあ、などと思う。
 もっとも、テレビとラジオの感覚は別物ともいえるようで、子役上がりとかでテレビではプロっぽい語りを聞かせる大島優子などは、ラジオでは、たしかにこちらでも上手くはあるのだが、あまり面白い語りとは感じない。視聴者との間合いの取り方など、いろいろ微妙なものがるのだろう。

 どう理解したらいいのかと途方に暮れるのが、たとえば昨日の担当だった篠田麻里子という子である。もともと、最年長組でもあり、高飛車なキャラクターを与えられ演じている部分のある彼女ではあるのだが、演じているそのキャラのそのまた底の方に、妙にザラザラした意識の手触りを感じ、あれはなんなのだろうな、と。
 ほかのメンバーに冗談できつくあたってみせる。とりあえず笑いは生まれる。そう進行するように台本は作られている。が、それとは別に、場に関わっている者の意識の底の方に乾いた何かが溜まっていって、空気の手触りが次第にヒリヒリして行く、そんな感じを受けることがある。

 どのような育ちの彼女であるのか私はまるで知らないのだが、何か心の底の方に北風吹きすさぶ寂しい風景を飼っているような。どんな事情があって、あの風景は彼女に住み着いたのだろう。まあ私が勝手に、もしない幽霊を見た気になっているだけ、それだけの話かもしれないのだが。
 など、余計なことを感じ考えつつ、いい年して聞いちゃおられん筈のラジオに毎週、耳傾けている毎日だ。
 なんて文章を、ほんといい年をして公にするのって相当に恥ずかしいが、まあ、その種の恥ずかしいことをあえてヤケクソでやってしまうのが私という人間なのであって。しょうがないのさ。



シーズンオフ

2011-10-11 04:53:39 | いわゆる日記

 このところ運動をサボっていたのでさきほど、もはや深夜となってはいたが思い立ち、海岸遊歩道のウォーキングに行って来た。

 吹き付ける風もずいぶん冷たくなり、遊歩道や砂浜に対して行われていたライトアップも必要最低限の”街頭”レベルのものとなって、海水浴客が押し寄せた盛夏の頃と比べればすっかりシーズンオフの空気が漂う。
 そんな遊歩道風景だったので、この深夜、人などいないかなあと思ったのだが、何のことはない遊歩道のベンチの上には、それは数は少なくなったとはいえ、男女カップルがあちこちでのんびり語らっていたり、歩道際の花壇の影ではホームレスが惰眠をむさぼっていたりするのだった。

 そして今日は珍しや、そんな人々の間から謡曲を唸る人の声が聴こえた。なんじゃそれは、と。季節外れとなってしまった海岸と謡曲の謡と。そのシュールな違和感がなんだか楽しくなって来たので、これは面白いな、もっとでかい声でやったらいいのにな、などと思ったのだが、歌い手は一節歌っただけで、歌声はそのまま途絶えてしまった。
 こんなものは微妙なもので、歌い手を探し出し、「ねえ、お願いしますよ、あの続きを一節」などと頼んでも、まず絶対に応じてはもらえない。

 諦めてそのまま歩き去る私だったが、そういえば同じ海岸遊歩道で深夜、オペラのアリアかなんかを歌っていた女の子がいたのだった。あれは何年前になるのか。
 結構本格的な発声だったので、どこかで専門的に習っている人なのかもしれない。そして、自信を持って朗々と、という感じではなかった。むしろ、緊張から来る震えを、その歌声からは感じた。もしかして、歌を習ってはいるが舞台度胸がもう一つなので、あんな形で修行しているのか?まあ、なんとも分かりませんがね。

 さらにバブルの頃まで振り返れば、遊歩道のその同じ場所でテナーの中村誠一率いるジャズバンドがライブを行い、こちらは夜店で買い込んだ焼き鳥やら枝豆やらでジョッキのビールを飲みながら、こりゃ良い塩梅だてなことを言って幸福になっていられたのだから、いやあ、あの頃は良かった。何の話をしているんだっけか。
 そして私は、つい何時間か前まで、この海岸で真っ黒になって泳いでいた人たちが、今は渋滞の車の中にいて、都会の家に帰りつつあるという事実が、なんだかとても不思議に思えたりしているのだった。