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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

貸し本屋系アフロポップス

2011-05-20 01:29:17 | アジア

 ”YOU KERE YOU WOWO”by TUNDE NIGHTINGALE

 トゥンデ・ナイチンゲール(1922-1981)なるジュジュ・ミュージックのアーティストに関しては、サニー・アデがワールドミュージック・ブームの波に乗って世界を舞台に飛躍を始めたその頃に聴いたことはあった。当時、通っていたレコード店の店主氏が当時としては入手が非情に困難だったらしいナイチンゲールの盤をカセットに入れて、「参考までに」とプレゼントしてくれたものだった。

 とりあえず、ナイジェリアのローカル・ポップスたるジュジュ・ミュージックが成熟して行く過程で、オリジネイターがおりエレクトリック化の旗手がおり、といった流れの中の、新旧世代の橋渡しのようなポジションにいた人とか、そんなぼんやりとした理解があったが、それで正しいのかどうか、いまだに分からない。
 聴いてみたその音は、正直言ってかなり退屈で、世界を舞台にゴージャスなジュジュ・ミュージックを叩きつけるアデたちに比べると、昔ながらのハイライフ音楽の尻尾をくっつけた古臭い音楽としか思えなかったのだった。

 そんな時代もはるか彼方に去った今。ほんの気まぐれで久しぶりに聴いてみたトゥンデ・ナイチンゲールの音楽は、あれあれなんだか不思議に心惹かれるものがあり、一発ですっかりファンになってしまったのだった。時の流れはいろいろなものを変える。
 そのナイチンゲールなる芸名のいわれなのだろう甲高い鄙びた歌声は、奇妙にすっとぼけた鄙びたファンキー感覚を伝えて来て、ワイルドに刻まれるギターと、ナイジェリア名物トーキング・ドラムとの絡み合い織り上げるリズムも心地良く、実に心地良くこちらの疲弊した心をマッサージしてくれる。

 なんとも愛嬌のあるサウンド展開に身を任せているうちに私の脳裏に浮かんできたのは、昔読んだ赤塚不二夫の漫画に出てきたチビ太の姿だった。いつも串に刺したオデンを片手に掲げ、走り回っていた下町のガキの姿。なんだかあれとナイチンゲールの音楽が二重写しになって来た。ビンボにもめげずに無心に遊びまわる少年の幼いバイタリティの発露と、甲高いがゆえに醸し出される”成長を拒んだ子供”的雰囲気が独特の邪気となって放出されているナイチンゲールの音楽世界に、通ずるものがあるような気がして来た。

 それからこれは、無茶な話なんで小さな声で言うのだが、そのギター・サウンド、フレーズの作りや曲自体の構造の奥には、なにやらロック・ミュージックに通ずるようなエッジの鋭さを時に感じたりもする。
 いやまあ、ナイチンゲールの生年から言って、そんな音楽の影響があるはずはないんだけどね。

 全体的にナイチンゲールの音楽って、マンガっぽくないか?それも、昔あった貸し本屋の安っぽくも暖かい、懐かしいマンガ本のイメージ。なんて、限定された層にしか通じないような事を、まあ、言いたかったわけですな。すいません、長くなりすぎたんで、ボロボロのままですが話を終えます。




台北、懐かしき台北

2011-05-16 02:58:17 | アジア

 ”欣賞”by 秀蘭瑪雅

 う~ん、このアルバムの中の曲を何かこの場に貼りたいんだけどねえ。You-tubeでは見つけることが出来ませんでした。残念。
 もう彼女についてはこの場で2度ほど触れて来ていますが。台湾のジャズ演歌姐ちゃん、シュウラン・マヤ嬢であります。
 まだ若いのに台湾の演歌、それも懐メロ中心に歌う、なおかつその歌唱スタイルは演歌風でもなんでもなく、あくまでもジャズ~R&Bっぽいフェイクをまじえながら気だるく、というよく分からない芸風の人で、分からないながらもいつの間にか私などは大ファンになっていた次第で。

 何枚か手に入れてみた彼女のアルバムはことごとく”郷愁”がキイワードとなっているようでした。収められているのは、ほとんどスローものですからね。アップテンポの曲なんか、アルバム一枚に一曲、入っているかどうか。
 台湾のお年寄りは彼女のアルバムを聴くたび「ああ、この歌が流行っていた頃、あんなことがあったわい、こんなことがあったわい・・・」と、喧騒の台北の町並みの向こうに続く遠い山並みかなんかに見入ってしまうんじゃないだろうか。いかにもそんな感じの、ほどよく古びた昔懐かしいメロディが並んでおります。

 ただ、その台湾懐メロをマヤ嬢は、黒人音楽の影響顕著なオゥイェ~♪なフレージングで歌ってしまう、それが売り物らしいのが、私には不思議でならない。台湾のお年寄りは「なんでこのコは、こんなおかしな節をつけて歌うのかのう?」と首をかしげたりしないんだろうか。
 まあ、私などは逆に、そんなクールさが感傷ベタベタの懐メロ演歌になるのを防ぎ、涼やかな風をその音楽世界に生み出している、そこを気持ちよく感じているんだが、台湾のお年寄りも同じ様な楽しみ方をしてるんですかね?ここがいまだ解けないマヤ嬢の人気の秘密なんですが。

 このアルバムの聴き所はなんと言っても3曲目からですな。”淡水暮色”なる、いかにも台湾古謡らしい墨絵のような感傷漂う美しいメロディを歌い上げた後、始まる”男性苦恋”って曲、あのフランク永井氏の”夜霧の第二国道”です。台湾語の歌詞を付されたそれは、オリジナルよりさらにテンポを落として、レイジーにブルージィに台北の夜を描き出す。
 続いて、実に安っぽい”エレキバンド”の轟音に導かれて始まる、橋幸夫氏の往年のリズム歌謡、”チェッチェッチェ!”であります。これが、マヤ嬢がもともと持っている”良い友達になれそうな女”風のダルい雰囲気と相まって、台北の夜の繁華街でチャラチャラ遊んでいる若い連中の血の騒ぎなどを実に生々しく伝えてくるのですな。
 さらにその後に2曲、キレイなバラードが続きまして、それらもクレジットには”日本曲となっているんだが、私の知らない曲でした。

 しかし、こんなにもドメスティックな感傷のど真ん中に外国の、日本の曲が4曲も入ってしまっていいんだろうか。なんて気になってきたりもする。
 とかなんとか。私はどうも、くだらないことばかり気にしているのかも。黒人っぽい歌い方も、郷愁のど真ん中に日本曲が収まってしまうのも、台湾のお年寄りにしてみれば「おおそうか、言われてみればそうだったかのう」で済んでしまう話かも知れないのですよね。
 なんて具合に私は、行ったこともない台湾の地をまるで自分の故郷みたいに錯覚させてくれるマヤ嬢のJazzy演歌に、今宵も聴き惚れるのでありました。




漢江を渡りてジーザスは

2011-04-30 02:37:46 | アジア

 ”CCM for Consolation”

 まるで信仰心なんてないくせに、宗教音楽となると変に入れ込んでしまう私が最近、気になっているのが、韓国のCCM(contemporary christian music)なのでありますが。

 まあ、欧米のゴスペルの影響下に、その国なりのキリスト教系ポップスを作り上げた、なんてあたりはインドネシアのロハニなんかと同種のものかとも思えます。結構洗練された都会派ポップスの相貌を持っているのも共通している。
 が、ロハニと比べると、あの南国の熱情とラテンの血の騒ぎみたいなものは見受けられません、韓国のCCMには。代わりにあるのは爽やかさ、でしょうか。ある韓国通の人のブログの表現によれば”パステル調のポップス”と言うことになる。朝の目覚めのBGMには、ちょうどいい感じ。胃にもたれない軽さで綺麗な、そしてちょっぴり切ないメロディがクリアな発声のボーカルによって爽やかに歌われて行きます。

 とはいえ、先のブログでは「韓国語の分からない人には、気持ちよく楽しめるでしょう」なんて苦い(?)一言で紹介文は終わっているのであって。
 なにしろ教会での礼拝の際にも歌われると言うCCM、歌詞はやはりディープなキリスト教信者のためのものであり、そうでない者にはかなりの違和感を与えるものなのであろうかと思われますな。
 爽やかに聴いていられるのは、語学力なきゆえに韓国語をただの”サウンド”として聴いてしまえるのが幸いといえるのかも知れません。まあこれはロハニなんかも同じ、というかゴスペルだってカッワーリーだって同じことだろうけど。

 ここに取り出しましたるは、”CCM for Consolation”なる、4枚組CD。わざと、一番俗っぽそうなのを買ってみました。
 このタイトルといい、きれいなモデルのお姉さんがおしゃれにポーズをとっているジャケといい、どうもあんまり生真面目な宗教っぽさは感じません。なんか、リラクゼーションのためのアロマオイルのパッケージみたい。
 で、収められているのが石鹸の匂いがしそうな健全な男女の歌手の爽やかポップスというわけで、もしかしたら現地では特にクリスチャンに限定せずに、普通に”癒しの音楽”として大衆に受け入れられているのかなあ、などとも思えてきます。まあ、歌詞の問題はひとまずおくとして。

 でもいいのかなあ、こんな風に「疲れなくていいや」とか言いつつ気軽に聞き流していて。まあ、私が韓国語を理解できるようになる日は、もし来るとしても相当先のことにあるだろうしね、とりあえず、このまま。

 下に試聴として、これはカバーもかなり多いし、韓国CCMを代表するナンバーと言っていいんじゃないでしょうかね、「愛されるために生まれた」なる曲を貼っておきます。画面に歌詞英訳が出るんで、その世界を理解する一助となるかと。まあ、この曲なんかは、あんまり賛美歌っぽくはないけど。



ジャワ追憶

2011-04-28 02:28:32 | アジア

 ”Jawa in Orchestra”by Semarang Fantasy Orchestra

 これは切ないアルバムであります。民俗楽器を含む大オーケストラ編成で、ジャワの民謡端唄のタグイを交響曲にアレンジして演奏している、そういった企画ものです。
 まあ、生真面目なファンの人は怒るかもしれない代物なんだけど、ともかくすべてを”懐かしさ”に包んで、情感溢れる演奏に仕上げているんで、ジャワ方面の音楽を古くから聞いてきた方はたまらないんじゃないでしょうか。

 遠眼鏡の向こうの風景は、懐旧の涙の中のジャワの風景は、まるで子供の頃の縁日で見た幻灯機の映像みたいに闇の向こうにほの明るく頼りなく灯って、揺れているのであります。もう、たまらなくジャワに帰りたくなりますな。
 いや、帰るってのは変なんだ。私が昔から言っているように、”いもしなかった所には帰れません”と、そういうことなんでね。でも。
 このアルバムに溢れる濃厚なノスタルジィに浸っているうち、なんだか自分が子供時代をジャワで過ごした、みたいな勝手な幻想が生まれてきて、ふと荷物をまとめてジャワに帰ってしまいたくなる。行ったこともない、あの故郷に。

 聴いているうちに何度も思い出したのが、昔読んだ”怪傑ハリマオ”のモデルになった、日本人の評伝でした。
 日本人の血を引いてマレイの地に生まれ育った彼は、折から起こった太平洋戦争に、その立場ゆえ引きずり込まれ過酷なかかわり方をさせられるんですが、最後の時には彼を育んだマレイの地にあるイスラムの墓所に自ら望んで迎えられて行く。
 そんな”ハリマオ”の、南の地への口には出さぬままだった想いが静かに香る、そんな空想をさせられる幻想絵巻のようなアルバムです。

 この音楽、この場に貼りたかったんですがね、どうもネット上にはないようだし、にたようなものも見つからない。残念です。しょうがないから、というのも失礼な話だが、ジャワの大歌手、ワルジナーなど貼っておきます。



森の少女 from 韓国

2011-04-27 01:11:54 | アジア

 ”dream light”by lu sienna

 はい、正直に申告いたします。上のジャケ写真をご覧になってお察しの通り、ジャケ買いの一発であります。一目見て、即”買い”でありました。このルックスで歌手名が”lu sienna”となると、欧米人とのハーフの子かも知れないな。
 もっとも、中ジャケの写真を見てすぐに幻想は破れましたが。歌手は、普通のルックスの韓国の少女でありました。ジャケ写真にあるエキゾティックな美少女、というのはこの歌手が厚化粧をして、ある角度から写真を撮ればそういう顔に写ることもある、という仕組みのようで。いや、そうしなくても、そのままでも可愛い子なんですがね。

 韓国の実力派新人歌手のデビュー盤。何でも韓国で人気のオンライン・ゲームの主題歌など歌って人気の歌手だそうな。あちらのアキバに相当する場所で人気だったりするんでしょうか。ゲームの主題歌は、ファンの間では”神曲”だったりするんでしょうか。歌詞がなかなか幻想的だったりするらしいんですが、谷山浩子みたいな世界でも展開しているんでしょうか。興味をそそられます。

 音楽の出来上がりは、なかなかに爽やかなフォークロックで良い感じ。癒されます。 特に、韓国の実力派歌手にありがちな、ハスキーな声を「ドスコイッ!」と力んで熱唱に持って行ってしまうやり方ではなく、あくまでナチュラルな、”普通の女の子”の声質をキープしたまま朗々と歌い上げる歌唱法は、凄く好ましいと思います。このまま行って欲しい。
 雨上がりの森を吹き抜けて行く風、みたいな涼やかな曲想とアレンジ、そして歌声は、歌詞の分からない当方も現実のもう一つ隣りにある妖精郷でのリフレッシュ・タイムをひととき、楽しめたのでありました。

 惜しいのは、これが韓国では当たり前になっている”ミニ・アルバム”であること。5曲入り、正味20分間なりの小旅行では、いくらなんでも物足りないよなあ。次回は是非、フル・アルバムをお願いしたい。




台語天后、降臨す。

2011-04-24 00:27:26 | アジア

 ”一口飯”by 蔡秋鳳

 台湾演歌シーンにおける、我が最愛の人の新譜が手に入った。もはや大ベテラン、ジャケにも「台語天后」と刷り込んであるくらいの存在である蔡秋鳳のアルバム、”一口飯”である。なんかM-1とか思い出しちゃうタイトルだけど、別に関西の漫才コンビとは関係ない。
 彼女には別に、「鼻音天后」なんて変なあだ名があって、独特の鼻にかけた発声法が売りの歌い手だ。その鼻声は「ミャー」とか「ビャン」なんて音が耳につく台湾語のアクの強さをさらに増幅する効果があるみたいで、一声響けばあたりには濃厚な台湾情緒が満ち満ちる。
 さらに彼女の声は妙なところで裏返り、しかもその際、ヒステリックな擦過音を伴うこともしばしば。いや、悪口を言っているんじゃなくて、そこが良い。大衆音楽の美学とクラシックの正しい発声法は、なんの関係もないからね。

 このアルバム、冒頭に置かれたタイトル曲のビデオ・クリップなど検めてみるとホームレス問題などテーマにしているようで、まあテレビドラマの主題歌ではあるんだが、いずれにせよちょっと気が重くて見ていられなかった。これは音だけ聴くことにしとこう、と。
 その曲も含め、このアルバムに収められているいくつかの曲は、彼女の最高傑作といえるであろう「金包銀」の、あからさまに影響下にある出来上がりである。つまり、いくらか社会的なテーマに傾いた重い歌詞を、ディープな講談調のメロディで歌い上げる、という形。
 やや社会派チックなドラマだったらしい「一口飯」が、それなりに話題にもなり曲のほうもヒットもし、という事情から、柳の下の何匹目かのドジョウ狙いでそのような曲が並んだのか。

 まあ、本当のところは分からないんだけど、ほかの歌手なら頭でっかちで堅苦しい出来上がりになってしまうそのような設定も、女后・蔡秋鳳の歌声が響けば、ますます濃厚な台湾情緒を醸し出すきっかけとして作用するばかりで何も問題はなし。というか台湾の精神風土により深くコミットすることになり、アルバムの出来に深みが出たといってもいいんではないか。
 となるとドラマ「一口飯」についても、どのようなものか、ちょっと知りたくなるんだが、どうも重い話みたいなんで、この時節、遠慮しておきたい。それより今の私に必要なのは、下に貼ったみたいな一見、たわいない演歌の歌い流しだ。こんな具合に、常に弱い庶民の傍らに立ち、ただ無力な涙を流し続ける、そこのところに大衆音楽の勘所がある。分かる人にしか分からない話かも知れないけどね。





ハングル・ゴスペルの世界

2011-04-14 03:39:01 | アジア

 ”Anytime Anyplace ”by Song Jung Mee

 という訳で。何の宗教の信者でもないのに、妙に宗教音楽に惹かれてしまう変な性根のある私なのであって。たとえばアメリカの南部ロックとか聴いていた遠い昔は、その音楽の奥底に漂うゴスペル臭が気になって仕方がなかった。
 タイ音楽を聴きはじめた頃は、レーなる仏教歌にずいぶん入れ込んだし、インドネシア音楽を聴くうちにロハニなんていうかの地のクリスチャン音楽にはまり込んでいる。
 そして今、韓国のクリスチャン音楽のアルバムに聴き入っているという次第だ。

 ジャンル的には”CCM”と呼ぶらしい。コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。源流はアメリカの白人ゴスペルにあるようだ。実際、聴いてみても音楽のスタイルはその辺を踏襲していると言っていいのではないか。
 まあ、韓国は人口内におけるクリスチャンの割合が日本などよりかなり多いようですからね、このような音楽がジジャンルという厚みを成すほど充実していても不思議はないだろう。

 このアルバムは、その世界の実力者として一目おかれているみたいな女性歌手、ソン・ジョンミ女史の5枚目のアルバムとのこと。ボートに乗って広い水系に、溢れる光の中に漕ぎ出して行くジャケ写真に象徴されるように、彼女なりに作り上げた韓国風クリスチャン・ポップスの豊かな果実が提示されている。

 ジョンミ女史の歌唱法は、さすがキリストの福音を説く歌声というべきか、通常の女性韓国ポップス歌手の喉を詰めたヤクザなハスキーボイスと違い、朗々とクリアーな声を響かせる感じだ。「学校ではクラッシック音楽をお勉強しておりました。でも、黒人のソウル溢れる歌声にもたまらなく惹かれるものを感じておりますのよ」なんてことをインタビューで答えていそうな歌声だ。実際、歌声ばかりではなくそのルックスにもエエトコのお嬢さん出らしい凛とした気品と清潔感が漂い、それは主キリストもお気に入りでしょう。
 うん、いや、嫌味を言っているようだが、褒めているつもりなんですよ、これは。

 そのクラシックがかったジャズボーカル的なジョンミ女史の歌声に絡むのは、70年代のアメリカン・ルーツロックあたりを聞いて育ってきたんじゃないかと思われるミュージシャンたちであり、実際、そんな音つくり。
 だから、”あの頃”のアメリカのシンガー・ソングライターのアルバムでも聴いている様な錯覚にとらわれる瞬間もあり、これは私などの世代にはなかなかむず痒いものもある。

 でも、アルバムの隅々までも溢れる光のイメージが全然違うよね。あの頃、こんな具合に”救われて”いた者などいなかった。皆、寄りかかるものもなしに漂泊をしていた。まあ、遠い昔の思い出話だけれど。
 うん、神への感謝と安らぎに満ちて美しいメロディを歌いつずるジョンミ女史を、ついに居場所を見つけられなかったこの男は、何だか眩しい思いで聴いているんですよ。





ベトナムの水中花

2011-04-11 00:47:33 | アジア

 ”The Best Of Nhu Quynh”

 70年生まれ、93年より米国在住のベトナム人歌手、Nhu Quynhの、2006年に編まれた2枚組みベストアルバムである。すぐに続編である、やはり2枚組の続・ベスト盤が出ているところを見ると、相当に好評だったのではないか。
 ベトナム同胞向けの歌を歌う人なのだが、さすがに在米歴の長い人ゆえバックのサウンドは、欧米の今日のヒットポップスと比べても遜色のない洗練のされ方。その中にベトナムの民俗楽器が巧妙に挿入され、ベトナムの伝統色濃い歌謡曲がしっとりと歌われて行く。

 冒頭の曲、少女たちによる読経みたいなコーラスが浮かび上がり、その狭間からNhu Quynhの歌声がゆらりと姿を現すあたりの演出など、このアルバムで彼女に初対面する者への演出は見事なもので、一発で彼女の世界に引き込まれる。
 もちろんアップテンポの陽気な曲もあるのだが、そいつも歌っているうちに粘り気を生じ、翳りを帯びてくる。やはり彼女は、この湿度の相当に高い独特の哀感溢れる世界の女王なのだろう。

 そのメロディラインは湿度の高いサウンド構成の中をアジア的哀感を振りまきながらヌルヌルとくねりまわり、かなりの時間をかけて締めのフレーズに着地する。このじれったさ、粘り気の内に醸成される情感の沼みたいなものにはまり込んだらもう出られない。水気の底から呼びかける、神秘なる妖気の揺らめき。

 ところで彼女、歌も上手いが楚々たる美人であり巨乳であり、その上、人気の絶頂期に突然未婚の母となってみたりと、ファンには相当に狂おしい想いも味あわせてくれる存在でもあって、そのあたり、大衆芸能の勘所を見事に捉えていると云えよう。もちろん本人、意識的にやっているわけではなく、自分なりに普通に生きていたらそうなっちゃった、なのだろうけど。
 う~ん、とか言ってる私も、この盤を聴いているうちにすっかり惹かれ、彼女の歌をもっと聴きたい、彼女の盤をもっと欲しくなって来ているのさ。うん、この性欲込みのじれったさ、まさしく大衆音楽の真実。



儚き夢、インドの恋歌

2011-04-04 03:29:56 | アジア

 ”I Write,I Recite”by Meena Kumari

 インドの”歌う映画女優”さんらしい。なんでも独立直後のインド映画界で天才子役として評判を取り、その後、オトナになってからはメロドラマの悲劇のヒロインを演じたんだそうで。確かに美しい人です。そしてまあ、ベタな大衆の願望のマグマを真正面から浴び続けたのでもありましょう。

 そして彼女、アルコール中毒で40才で死去してしまう。酒びたりだったんですかねえ。壮絶に人生を駆け抜けた、って感じでしょうか。絵に書いたような”大衆文化のスター”の生涯だ。無意識の内に溜め込んでいたストレスも大変なものがあったんじゃないですかね。「大衆の欲望への生け贄」なんて言葉も浮かんでまいります。

 これは、そんな彼女が映画の中で歌った恋歌を集めたアルバムであります。特に歌唱力に優れた人ではなかったようで、その出来上がりは”たどたどしい”といった表現が妥当でしょう。

 が、そのつたなさが不快かと言えばそんな事はないのであって、まさに薄幸の美女たる彼女の、運命に対する無力さを、それは象徴するみたいで、逆に切なさ倍増といった趣きがあるのでございます。どうか彼女が向こうの岸辺で安らぎを得んことを。





波間のジーザス

2011-03-21 22:12:24 | アジア

 ”Keroncong Rohani”by Mus Mulyadi

 ムス・ムルヤディと言えば、インドネシアのポップスが日本に紹介され始めの頃、”ガムラン&ディスコ”なる奇々怪々なる音盤で大いに名を挙げた、あちらの音楽界の大物の一人だ。けど、この人、クリスチャンだったの?と、これは意外な盤に出会ってしまった。

 海千山千の音楽界のボスが居住まい正して、敬虔に歌い上げるキリスト教系ポップス。ロハニのアルバム、しかも収められている音楽はすべてクロンチョン仕立てだ。
 昔々、海を渡ってやって来たポルトガル音楽と、現地東南アジアの土地の音楽とが混ざり合い出来上がった、世界最古のポップスとも言われるクロンチョン。その形式にのっとった、実に優雅なロハニの世界が展開されているのであります。こりゃ気持ち良いや。

 各楽器が非常に細かいリズムを刻み、それらが精巧な編み物のように編みあがり、結果として実にゆったりとした大きなうねりを形作って流れて行く、不思議な構造の音楽が出来上がる。
 そして御大ムスは特におふざけも無しで(?)ゆったりとリズムに乗り、ただ伸び伸びと主イエスをたたえる美しいメロディを歌い上げてゆきます。インドネシアの伝統的にのっとったメロディに混ざって聴きなれた”主よ、御許に近付かん”なんて曲がひょっこり紛れ込む楽しさ。

 右手にはインド洋が左手は太平洋でございます。陽光の下、ピチピチと魚たちは波間で跳ね、南の海の豊穣を謳歌いたします。エイメン。