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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

カメルーンの”みんなの歌”

2007-01-01 23:50:04 | アフリカ

 ”Studio Cameroon”
by Sally Nyolo and the Original Bands of Yaounde

 明けましておめでとうございます。

 さて、新春初聴きはこれ。アフリカはカメルーンのベテラン女性歌手、サリー・ニョロのプロジェクトによる実験作です。かの地の伝承音楽を基にした、創作ポップス集。アフリカど真ん中の地に根ざした、カラフルな不可思議サウンドが楽しめます。

 使用楽器も、ギターやドラムやシンセの絡むものから、ほぼ民族楽器のみ、みたいな素朴なものまで。でも、ちゃんと統一感があって、全体で一つのサウンドと聴けますな。

 といってもややこしいお芸術作品やハッタリかました”世界を標的”の商品じゃなく、彼女が身近かなカメルーンの伝承音楽を基に遊んでみた新しいサウンドの試み、といったところ。欧米から白人のプロデューサーなんかが”降臨”して、現地の音楽を勝手にいじくり回したわけじゃないんで、奔放ながらもなかなかに人懐こい暖かい音が楽しめます。

 特に冒頭の3曲などは、使われている音階の日本民謡との近似性や、漂うユーモア感覚など、なんというか”子供好き”のするひょうきんな音なんで、このままNHKの”みんなの歌”とかで流しても通用してしまうのではないかって気がします。

 アルバムの主催者、サリー・ニョロって、この作品を聴く限りでは結構インテリの人じゃないかって感じがするんだけど、それが冷たい方に作用せず、むしろ”機知に富む”という形で音楽に投影されている、それが良かったみたいですな。先にあげた冒頭の数曲などに現われたユーモアの感触も、その現われではないでしょうか。
 
 ともかく、まだまだアフリカから楽しめる音は出てきそうだなと、これを聴いて安心した次第。



アフリカの岸辺、インド洋の風

2006-12-15 03:00:01 | アフリカ


 ”Sanker”by Nathalie Natiembe

 おなじみ、東アフリカの海に浮かぶ小島、レユニオン発の痛快盤。主役は女性ボーカル&パーカッション奏者であります。

 快調に鳴り渡るパーカッション・アンサンブルをバックに歌いまくるのだけれど、同じようにパーカッション&ボーカル・ミュージックである、ナイジェリアのフジやアパラのテンションの高さと比べると、このレユニオンのマロヤという奴はずいぶんとゆったりと伸びやかな響きがあり、やはり海に向かって開かれた海洋性の音楽という感じである。

 唯一参加しているメロディ演奏可能楽器であるアコーディオンが鳴り出すと、そのしなやかさは倍化され、サンバなどの響きに近くなってくる。この辺りは悩ましく、この辺りにポルトガルは噛んでいないと思うのだが、どのような影響がと首をかしげてしまう。

 一方、アフリカ名物の親指ピアノやマリンバが加わる曲もあり、そちらはグッとアフリカ色が濃くなるのだが、それが本来の彼女の音楽性なのかどうか、これは分からない。当方としてはこちらの方が快い響きで、この感じでずっとやって欲しく思うのだが、彼女としてはゲストを迎えたレコーディングのみの企画もの色の濃い音楽なのかも知れない。

 この辺も悩ましいところだなあ。もっとも気に入った曲は”ジャー、ラスタファリ!”と呼ばわるレユニオン風のレゲ(?)、”Rasta Maloya”なのだが、この感想も、彼女の音楽をあんまり理解していないがゆえ、なんて言われそうだ。つまりこの盤、本来の彼女の持ち味から若干逸脱しているように思える曲ほど聴いていて快感なのである。当方にとっては、なのだが。

 とかいろいろ言っているが、はるか遠くの何の情報も無い音楽、余計な疑心暗鬼になっている可能性もあり、くだらないことに悩まず、好きなように楽しんでしまうのが正解なんだろうなあ。

 それにしても、一連のマロヤものを聞いていていつも思うのだが、なんでこんなミキシングにするのだろうか?妙に一音一音くっきり聞こえる、なんかクラシックとかジャズとかで言うところの”良い音”なんである。磨きたてられた埃一つ無いスタジオで、居心地悪そうにレコーディングするミュージシャンの姿など浮かんできてならないのだが。
 もっとボーカルや各楽器の音が溶け合った、ライブな音像で聞かせるのが正解でしょ、こんな人懐こい音楽は。関係者、勘違いしていると思うぞ。
 


レユニオンの謎の歌

2006-11-22 02:13:55 | アフリカ


 ”KRIE ”by Salem Tradition

 アフリカ東岸に浮かぶ不思議の島、マダガスカル島に寄り添うように浮かぶ、これもまた個性豊かな文化を育む島、レユニオン。なんて解説を、かの島の音楽を語るたびに繰り返さねばならないのだろうか。面倒くさいなあ。
 なんて言いたくなるのはつまり、レユニオン島が小島ながら意外に音楽的には健闘しているって証拠でもあるのだろう。
 かの島からまた届けられた痛快音楽である。レユニオンの大衆音楽、”マロヤ”を代表するグループらしい。もういつもの、と言ってしまっていいのだろうか、ボーカルとパーカッション・アンサンブルのみのシンプルな音楽世界。

 痛快な複合リズムの疾走に乗って、朗々たる女性ボーカルが快い。その”朗々たる”の部分に、レユニオン特有の潮の香りとともに”アジア的な歌謡性”を感じ取ってしまうのは、こちらの勝手な妄想ゆえか?いや、実際、アフリカ的とばかりも言えない響きが、その歌声に濃厚に滲んでいるのであるが。

 レユニオンを含む、この辺りの音楽の”インド洋の文化性”という奴、こんな風に語るのは簡単だが具体的にどうだとなると索漠として掴みきれない。アフリカ東岸からインドネシアまで、どれほどの距離があると思っているのだ。しかもその間に横たわるのは、古代からの行商人が踏み均した交易路なんかじゃない、広漠たる海水の広がりだけなのだ。

 その一方、古来よりのインド=アラブ圏とアフリカ東岸との文化的、経済的関係は古い歴史を持つものであるし、さらに今日でも、たとえばインド映画がアフリカ東岸地方に住む庶民に日常的に愛好されている、などというエピソードに代表される草の根のかかわりも存在すると言う。
 広いのか狭いのかインド洋、などと実態の見えない遠方よりの見物人としては頭を混乱させるだけなのだ。

 このアルバムで最も聞く者を混乱させるのは2曲目の、無伴奏コーラスで始まり次第にテンポアップ、パーカッションの疾走で終わる作品だろう。どう聞いても古いキリスト教の賛美歌のメロディを持つ歌である。むしろ、イギリスのトラッドバンド、スティールアイ・スパンの初期アルバムにでも収まっている方がふさわしく思える曲が、なぜこんなところに?

 島の人口のほとんどは黒人系のクレオールであり、住民の90パーセント近くがカトリック、などという背景を思えば、キリスト教系の歌が歌われているのは何も不思議な事でもないのだが、ここまで”ヨーロッパ直送”でなくとも良かろう。レユニオンの地まで来る間に、それなりの変形を、なぜ体験しなかったのか。

 なおかつ。その歌詞を検めると”アラー”とか”モハマド”なんて文言が見受けられて、え?とか目を疑うこととなる。いや、曲のタイトルがそもそも、”ALLAH”ですから。アラーって、これ、イスラム教の歌なの?しかも、もっともキリスト教的メロディの歌が?

 ここまで南に来ればアラブ文化の影響も大きくは無いだろうし、そんな歌を歌ってキリスト教徒とイスラム教徒の融和を図る、なんて小細工も不要と思うが。(融和どころか揉め事の種か、そんな歌を歌うのは)
 そんなややこしい歌じゃなく、ただ単に他の意味の言葉が”アラー”と聞こえているだけ、真相はそんな腰砕けのものだったりするのが世の常だけどね。いやでも、アラーにモハメドだよ、歌詞に出てくる人名が。

 とか何とか。ほんとの事情を知っている人がこの辺を読んだら、「なにも分かっていないなあ、こいつは」とかせせら笑ってるかもなあ。あのう、突っ込んでいただけるとありがたいんですが(笑)



シェラレオネのファンク帝王

2006-09-15 00:10:13 | アフリカ


 ”Heavy Heavy Heavy”by Geraldo Pino

 お~これは気持ちの良い一発に出会ってしまったなあ。

 という訳で、西アフリカはシェラレオネ出身の歌手&ギタリスト&バンドリーダーであるジェラルド・ピノの”Heavy Heavy Heavy”であります。
 どうやらこの人は1960年代から70年代のアフリカン・ポップス界の最先鋭を突っ走っていたんじゃないか。この盤は当時のレコーディングを集めたものなのだが、今聞いても相当なカッコよさなのである。

 現代アフリカの大衆音楽といえば、新大陸はカリブ海からアフリカの地に先祖がえりしてきたアフロ=キューバン系音楽が根となり、それにアフリカ的洗練が加えられる形で形成されてきたものが大勢を占めると考えていいのだろうが、ピノの場合、その辺すっ飛ばしてかのファンクの帝王、ジョームス・ブラウンのフォロワーとして西アフリカに狼煙を挙げた人物なのである。

 そもそも収められた曲の曲名がすでに”来て”いる。”Africans Must Unite”である。”Power To The People”である。そんなのばっかしである。まさに絶頂期のジェームス・ブラウンを師と仰ぎつつ、のピノの鋼の喉が、そんなソウルまみれのメッセージをパワフルにシャウトするのである。これはかっこ良いよ、めちゃくちゃ。

 サウンドは、帝王JBのファンク・サウンドに多くを負う尖がったファンク・サウンドなのだが、その一方でまったりとたゆたうアフリカ特有の地母神の湿り気みたいなものも懐に抱いている、そんな奥行きも感じる。

 顕著な特徴として、ファンクとはいえどホーンセクションは存在しない。これには

 1)必要としなかった。
 2)入れたかったが奏者がいなかった。
 3)奏者はいたが雇う予算がなかった。

 などなど、様々な理由が考えられるが、どれを正解とする根拠も資料不足で見つからない。けれど、ホーンズのない空白を埋めるかのように饒舌に弾きまくるオルガンの響きがそれを補って余りある、というより、ピノのファンクサウンドに独自の魅力を生み出す結果となっている。

 そのオルガンの奏者名が分からないのが非常にもどかしい。実にイマジネイティヴなプレイであり、弾けまくるリズム隊を従え、湧き出る泉のごとくにファンキーなフレーズを連発するさまは素晴らしく、”ホーンセクション抜き”のサウンドを、むしろ非常に今日的なものとなって響かせることに成功している。
 リアルタイムではどのような受け取り方がなされていたのか、非常に知りたく思えてくるのだった。

 あっと、最初に言っておくべきだったが、このピノのサウンドは、フェラ・クティのアフロ・ビートの形成に大いに影響を及ぼしたと、これはフェラ自身のコメントである。凄い人はまだまだいるねえ、アフリカには。




サリフ・ケイタを聴かない理由

2006-09-11 02:48:45 | アフリカ


 ”RAIL BAND・SALIF KEITA & MORY KANTE - MALI STARS VOL.1”

 こんな話、わざわざすることもないんだけど、寄る年波、ここらで書いておかないと本格的に忘れ去ってしまう危険も見えてきたので。

 いつぞや、ワールドミュージック・ファンとして、サリフ・ケイタの話でもしておけばもっと多くの方がこのブログを見に来てくださるかも知れないものを、何の因果で自分は、タンゴやハワイアンと言った、「いまどきの青少年が、それでは盛り上がらないだろう」って方向の音楽にばかり心惹かれるのだろう、とかぼやいた事があった。

 そう、そもそもなんで私は、ワールドミュージックの世界の一枚看板とも言える存在のサリフ・ケイタを聞かなくなっちゃったのだろう?以前は私も普通に、サリフ・ケイタの音楽を楽しんでいたんですよ。それが。
 まあ、首を傾げるまでもなく、その契機となった事件を私ははっきり覚えている。事件てのもオーバーな言い回しだが。

 あれはずいぶん前のこと、”ミュージック・マガジン”の記事ではなかったかなあ。来日したサリフ・ケイタのステージ評だった。そこに、サリフのステージ上の様子が報告されていた。いわく、サリフは演奏中、ふいにバックバンドのギタリストの襟首を掴み、鬼神の表情でステージ上を引きずりまわした、と。

 その様子はまさに気高き芸術家誕生の姿、などと賞賛の言葉と共に、報告されていたような記憶がある。だが私はそれを読んで・・・「サリフって、嫌な奴なんだなあ」としか思えなかったのである。そのような振り付けになっていたのか、それとも自然発生的に起きた事柄なのかは、もちろん知らないが。
 
 私だったらバックを固めてくれるミュージシャンにはもっと敬意を持って接したい。彼らは”子分”じゃないんだから。

 それよりなにより。そんな風にして芸術家ぶって客席に見得を切るサリフって、なんだか”ベルリン・フィルを指揮するフェルベルト・フォン・カラヤン”とかと、その権威主義において、なにも変わらないじゃないかと思えてきて、しらけちゃったよのなあ。

 延々と書いてきましたが、まあ要するに偉そうにする奴は嫌いだよ」って、それだけの話であります。ちなみに、私が最も好きなサリフ絡みのアルバムは・・・
 ありゃりゃ、現物がどこかにもぐりこんでしまって出て来ないんだが、”レイルバンド・デュ・マリ”とか言うバンドのアルバムでした。サリフが、まだしがないローカルバンドの構成員でしかなかった頃の音源ですね。

 ここでのサリフは、邪念のない素朴な一人の歌い手でしかなく、そのメリスマのかかった歌声のむこうに、砂埃に襲われるチンブクトゥの町や、雄大なニジェール河の流れ、それらに囲まれて生きて行く人々の暮らしの匂い、そんなものが立ち上がってくるようで、なかなか快かったのでありました。



アフリカン・ハイライフに乾杯!

2006-08-25 01:39:25 | アフリカ


 ”The Best of Adlib Young Anim of Stargazers Fame ”

 アフリカにおいて様々な土地で様々な形で息付くアフリカン・ポップスの古層を辿って行くと、つまりは”里帰りしたアフロ・カリビアン・ミュージック”という事になるようだ。

 ヨーロッパから新大陸に渡った白人たちの文明とアフリカから連れて来られた黒人たちの文化とがぶつかり合って発生したカリブ海の音楽が、アフリカの地に持ち帰られ(?)て、人々に愛好されるようになった経緯など知りたく思うのだが、その話はここではすっ飛ばして。
 
 西アフリカにおいて発生したと想像されるハイ・ライフ音楽などは、そのもっとも古い例と言えるのだろうが、それだけに良く分からないことも多く、昔々、ある雑誌で行われたアフリカンポップスに関する鼎談においても、「ハイライフって、良く分からない。現地の人に尋ねても、”あれもハイライフ、これもハイライフ”と、どれもハイライフ扱いになってしまう」などと、”お手上げ”の発言がなされていた。

 音楽の形式としては、古いスタイルのカリプソがアフリカ風に変形したもの、という雑なくくりで想像していただければ良いと思うが。

 このアルバムは、ハイライフ音楽が古くから盛んだったガーナで、1950~60年代においてハイライフ界の人気バンドだったスターゲイザースの歴史的レコーディングを集めたものだ。いきなりリーダーの芸名が”アドリブ”ヤング・アニムであるあたりが嬉しい。

 針を落とすと(CDなんだが)聞こえてくる、リズミックに弾む、ややルーズなハモリのホーンセクションの響き。これこれ、こののったりまったりした手触りがハイライフの醍醐味だよなあ。などと和んでいると、トランペットやサックスのソロが始まったとたんに「え?」と驚かされることとなる。

 いわゆるアフリカ風の旋律の中でジャズっぽくスイングしつつアドリブを決める、そのための方法論。それはたとえば渡辺貞夫が”ムバリ・アフリカ”期に盛んに行っていた演奏の軸となるものであるが、それはもうこの時点でほとんど完成されていた事を、このアルバムに収められた演奏が証明しているのである。

 そいつは、半世紀近く前の演奏とは信じられぬほどのシャープな輝きを帯びていて、「いかすぜ、アドリブ・ヤング!」と声をかけずにいられない。いや、かけやしないけどさ、気持ちとしてそんな感じなのさ、凄いのさ、ハイライフという名のアフリカン・ジャズは。

 高価で、弾きこなすにはそれなりの訓練が必要となるピアノの代わりにギターが使われ、それがハイライフをはじめとするアフリカの近代ポップスの個性となって行ったとはよく言われることである。
 このアルバムで聞かれるギターの、トロッと甘く、それでいて切れ味の鋭いフレージングも捨てがたい魅力がありで、奏者の名が不明であること、まことに残念と言わずにいられない。

 やあ、こんな音楽が普通に街角に溢れていた50~60年代の西アフリカの空気って、どれほどの熱気を帯びていたんだろう。ドキドキするよなあ。




遠ざかるマダガスカル

2006-08-20 01:48:52 | アフリカ


 ”musique du monde”by Tombo Daniel with Toamasina Serenades

 もう何年前になるのかな、楠田江梨子がキャスターとなって、アフリカ沖に浮かぶ不思議の島、マダガスカル島の自然誌を何回かのシリーズでNHK-BSが放映したことがある。

 あれはなかなかに面白い番組で、ビデオに録って置かなかった事をいまだに後悔しているのだ。ブライアン・オールディスの書いたSF、”地球の長い午後”では、人類の文明が没落した後の遠未来、地球を覆いつくすことになっている”ベンガルボダイジュ”の生態など、実に味わい深かった。
 
 ベンガルボダイジュ、と書いた。ベンガルといえばインドの地名なのであって、その辺が出自の巨木が繁茂している大地なんてのも、アフリカというよりはインド洋文化圏として語りたくなるマダガスカル島を象徴するようなエピソードだった。

 そのような土地柄ならば当然、アフリカの要素とアジアの要素が激突、ユニークな音楽が生まれて当然なマダガスカルの、これは当地の民俗楽器、”ヴァリハ”をメインに押し立てた、かなり民謡色濃いアルバムである。

 ヴァリハは共鳴板に弦を張り渡した、ちょうど琴のような構造になっている楽器であって、そいつを体の前に突き出すように構え、掻き鳴らす。写真での見かけに比すると、ずいぶん分厚い音像を持つ。

 こちらはいかにもアフリカ色濃厚な女性コーラスとシンプルなパーカッション群をバックにヴァリハを奏で、渋い声で主人公のトンボ・ダニエル(なんか、突っ込みたくなる名前だ)は、やはりアフリカ色は強いものの、どこかしらに枯れた、不思議な寂寥感の漂うメロディを歌う。

 こうしてマダガスカルの音楽を聞いているとしかし、浅学の私などはアフリカとアジアの激突というよりむしろ、ラテン音楽、それもカリブ海周縁のベネズエラやコロンビアあたりの平原部の音楽に似ているな、などと感じてしまうのだった。

 独特の、前につんのめりそうになりながら疾走する”タタタ タタタ タタタ”と聞こえるノリのハチロクのリズムも似ているし、ヴァリハの奏でる和音の響きも、南米で広く使われている小型のハープ、”アルパ”の響きに極似していると感じられて仕方ないのだ。

 まあ、実際にはマダガスカルと南米、あまり関連性もないと思われるし、似ているとしても偶然でしかないんだろうけど。
 そういえばマダガスカルの沖に浮かぶ小島、レユニオン島の音楽を聴いた際にも私は、そのメロディラインに南米のフォルクローレ的な匂いが仄かに含まれていると感じた、そんな記述を以前、この場で行ったものだった。

 うん、これ以上はSFの領域に入ってしまうので論じるのは止めておくけど、もう少しか後の音楽について知識が深まれば、何か見えてくるものがあるのかも知れない。まあ、それまで宿題という事で。

 聴いていると、何かしら”透明な悲しみ”なんて言葉が連想される。まだ手の届かないずっと遠くから、風に吹かれて飛んできたマダガスカルの歌声は。




パリの灯、アフリカの輝き

2006-07-31 02:48:43 | アフリカ


 ”Nyboma & Kamale Dynamique”

 ブラック・アフリカを席巻したコンゴのルンバ、わが国で言われるところの”リンガラ・ポップス”に展開の3つの道あり。本場コンゴの音楽の都、キンシャサで猛者のバンドたちと切磋琢磨する、あるいは西に向かい、ヨーロッパ行きの道が控えているコート・ジボワールでのレコーディングに賭ける、さらにもう一つは東はケニア方向へ向かい、異郷、異文化の元での銭儲けに邁進する、と。

 この構図を知ったのはもう20年も前のことになるのだが、今でも情勢は変わっていないんだろうか。当時の私はケニアあたりで行われているいかにも辺境、といった荒削りな輝きのあるサウンドに惹かれていて、なかなか手に入らないケニア盤を追いかける、報われない日々(?)を送ったものだったが。

 この”アフリカ一の美声の持ち主”とまで言われた男、リンガラ界の人気歌手ニボマは、コートジボワール経由でヨーロッパ、つまりはパリのアフリカ音楽シーンで活躍したリンガラ・ミュージシャンの代表格とでも考えたらいいんだろうか。ヒット作の”ペペ”などは”ケニア派”の私も当時、購入して、結構楽しんで聞いたものだったが。そんな彼が70~80年代に世に問うた作品群からのベスト盤が昨年出ていた。

 さすがに人気者、と言った華やぎが横溢した、楽しい盤になっている。パリに向かうとはつまり、かの地におけるアフリカ音楽愛好シーンに飛び込むわけだが、その需要のありよう、要するに銭金の動きって、どうなっていたんだろう。かっては音楽のありようだけしか興味もなく、「ヨーロッパに行けば、そりゃ儲かるんだろうな」とか浅くしか考えていなかったのだが。

 ニボマを迎えたヨーロッパの観客たちの構成を想像するに、パリに滞在するアフリカ人たち、あるいはアフリカ音楽を好んで聞く、ワールドミュージック好きのヨーロッパ人などになるんだろうが、どれほどの厚みがあったのか。

 今、CDのジャケを見ていて、ニボマが当時使っていたレコーディング・スタジオが名門、パテ・マルコーニだと知り、へえと思ったのだが、さすがにサウンドは洗練されている。流麗なギターの響きに導かれ、黒光りのするニボマの歌声が鞭のようにしないつつ躍動する様は、まさにアフリカの若大将であり、当時のアフリカ音楽の盛況を物語っている。一時代を築いた、といっていいんだろうな。

 この輝きは、今でもパリの街の片隅で失われずにいるのだろうか。そういえばシンガラの新しい情報って、さっぱり入って来ないなあ。私が追うのを怠けているだけかも知れないが。80年代、アフリカ音楽が迎えていた一つの高揚の確かな証ともいえる作品集である。



夏のターラブ

2006-07-27 03:53:26 | アフリカ


 ZANZIBARA 2 : 1965-1975, GOLDEN YEARS OF MOMBASA TAARAB

 あれは鄭和と言ったかな、中国は明の時代の武将。知人に勧められて、彼の生涯をテーマにした小説を読んだことがあるんだった。

 鄭和は、時の皇帝、永楽帝の命を受けて大船団を組織し、東南アジアを踏破、さらにはインドからアラビア半島、ついにはアフリカにまで航海したと言う。ヨーロッパの”大航海時代”に先んずること70年と言うから、これはとてつもない偉業だったろう。

 鄭和が到達した最西端は現在のケニアはマリンディという土地だったと言う。アフリカ東海岸における”ターラブ”の発生はいつ頃だったのだろう。はたして鄭和は、この不思議な音楽に接することは出来たのだろうか、などと夢想する真夏の夜なのだった。

 ターラブは、アフリカ東海岸に古くから存在するアラブ=アフリカのミクスチュア音楽、とでも紹介すればいいのか。いやいや、アジア音楽の要素も含まれ、広くインド洋音楽の一つと認識するのが正しいのだろう。

 交易などを通じてアラブ世界と繋がりの深かったアフリカ東海岸の共通語であるスワヒリ語は、「あまりにもアラビア語の要素が入り込み過ぎている」などと批判さえ受けることがあるのだそうだが、ターラブもまた、アラブの影響が色濃い。アラブの民族楽器であるウードやカーヌーンなども用いた、優雅なストリングスのアンサンブルを聞かせる。

 今回、取り上げたCDは、ケニアのモンバサで60~70年代に行われたレコーディングを集めたものだが、これまで聞いたもののなかではよりファンキー度が強い感じで、興味深い。

 なんでも現地では、あの歌とダンスが狂喜乱舞の法悦境の実現(?)たるインド映画が普通に見られておりそちらからの音楽的な影響も多い、となると、文化の交錯は時の流れを挟んでさらに多層化していて、気まぐれにCDを聞くだけの身には簡単に正体をつかめる相手ではないようだ。

 そうそう、どのような経緯で流れて行ったかも分からないが、日本の大正琴が結構重要な使い方をされていて驚かされる盤でもある。その経緯を調査し、いや、想像で追うだけでも、相当に面白い冒険小説が書けそうじゃないか、誰かやってみてくれ。などと言い出したくなるのは、ターラブの内に色濃く漂っている潮の香りのせいだろう。

 鄭和はターラブを聞いたのかなあ、それにしても。



ケニアでGOGO!

2006-07-08 02:53:49 | アフリカ


”BENGA BLAST! ”by DANIEL OWINO MISIANI & SHIRATI BAND


 アフリカはケニアの、ルオ人のポップス、”ベンガ”の第一人者であります、D・O・ミシアーニの代表作を集めた、80年代の録音集であります。

 相変わらずアバウトな知識しかなくて恐縮なんですが、おそらくこの音楽もザイールのルンバ、わが国で”リンガラポップス”と呼ばれるあれからの、大々的な影響下で生まれてきたものかと思われます。コロコロときらびやかに鳴り渡るギターの響きに導かれ、いかにもアフリカらしいしなやかなコーラスが鳴り響く。ハイハットの刻みも軽やかに突撃するドラムスが快い。

 それでも、リンガラポップスと比べると、例えばギターのフレーズのありようなど、ずいぶん違う感じですな。リズムを構築することを中心において構成音を撒き散らして行く感じのコンゴ・ルンバのギターよりも、このベンガ音楽のギターのフレーズは、よりメロディ主導で組みあがっているようです。聞き慣れると、ギターの奏でているメロディを歌おうと思えば歌えるもの。

 その事情もあって、ベンガは、コンゴのルンババンドたちと比べて、より”エレキ・バンド”色が強い。「ほら、これ、アフリカのグループサウンズ」とか、いい加減なことを言って事情を知らない奴をだましてやるのも一興かと思います。(そりゃ、どうだか)

 歌自体のメロディラインも、より歌謡曲的(とは言い過ぎなんだけど、まあ、ご容赦ください)であって、ますます”ヴィクトリア湖畔のグループサウンズ”色を感じてしまう。

 そして、なにより注目したいのがベース・ギターの動きですな。自由奔放、実にファンキーに動き回るそのさまは、それだけ聞いていてもまったく飽きない。不思議なプレイが生まれたものです。これって、ケニアの、というかルオ人の伝統音楽からの、なんらかの影響とかあるんだろうか?不勉強でよく分からないんだけど、こちらのリズム関知中枢の裏筋を舐められる感じで、たまらない快楽。

 ともかく、なんか独特の愛嬌があって憎めない音楽なんですよ、ベンガって。なかなか音も手に入らないんだけど、もっともっと聞いてみたい。関係各所、よろしくお願いしますよ、ほんと。