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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ゴールデン・ナモのコズミック・ダンス

2010-08-18 04:55:59 | アフリカ

 ”THE MBIRA MUSIC OF GOLDEN NHAMO ”

 南部アフリカにジンバブエなる国があるが、確かこの国名は「石の家」と言う意味であったと記憶している。この国に古くから存在する石造建築物にちなんだものと聞いている。
 ジンバブエはまた、ブラック・アフリカ全域において使われている親指ピアノの音楽のとりわけ盛んなところであるが、上のような話を聴いた連想から、かの国のミュージシャンが演奏する親指ピアノを聴くたびに、ごろんと横たわる石塊に向って思索を行なう哲学者、みたいなイメージが浮んで仕方がなかったりする。

 永久の時間を沈黙して過ごして来た岩石に向って、人生の意義や宇宙の謎について楽器をかき鳴らしつつ問う、寡黙な哲学者。ここに紹介するゴールデン・ナモもまた、ジンバブエの哲学者の面影漂う(まあ、私が勝手に夢想しているだけだが)親指ピアノのプレイヤーである。
 その人生の前半分を軍人として過ごし、司令官なる地位にまで上りつつも、突然その職を辞し、故郷に帰って親指ピアノのプレイヤーとしての研鑽に務めた、などという戦国時代の変わり者の武将みたいなエピソードもまた、彼の思索家イメージを深める。

 その演奏自体もアブストラクトというのか、彼独自の不思議な手触りを持っている。アフリカ大陸では当たり前のように聞こえる複合リズムの一種ではあるが、他のミュージシャンの演奏とは一味違う奇妙に歪んだリズム構成と、それに乗って織りなされる聴いたこともないような和音の響き。
 その、まるでクラシック音楽のフィールドで”現代音楽”と呼ばれるジャンルの作曲家が作りでもしたような、ある種不安定な構成の楽の音。それは、遠くジンバブエを離れて生きる我々の今の心境にもぴったりとフィットする、非常に今日的な先鋭的な響きを奏でている。

 興味深いプレイをもっともっと聴きたいと願うのだが、残念ながら演奏者のナモは、この、彼にとってはじめてのアルバムが世に出た年の暮れ、ほんの短い患いの後、世を去ってしまっている。まだ50代の若さであった。
 このユニークな演奏家が形として残した音楽遺産が、あまりにも少ないことに唖然としてしまうのだが、せめて彼の残したこのアルバムを聴き込み、彼の残した謎の回答へと一歩でも近尽きたいと願うのみである。



激走、シャンガーン・エレクトロ!

2010-07-29 01:48:46 | アフリカ
 ”Shangaan Electro - New Wave Dance Music From South Africa ”

 ああ、ついにアフリカから来た来た来たっ!
 いやぁ、このところずっとアフリカ発の生きの良いサウンドに出会えず、すっきりしない気分が続いていたんだ。で、ネット某所にキンシャサとかで撮られた現地の若い衆によるラップなんかの愚劣な映像がいくつも紹介されているのなんか見つけて、「そうか、アフリカも、世界中を同じ退屈の鉛色に染め替える、あのラップの泥沼にうずもれて腐り果てて行くのか」なんて、すっかり落ち込んでいたんだが。
 いやあ、やはりアフリカは負けない、こんな面白い音楽が芽生えていたんだねえ。

 音楽の名はシャンガーン・エレクトロというらしい。このCDの副題には”南アフリカ発のニュー・ウェーブ・ダンスミュージック”とある。一言で表現すればそういうことになるんだろう。レコーディングは2004年から2009年と言うことで、どうやら現在進行形で南アフリカ・ローカルで燃え盛りつつある最新サウンドの実況報告としてのコンピレーション・アルバムのようだ。

 ジャケにグロテスクなホラー風味の扮装をしたバンドのメンバー(あるいはダンサー)の姿があしらってあるのが象徴的だが、いかにもクールな諧謔趣味が各バンドの演奏を貫いている。(バンドと言っても、ここに収められた演奏がそれぞれ、どの程度独立性を持っているのか、よく分からない。同じ演奏家の手になると思われる音があちこちに出てくるし、実はメンバーがかなり重複する、あるいは、かなりの実力者らしいプロデューサーが全体のサウンドを弄繰り回しているのか。なんか後者のような気がするが)

 音は、乱打されるマリンバの音とチープなキーボードの電子音が絡み合い、民族色あったり無機的だったりのソロやコーラスの歌声と一緒に、やたらとぶっ早い打ち込みのリズムに乗って疾走して行く。ブラックジョークっぽい語りや叫びが随所に挟み込まれ、音楽に含まれる猥雑度をいやがうえにも高める。
 近代テクノロジーと民族性の融合なんて話が始まると、なんか素晴らしい新時代のサウンド誕生、なんて方向に話が行くのがワールドものの定番だが、この場には変な上昇志向なんかかけらもうかがえず、ひたすらお調子者の浮かれた疾走が続く。こいつは韓国のポンチャクなんかの魂の兄弟というべき音楽なのだろう。

 「アフリカに先祖がえりしたアフロ・キューバン音楽の」なんて定番の解説も、「おっさん、意味ない話はやめろよ」と道化師のおどけた哄笑に吹き飛ばされるがオチだろう。南アフリカの伝統音楽の影は濃厚に差しているのだが、休み無く打ち込まれるテクノな乗りの電子音からの突っ込みに絶えず晒され続け、漫才の相方の地位を強いられたままだ。頻出するマリンバの響きも、民俗音楽的というよりは、テクノだったりミニマル・ミュージック的だったりの方向にすっ飛んでいる感じだ。

 なんか意味不明の文章で訳分からないと思うけど、いやあ、音楽自体が訳分からないんだから。それも、素晴らしく素敵にクールにムチャクチャなんだからしょうがないよ。
 さて、この音楽の明日はどっちだ?なんて余計な事は考えずに、思いっきりのアホのポーズで見守らせてもらおう。行け行け、シャンガーン・エレクトロ!



ベニンのファンクの80年代

2010-04-03 22:36:36 | アフリカ

 ”LEGENDS OF BENIN ”

 アフリカのローカル・レーベルを発掘&CD化し、他の世界の者には知られることなく燃え盛っていたその地の音楽シーンの動きを顕かにする”アナログ・アフリカ”シリーズから、また凄いのが出た。と言うか、今回も驚かされたのはベニン音源。ベニンって国は、こんなに凄い音楽大国だったの・・・
 一昨年だったか、再発盤のベスト10を選んだ時、やはり”アナログ・アフリカン”シリーズの中から、70年代の西アフリカはベニン=トーゴ方面のアフリカン・ファンクの動きに焦点を当てた”Afrikan scream Contest”なんて強烈な奴を選出したものだったが、今回の盤はその続編とも言うべき、70~80年代ベニンのミュージシャンが残したアフリカン・ファンクの大爆発の様を捉えた一発だ。

 おおらかにやみくもに黒いビートを炸裂させていた”アフリカン・スクリーム・コンテスト”(それにしても、なんたる凄まじいタイトルだろう)から10年の歳月を経、ベニンのファンクは明らかに進化を遂げていた。前作をスライにたとえれば”スタンド!”期であったとすれば今回は、今回のベニンのファンクシーンは明らかに”暴動”期に突入している。
 ただ素朴に熱い爆発を聴かせるばかりでなく、どこかにクールなファンクネスの魂が不敵な面構えで脈打ち、凶悪とさえいえるアフリカン・ファンクを花咲かせている。音楽性の幅もぐんと広がり、レゲ等の要素なども取り入れさらにその世界はパワー・アップ。

 それにしても。今後も”アナログ・アフリカ”にはローカルで燃え盛っていたアフロ・ポップスの発掘を続けて欲しいと願うのではあるが、このベニンのファンク物語はこの先、どのようなストーリー展開を迎えるのだろう?とそちらの方も気になってくるのだ。
 だって今日、ベニンという国は巨大なアフロ・ファンクの提供国であるわけではないのだから。これらの音源を聴けば、そうなっていてもおかしくないのに、どうして?
 いや、かの国がその後に辿った運命などを思えば、何となく先は見えるのだけれど。




スワヒリ・ルンバで燃えた日々

2010-03-26 02:56:21 | アフリカ

 ”SWINGING SWAHILI RUMBA ”by ISSA JUMA & SUPER WANYIKA STARS

 こんな具合に毎日しつこく雨が降り続くならいっそ、カラカラに乾いた音楽を聴いてやろうと、東アフリカで70~80年代に活躍したスワヒリ・ポップスのバンド、Super Wanyikaの出たばかりのベスト盤というかメモリアル盤を取り出してみた。
 期待通り、湿度0パーセントのギターのフレーズがキンカラコンカラ鳴り渡り、これは気持ちが良いや。
 とまあ、これで終わってもいいんだが、それもあんまりでしょ。

 このWANYIKAなるバンドは、タンザニア出身の歌手、ISSA JUMAによって結成されたバンドで、当時、サハラ以南のアフリカ諸国を席巻していたコンゴルンバ、日本で言うところのリンガラ・ポップスの圧倒的影響下に自らのサウンドを編み上げていた。他の多くの東アフリカのローカルバンドと同じく。

 このバンドをはじめて聴いた20年ほど前、「アフリカにおいて、かってイギリスの植民地だった国の音楽はベースラインが面白い」と言った人がいたんだけど、誰だっけ?まったく思い出せないが、あの説にはどの程度、音楽理論上の裏付けがあったのだろう?
 見当も付かないが、とりあえずこのバンドを聴く限りでは確かにベースの動きは面白い。もうやりたい放題にボコボコと跳ね回り、バンド全体をリズムの網に引っかけてとんでもないところに連れて行く。

 そして、アフリカの太陽の下でカラカラに乾燥してしまったみたいな音を奏で絡み合うギターたちやドラムスが跳ね回り、そしてバンドの主人公であるISSA JUMAが艶っぽく男っぽい声で歌いだすと、大地の上を泳ぎ出す巨大な魚、みたいな独特の疾走感をもってバンドは走り出すのだ、アフリカの大地を。

 リンガラ・ポップスの本家であるコンゴのバンドの圧倒的な影響下にありつつ、自国の音楽的伝統を随所に滑り込ませる、そんな動きを東アフリカのいくつかのバンドは見せていたが、彼らWANYIKAもまた、その一つだったと言えるだろう。ISSA JUMAのバンドはケニアでいつかそれなりの人気を博し、現地のレーベルからヒット曲さえ生み出すようになっていった。
 ISSA JUMAが故郷を出でてウガンダやコンゴといった国々での音楽修行を経た後、ケニアの地に腰を据えてバンドマン人生を送ったのは、やはり経済の問題、ようするにギャラが良かったからなんだろうなあ。いや、それがバンドマンの基本ですから、洋の東西を問わず。

 でも、国境を越えてバンドマン稼業を営むについての外国人労働許可証の問題は常にISSA JUMAを悩ませていたようだ。(正式に許可証を取るには、かなりの金が必要だった・・・と、これも20年ほど前、現地に何度も出かけてアフリカ通と称していた友人の話)
 ISSA JUMAは1980年代の終わり頃、この問題により2ヶ月を監獄で過ごす羽目になり、その時に得た病を引きずった挙句、1990年代の始め頃、あっけなくこの世を去る。

 私が目の前にしているISSA JUMAの業績を伝えるこのCDが、彼の死から10年近くも過ぎた今、突然リリースされた理由は分らない。が、とりあえずひと時、東アフリカのローカル・ヒーローだった男の生きた証しがこうして陽の目を見るのは、悪い事ではないだろう。
 それでは、スゥインギン・スワヒリルンバ、Go!

 (この盤に収められている音源はYou-tubeでは見つからなかったので、彼名義のほかのものをとりあえず貼っておく。まあ、サウンドは似たようなものだから、ね)




もう一つの牢獄、もう一つの脱出

2010-03-16 01:56:48 | アフリカ

 ”DAKAR - KINGSTON”by YOUSSOU NDOUR

 なんかユッスー・ンドゥールの新譜ってのが微妙な話題を呼んでいるらしいですな?私はユッスーの、というかセネガルの音楽自体にあんまり興味がないんでまだ聴いていない、というよりこれからも聴くことはないんですが。でも、その話題になりようにはちょっと興味をもった。

 なんかユッスーの新譜はレゲ集なんだそうですね。で、彼の支持者の皆さんの感想としては「なぜ、今レゲ?」という肩透かしを食った戸惑い気味の困惑って感じのようだ。レゲのカヴァーなんかじゃなく、セネガル独特の、ンバラっての?それをきっちり聴かせて欲しかった、とファン諸氏の心には、「アルバムが出たのは嬉しいけれども、めでたさほどほど」みたいな不満がわだかまっているようです。

 そこで私は思い出したことがある。昔、アフリカ生活の長かった人がエッセイか何かに書いていたんだけれど、アフリカで一番一般的に聞かれている"ポピュラー音楽"は実はレゲなんだそうで。リンガラがブラックアフリカを席巻したのなんのと言っても、もうとんでもないド田舎の村に行って、とにかくラジオから聴こえてくるのはレゲだった、なんて。
 つまりはそういうことじゃないのかなあ?

 アフリカのミュージシャンがアーティストとしての野心も何も抜きに無防備で音楽やっちゃうと、レゲになってしまう。ユッスーの新譜を覆っているのは、そんな”ぶっちゃけ現象”の発露というべきものじゃないのか?
 そして、ワールドミュージック・ファンが高い評価を与えている”彼らのルーツ&ポップミュージック”って、実は現地ミュージシャンにとって、すごく無理してやっている不自然な音楽の側面もあるんではないか、なんて気がしてるんですよね。

 もちろん、そうではない、現地の大衆の間から自然に沸き起こってきた台地の調べであったりするのでしょうが、その反面、彼らミュージシャンの心の底に、時に、こんな不満が炸裂する時もありはしませんかねえ?

 いわく。
 「なーにがグリオの伝統だよ。年がら年中、そんな辛気臭い音楽をやっちゃいられねえってんだ。俺はなあ、ストーンズを聴いてミュージシャンに憧れた人間なんだ。今、本当に作ってみたい音楽はボブ・マリーの”ワン・ラブ”なのさ。ンバラ?ああ、やるとフランス人が喜ぶ音楽だろ?」

 私は問題のアルバム、そんな風に静かに静かにユッスーが切れて見せた一発じゃないかと推測してるんですが。

 まあ、一度も聴いた事のないアルバムの事をよくもまあ平気であれこれ言うなあってなものですが、上の文章を普通に読んでいただければ、これはユッスーの新譜の評判を取っ掛かりに、ワールドミュージックに接するにあたって、私が以前より気になっている事を述べてみたもの、とご理解いただけるはずです。



赤道直下のターンターンターン

2010-02-28 00:17:02 | アフリカ

 ”BEND SKIN BEATS”by Tala Andre Marie

 タラ・アンドレ・マリー。アフリカは赤道直下、我が国とは主にサッカー関係で時々変な縁が出来てしまう国、カメルーンのトップ・ミュージシャンである。盲目であるため、時に”カメルーンのスティービー・ワンダー”なる呼び方もされるようだが、アフリカには各国にそうあだ名される人がいるみたいなので、これはあんまり重要な情報ではないのかも知れない。
 彼はともかく、あのジェイムス・ブラウンにデビューアルバムの中の曲をカバーされるという栄光の記録があり、でもなんかそればかり称揚されるとちょっと鼻白む気分もありで、かってLP時代にタラ・アンドレ・マリーの日本盤が出たにもかかわらず私は買っていなくて、その辺、何となくへそを曲げた結果かも知れない。

 そんな次第で、このカメルーンの大スターの音楽を聴くのはこれがはじめてなのだが、確かにこれはいけてる人と言っていいのではないか。あのファンクの帝王JBがカバーしたというから、熱っぽいファンク・サウンドが炸裂しまくるのかと思いきや、むしろかなりクールな響きのある洗練されたファンク・ナンバーが整然と展開されたのである。
 ボーカルもクールというより知的という表現を使いたい落ち着きようであるし、唄、作曲と共に”売り”であるらしいギターのプレイも、渋めのファンキーな展開を示し、これも捨てがたい魅力あり、である。

 この、音の細部までに神経が行き届いた繊細さというのは、アンドレ・マリーの個性なのか、それともカメルーンという国の持ち味なのか、などとぼんやり考えつつ聴いていたのだが、驚きはまだその先に待っていたのだった。

 このアルバムはアンドレ・マリーの初期総集編とも言うべきもので、70年代のデビュー当時のレコーディングから1998年の曲まで、20年以上にわたる彼の活動の軌跡が収められている。その中でも最初期に属する作品が面白いのだ。
 なにしろフォークロック調なのであり、しかもその内にしっかりとアフリカらしさも滲み込ませている。この、赤道直下のクソ暑い国のポップスとも思えない爽やかさには、ちょっと魅せられてしまったのだ。キャリアの始めの頃は彼、こんなフォーク調の曲が好きだったんだなあ。

 そういえば、この記事に添付しようとYou-tubeを漁っていたら、彼がエレキギター一本抱えてミニライブをやっている映像がいくつかあり、そこでの彼はバーズのジム・マッギンも相好を崩すであろう実にジングル・ジャングルなギター(分る人にしか分からない表現だが、すみません、先を急ぎます)をかき鳴らしてもいるのだ。
 ギター・プレイをさらに観察してみると、アフリカン・ポップスを語る際に必ず出てくる”アフロ=キューバン調”ではなく、むしろロックギターがルーツにあるとあからさまに伝わるものがあり、何だかこのカメルーン男にますます親近感を抱いてしまったのだった。

 もう彼はアフリカ調フォークロックはやらないのかなあ?やればいいのになあ。初出時はカメルーンの人々はどんな顔してこのサウンドを受け止めたのか、などと空想は広がる。いやいやまだまだ面白い音楽はあります。




さあ、バリスターの新譜だ

2010-02-23 03:02:16 | アフリカ

 ”Image & Gratitude”by Sikiru Ayinde Barrister

 ナイジェリアのフジ・ミュージックといえば、ワールドミュージック・ファンとしての私なりのランク付けで言えば特Aクラス。ともかくナイジェリアのイスラム系ダンス・ミュージックと聞けば無条件で飛びつくことにしている。いくつものパーカッション群が生み出すうねるリズムの迫力、そいつに乗ってイスラミックなコブシ全開で展開される黒光りしたボーカルと、これはもうたまらんものがあります、何も言うな、何も言うな。

 しかしナイジェリア盤の入手が非常に困難な状況はずっと続いていて(理由?そんなの知らん。教えて欲しいのはこっちのほうだ)なかなかに狂おしい歳月を送って来たのだった。
 そんな状況下で手に入ったこのアルバム、フジ・ミュージックの創始者であり、いまだ現役の人気歌手であるアインデ・バリスターの新譜であるそうな。血が騒がずにはおれぬというものである。
 もっとも、このようにして時たま間歇的に(?)手に入る新譜を聞く限りでは、我が最愛のフジ・ミュージック、あまり良好な状況にあるともいえないようで、なんかどこか納得できない仕上がりのものに出会ってしまうことも多いのだ。

 たとえば、これは今日のフジ・ミュージックでは平均的な相場のようなのだが、異常に高速化されたリズム。それは速さを獲得した代わりに重さの喪失という現象を起こしている。かって、フジ・ミュージックの黒く地にへばりつくような重いビートに魅された者には、それはどうしても物足りなく感じられるものである。
 また、これも流行のようだがギター、シンセ等の楽器の導入。パーカッションのみ、というストイックな楽器編成が生み出す硬派なアフリカ的洗練の世界を、なぜ彼らは手放してしまうのか。などなど。
 そんな次第で、期待よりも実はそれを上回る不安が勝っているのも事実なのであった。
 という状態で聴いてみたバリスターの新譜である。

 まずはボーカルのみのイスラミックな詠唱が聴かれ、そこにストトンとリズム・イン、聴き慣れたバリスターの音楽世界が提示される。「結構良いじゃないか」というのがとりあえずの感想。余計な楽器も登用されず、ストイックなイスラム=アフリカンの美学は貫かれている。
 が、やはりリズムの異様な高速化はバリスターといえども無縁ではおれないことだったようだ。せっかくバリスターがディープなコブシ回しで迫っても、この気ぜわしいリズムが駆け回る中では、今ひとつ魅力を発揮しそこなっていると言わざるを得ない。
 まあ、ナイジェリアの人々がこのようなリズムを好んでいる、必要としているというのなら、こちらが文句を言うのは余計なお世話、あれこれ言う筋合いではないのだが。

 で、その高速ビートの中のバリスターのボーカル、ことにバックコーラスとのやり取りなど聴いていると、あのアパラの英雄、故・アインラ・オモウラなどを彷彿とさせる部分もないではないのだ、意外にも。
 もともとは素朴なイスラム系ダンス音楽アパラより出でて、より複雑な音楽構成を獲得して独自性を発揮して行ったフジ・ミュージックである。
 が、この盤におけるバリスターからは、そんなアパラへの回帰の姿勢とも考えうる姿勢がうかがわれるのだ。全体のサウンド構成を見ても、かっての急激なリズム・チェンジなどは聴かれず、よりナチュラルに音楽は流れて行く。とうにベテランと呼ばれる年齢であるバリスターであるのだが、壮年に至り、音楽上の故郷が懐かしくなってきているのではないか、そんな気がした。

 以上、めでたさほどほどというのか、やや複雑な気分で聴き終えたバリスターの新譜である。いや、出来にそれほどの不満があるわけではない。バリスターの歌声は相変らずの迫力であり、文句はない。要はリズムだ。あの気忙しいリズムは、なんとかならんのか?ナイジェリアの音楽ファン、あなたがたのリズム感って、どうしちゃったのだろう?
 という訳で。バリスターの次作も、彼のライバルたちの盤も、どうか今後も上手いこと入手が叶いますようにと祈りつつ、無駄話を終わる。

 このアルバムの音、さすがにYou-tubeには挙がっていなかった。が、何もつけないのは淋しいので、バリスターの画像を適当に見繕って貼っておこう。




凍りつくキンシャサ?

2010-01-31 16:45:05 | アフリカ

 Twitterに、「キンシャサは燃えているな」とか「最高だぜ」みたいな人々の感想をまといつかせたYouTubeのURLが上がって来た。なんだなんだと見てみると・・・
 要するにラップやらヒップホップやらの音楽が、あの”アフリカン・ポップスの総本山”とまで言われたキンシャサの町でも、もてはやされているというオハナシなのである。そんな音楽がキンシャサの、コンゴのミュージシャンたちによって演じられている画像がいくつも上がっていた。
 なんともガックリ脱力させられてしまったのだ。このところあのあたりの音楽にはこちらもゴブサタだったのだが、キンシャサのトレンドはこんなことになっていたんだろうか。一部だけの現象と信じたいのだが・・・

 今日の大衆音楽、世界のどちらに参りましてもアメリカの黒人の猿真似、ついにはキンシャサまでも!では、あまりに情けない。
 実際、その”ラップ”には、特筆すべきクリエイティブな魂など感じられなかったから、私には。かってカリブ海からアフリカに先祖がえりしたアフロ~キューバン系音楽が新しいアフリカン・ポップを産む事になった故事を想起させる、クリエイティヴな輝きがそこにあるとは到底感じられない。
 ただ、アメリカの黒人の真似をして喜んでいるおめでたい青年がいる、それ以外のものではなかった。我が国でも普通にお目にかかれる風景ですな。

 私のそんな感想と逆に、そこで紹介されていたキンシャサの音楽シーンを「熱い!」「来ている!」と賞賛する人たちには、彼らが「これこそがもっと正しい世界理解だ、最先端の音楽だ」と信ずるヒップホップ関係がアフリカ中央部にまで及んでいるのが「最高にエキサイティングな状況だ」と評価できる事件のようだった。
 ひょっとしてそのような人々にとっての”ワールドミュージック”というのは、というより”世界”そのものが、「アメリカを通してながめたもの」「アメリカを基準にして価値観を定めるもの」となっているのではないか、そんな危惧がモヤモヤと立ち昇ってくるのだ。

 私の価値観から言えば。ラップやヒップホップに影響を受けた音楽が世界中でもてはやされ、世界中の裏町がひとしなみにアメリカの都市まがいの風俗に覆われるのを”善し”とする感性と、「世界中がもう一つのアメリカであるべきだ」と考えてアジアやアフリカや中南米に爆弾を落とす感性とは、まさにコインの裏表、同じタマシイのしからしめるところのものなのでは?などと、なにやら寒々しい気分になってしまうのであった。



ベニンのポリリズムだよ、あーちゃん!

2009-12-16 02:24:49 | アフリカ

 ”Orchestre Poly Rythmo de Cotonou 2”

 CDのデジパックや分厚い解説書を同じ形のボール紙のケースに入れてあるのだが、そのケースがいやに汚れていて、さらにあちこちシワが寄っていたりするのだった。なんだよ、商品管理なってねーなとよく見たら、そうではない。
 アフリカ発売されたアナログ原盤のジャケ写真をコピーしてジャケ写真に使っているので、古いアフリカ盤のジャケの汚れやヨレがそのまま転写されてしまっているのだ。でも、この汚い感じがリアルに当時のアフリカのバンドの熱気を伝えてくるようで、こいつはこれで正解かもしれない。

 それにしてもジャケに写ったメンバーの人相があまり悪くて嬉しくなる。いかにも裏町のヒーローって風格がジワと伝わってくるのだ。
 アフリカ音楽のレア音源を発掘・復刻するレーベル、”アナログ・アフリカ”からの、これは逸物である。西アフリカの小国ベニンで60~70年代に活躍したバンドとのこと。

 ともかく武骨という言葉がもっとも似合う男っぽいファンク振りで、ドラムスとパーカッション群が織りなすガツツガツツと地面に垂直に叩き込むようなハチロク気味のリズムが、岩石のように不動のノリを誇示している。
 時にチューニングがおかしい管楽器群は鄙びたソウルなフレーズを吹き鳴らし、ファンクなアフリカを誇り高く歌い上げる。

 ギターは、アフリカらしい乾いて硬質な音でコリコリとリズムを刻むかと思えば、ファズ(ディストーションなんて軟弱な響きではない)を思い切りかけたルーズなプレイでアドリブを垂れ流し、場違いなようなこれでいいような黒いサイケ感覚を振りまく。このサイケ祭りには参った。60年代末、サイケデリックへの憧れはアフリカの岸にも打ち寄せていたんだなあ。さらに、それにきりこむチープなオルガンの音も、ファンキーなアフリカン・サイケデリックを演出して、快感だ。

 そしてボーカル勢の武骨極まる男くさい歌声。音楽が佳境に至りワン・コード状態になって同じフレーズを繰り返すアフリカ方面ではお馴染みの瞬間が訪れても、トランス状態の陶酔と言うよりは律儀に任務を遂行する兵士の行進みたいな汗臭い覚醒感覚で迫ってくる。
 ともかく、このアクの強さがたまらないのだ。こいつはめっけものだよ!

 冒頭の曲”Se Ba Ho”が、なぜか細川たかしの”北酒場”という曲を思い出させておかしくてならなかった。もとより同じ音階が使われているのだが、そのイントロと言い、何度となく”北酒場”が始まりそうな気配を漂わす瞬間が訪れるんだよなあ、なぜか。
 これに限らず、その他の曲にも、そこはかとない演歌の気配は忍び込んでいる。
 サイケと同時に演歌の心も持ち合わせているあたり、たまらないねえ、こいつら。いや、本気で言ってるんだが。



アフリカ!アフリカ!聴こえるか?

2009-12-02 04:43:19 | アフリカ

 ”Awa Kise Olodi Won”by Ayinla Omowura

 なんだかんだとジタバタするうち、気が付けば今年も余すところ一ヶ月を切っていて。こりゃもう認めるしかないんだろうなと。何をかといえば、今年のアフリカはパッとしなかったなあ、と言う事実である。
 そりゃまあ、歴史的レコーディングの復刻と言う奴に関してはなかなかの年で、興味深い盤がいくつもリリースされたので、なんか華やかな年だったかのような印象もあるのだが、新作で「こりゃ凄いや」と、「さすがアフリカだ」と舌を巻く、なんて盤はついに届けられなかった。これは淋しい話ではないか。どうしちゃったのかなあ、アフリカは。

 あ、ここで行ってるアフリカはサハラ以南、いわゆるブラックアフリカと言う奴ね。北アフリカ、マグレブ地帯のベルベル人たちメインのバカ騒ぎには相変らず恐れ入っています、ハイ。
 強いてあげれば、コンゴはキンシャサの不良ハンディキャッパーたちのバンドの暴走ぶりくらいか、印象に残ったのは。
 まずいなあ。まあ、いくらなんでもこのままアフリカ音楽が失速していってしまうとは考えられないけどね。早いとこ突破口を見つけ出してもらいたいと思う。

 などと言いつつ、我が最愛のアフリカのミュージシャンのCDなど、こうして取り出してみたのである。ナイジェリアのアパラ・ミュージックの中興の祖(?)であった、アインラ・オモウラ。思えば彼のCDがここにこうして十数枚もある、という事実が凄い。それは某レコード店の頑張りに追うところ大なのであるが(店の名は教えてやらない。入荷するナイジェリア盤の数は限られているのである。そりゃあそうだよ)夢のような話だ。

 こんな状況、CDの出始めの頃には冗談でしかなかった。アインラ・オモウラのCDだなんて。そもそもナイジェリア盤のCD自体、出る日が来ようとは想像が出来なかったものなあ。
 はじめてオモウラの音楽に接したのは、1980年代の話になるが東京は西荻にあった某レコード店だった。サニー・アデの音楽が話題になり始めた頃で、そろそろ我が国の輸入盤店にもアフリカ音楽の盤を並べる店が出て来つつあった。
 ともかく炸裂するパーカッション群と強力なバネを秘めたドス黒いボーカルが繰り広げるワイルドなコール&レスポンスの暴走に圧倒されたものだ。

 複雑に絡み合いながら地を這うような重いビートを織りなすパーカッション群のざわめき。ナイジェリア音楽ではお馴染みのトーキング・ドラムやグギゴギと響く低音親指ピアノの独特の響きを中心に、名も知らない打楽器たちがカラフルにして狂おしいリズムの饗宴を繰り広げる。それに乗ってオモウラの、アフリカの黒人汁の一番濃いところを抽出したようなドロドロの喚き声が炸裂する。日本民謡と代わらないペンタトニックの音階で、深いイスラミックなコブシ入りの錆びた歌声が巨大な蛇がのたうつように闇の中を突き進んで行く。

 当時のナイジェリア盤のLPであるから片面ノンストップの演奏が当たり前であるが、オモウラはほぼ全編出ずっぱりで吠え続ける。エネルギーの弱まる瞬間などない、どころではない、まだまだ歌わせろ騒がせろと言わんばかりのパワーの奔流が目の前を走り抜けて行く。
 たまらないよねえ。今、聴き返してもオモウラの音楽のもたらす興奮は変わらない。ここまで出来たんだから。もっともっと先まで行って欲しいアフリカには。

 それにしてもどうしちゃったのかなあ、アフリカは。ラゴスは。キンシャサは。燃えているのか?何年でも待つからなあ。こちとら、アフリカ音楽のアルバムを集め始め、その巨大な音楽大陸の懐に接した時のあのときめき、驚嘆を忘れやしないよ。あの輝きが帰る日を信じているから。

 ・・・いけね。上に挙げたジャケのアルバム、You-tubeに入ってないや。まあ、オモウラの他のアルバムの音も、そう変わりはないから(!)別のを貼っておきます。