goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

バマコのサイケな夜

2011-04-01 01:38:26 | アフリカ

 ”RAW ELECTRIC BLUES FROM BAMAKO, BWATI KONO”by LOBI TRAORE

 70年代あたりを中心に、ということでいいのだろうか、かってアフリカの各ローカル・シーンでだけ愛好されていた地域ポップス、ロック&ファンクなどのレコーディングが、あの”アナログ・アフリカ”のシリーズなどにより、もはやブームと言っていいような勢いで発掘されている。
 それらは続々とCD復刻されているが、そのどれもが非常に刺激的な出来上がりとなっており、どの盤からも目を離すことが出来ない。

 特に当時、アフリカ独特の解釈で演奏されていたロック・ミュージックという奴が私には非常に魅惑的に感じられ、これまで描いてきたアフリカ音楽のビジョンを再検討するべきではないかと思い始めているのだった。
 もう、「アフリカに先祖がえりしたアフロ・キューバン音楽がアフリカ的洗練を加えられ」なんて悠長で聞き飽きた話はどうでもいのであって。カッコいいじゃないか、アフリカのロック!猥雑なパワーと素っ頓狂とも云いたいイマジネーションに支えられて荒れ狂う黒いサイケの嵐!

 それはいいのだが。これら、70年代や80年代に咲き誇ったロックの花々は結局どうしたのだ?今日、これらの音楽の後継者と言えるようなサウンドは、アフリカの最前線からは聴こえてこない。あれらは結局、アフリカの大地を覆う古きハイライフやリンガラの密林の片隅で、ひととき咲き誇ったアダ花として消え去ってしまったのか。(もちろん、その一方で”音楽どころではなかった国情”というシビアな現実もあったのだが)
 そんな訳で、70年代のアフロロックのミュージシャンたちがその実力を十分に発揮する機会を得ていたらどんな音楽を今頃、やっているのだろうなんてことは想像するしかないのだが、たとえばこのロビ・トラオレあたりに、その幻想を当てはめてみるのも一興かも知れない。

 この1960年代、西アフリカはマリ出身のギタリストは、アフリカ版のジミヘン、なんて持ち上げられ方をして、だから見ろ、先日、ジミの真似して早逝をしてしまったじゃないか(おいおい)
 まあジミヘンはともかく、非常にイマジネイティブなロックギターを聞かせてくれるプレイヤーであったのは確かだろう。現地の民俗楽器であるジェンベ&バラフォン(木琴)を加えたバンドはワールドミュージック的興味をかき立てるが、ロビの各種エフェクターをかけて音を変形させたエレキギターのフレーズが宙を舞いはじめると、そんなものはどうでも良くなってしまう。

 そのゆがめられ、ひしゃげられた不良な弦の響きはようするに”ロック”なのであって、それで十分。その土地の民族色なんてちまちましたものは、もはや彼の飛翔のためのカタパルトでしかない。
 きっとトラオレはガキの頃の私と同じように、あの退屈な田舎の街の夕暮れに、どこからか流れてきたサイケな最新のロックに胸ときめかしていたに違いないんだ。飛べ、トラオレ。宇宙の彼方まで。
 ・・・などと思ってみるトラオレのいない春の夜。





ただの季節の変わり目の頃

2011-03-19 01:26:52 | アフリカ

 ”MORNING JOY”by KING SUNNY ADE

 何年ぶりだろう、サニーアデのナイジェリア盤新譜なんて聴くのは。もしかして10年以上は軽く経っているのではないか。まあ、聴きたくてもアルバムを手に入れるのも難しかったし・・・いやそもそも、ナイジェリアに関してはフジ等のイスラム系ポップスに興味が行っていて、この人の存在を正直言って忘れていた。
 今回聴いたのだって、CDを売っているのを見て、街でずっと逢っていなかった同級生に出くわしてあんまり懐かしかったから、という感じに近いのが正直なところで。

 アデの最初の来日公演の際には、夜の”7時のニュース”みたいなメジャーな場所で話題にされたなんて、今の人は信じられないだろう。あんなにでかい会場で、あんなに多くの観客を集めた事も。音楽雑誌にはアデへの賛辞が並び、まさにワールドミュージックの季節の到来、アデはその王座に鎮座します。
 だが聴衆は気まぐれで、季節の変わり目は実に簡単に訪れる。それから何年も要らなかった、誰もワールドミュージックなんかに興味を持たなくなり、「そういえばサニー・アデって、どうしてんの?」なんてセリフはギャグにさえならなくなるのに。

 アデはいつの間にかナイジェリアのローカルスターの立場に戻り、日本にいてはさっぱり手に入らないナイジェリア・ローカルの盤だけをリリースするようになった。別に何をなくした訳じゃない、かっていた場所に戻っただけのこと。とは言うものの。
 なんかサンコンさんみたいな笑顔を浮かべたアデの姿がジャケのこの盤をまわしてみると、あまりにもさりげない昔のままの彼の音だったので、スポッとその世界にはまり込み、懐かしいと思う間さえなかった。誰かが「日向をコロコロ転がって行くような」と表現した彼のメロディ展開は変わらず、そいつに絡むアフリカの大地から湧いて出たみたいな丸っこくて暖かいコーラス。

 例のアフリカン・ギターもコロコロと転がり合いながら絡み合い、不思議なリズムを織りなしていた。聴いていると、生まれ育った風と土の上で満ち足りて微笑むアデの姿が浮んでくる。
 ここに来るまで紆余曲折はいろいろあったのだろう。と思う。私の聴いていない盤にはズタボロの悪あがき盤などもあったに違いない。いや、見当で言っているだけなんだけど。

 この盤では、風にそよぐ草原に触れたみないな気分にしてくれる4曲目の後半とか、ポジティブに生命の輝きを歌うラスト曲などに心惹かれた。これらの曲でアデがまた国際的人気を得る事はないだろうけど。うん、それは仕方がない。そしてそれでいい。もう季節は変わったのだから。

 さすがにこの盤の映像はYou-tubeにはなかった。代わりに、最近のライブ映像など貼っておきます。





アンゴラ、乾いた哀しみのリズム

2011-02-27 02:05:12 | アフリカ

 ”Angola Soundtrack ”

 西欧世界には知られることなく燃え上がっていた、アフリカ・ローカルの熱い大衆音楽音源の発掘を行なうアナログ・アフリカの作業は実に血湧き肉踊る成果を提示しつつあり、いつのまにか新作のリリースを首を長くして待ち受けるようになってしまった。
 今回は60年代後半から70年代にかけて南アフリカはアンゴラで燃え上がっていたサウンド群の解放。タイトルにはアンゴラとあり、副題には”ルアンダからのユニークなサウンド”とあり、ん、どっちだ?と調べてみればアンゴラが国名でルアンダがその首都名だった、というくらい当方には馴染みのない国であった。その音楽も初聴きに近い。

 パチパチと弾けるような複合リズムに乗って、独特の哀感と不思議にクールなダンディズム漂うメロディラインが疾走する。いつものこのシリーズのようなファンク色は薄く、むしろサンバなんかに近い(時にサンタナっぽくなったりもする)サウンドが展開される。かってポルトガルの植民地だった時代があり、今でもアフリカ最大のポルトガル語人口を誇る国ゆえ、大西洋を挟んでブラジルあたりと相似形のサウンドが形成されたのだろう。
 リンガラっぽくなったりハイライフっぽくなったりするが微妙に似て非なる、手数は多いのだけれどクールな音色のギターが終止カラカラと鳴り渡り、同じく手数の多いベースや打楽器群が沸き立つリズムを奏でる。

 どのミュージシャンもどの曲も、吹き零れそうな哀感を抱きつつ弾け疾走するが、あくまでクールな表情は変えない、その独特の、禁欲的とまで言ってしまいたくなる姿勢が印象に残った。
 それにしても、知ったつもりでいた音楽大陸の、未知だった顔のいかに広大で魅力的なことか。ある意味、恐ろしくもなってくるのである。




ザンビア・ロックがまた輝けば

2011-01-31 03:02:13 | アフリカ

 ”DARK SUNRISE”by RIKKI ILILONGA & MUSI-O-TUNYA

 1970年代、西アフリカのザンビアに独特のロック・ミュージックが興隆し、その名をザンロックと呼ぶ。何てことも、つい最近知ったわけだが。これまでもザンビア方面のアフロロック再発盤について書いてみたりもしたし、何かありそうだなとは思っていたのだが。この盤に出会い、何かありそうどころではない事実が見えてきた次第であります。

 70年代、アンゴラやモザンビークといった周囲の国々が独立を巡っての騒乱状態となり、自国ザンビアもまた主要な輸出品だった銅の価格暴落を受けて経済状態はかばかしくない事となる、という悪条件下でザンビアのロックは高揚の時期を迎えたのだった。
 だが人々は音楽どころではない。それにレコード一枚出すのだってレコードの原材料調達のレベルからもう困難であるのだから、どうにもならない。さらに、混乱に輪をかけたのがエイズの流行である。
 もうロックどころではない、ということで失意のまま国を脱出しヨーロッパに居を移すミュージシャンもあり、ついに70年代のザンロックは、存分に暴れるチャンスさえ与えられぬまま、爆発の予感を漂わせただけで消滅せねばならなかった。

 ここにある2枚組のCDは、当時、ザンビアのロックの最先端を走っていたリッキー・イリロンガと彼のバンドの、ほとんど幻といっていい録音集の再発である。不運だったザンロックの遺産に今、はじめて光が当たるというわけだ。
 いや、これがカッコいいんで、ちょっと驚いてしまったのですね。ともかく終止鳴り続けるジミ・ヘン風ギターがサイケの嵐を巻き起こし、演奏される曲のことごとくが70年代っぽい熱さを秘めたロック魂をゴリゴリと感じさせるものなんだから。
 さすがにアフリカということで、ファンクっぽさというのかアフロビートっぽい響きを持つ曲もあるんだけれど、ミュージシャンの軸足はあくまでロックにある。これが嬉しい。なんかワールド・ミュージックに耽溺して忘れかけていたロックへの想いが蘇ってくるみたいな気分である。

 アフリカ風サイケ・ロック炸裂の一枚目も素晴らしいのだが、フォークロック3連発で幕を開ける2枚目がたまらない。おいおい、”ストップ・ドリーミング・ミスターD”の”D”は、ディランのことなのかい?・・・という具合で、あの頃”のロックファンの琴線に触れっぱなしのラインナップ、ともかく泣かせてくれるのだ。
 やがてエルモア・ジェイムス調のスライドギターが登場し、シカゴ風ブルース・ハープと絡み合うブルース・ナンバーにやられ、裏声をうまく使って、まさかと思ったプログレ気分を演出してみせる曲にいたっては、よくやってくれるわと呆れるよりない。イリロンガはじめバンドのメンバーは、どれだけの音楽ファンだったんだろう!そしてもし彼らに当時、十全な活躍の機会が与えられたら、どんなバンドになっていたことだろう?

 という訳で、前2枚聴き終えた当方は連中の熱が伝染したみたいで、ガスリーじゃないが、「ギターを取って弦を張れ」なんて気分になっていたのだった。

 下は、昨年行なわれたイリロンガの復活ライブの模様。ともかくこの人のギターのジミヘン振りには泣けます。



世界は1970年、ナイジェリアで終わった

2011-01-23 02:13:25 | アフリカ

 ”World Ends: Afro Rock & Psychedelia in 1970s Nigeria”

 さて、昨日に続いて、”もう一つ別の国のサイケ”を探るといたしましょう。てなことで、1970年代の初めにアフリカはナイジェリアで、全世界的には知られることなくリリースされていたサイケなロック盤の数々が昨年、このようにして2枚組のCDにまとめられております。
 こいつがカッコいい代物でした!こんな音群が30余年もアフリカローカルでしか知られぬままレコード会社の倉庫に眠っていたとはもったいない話。いや、実にタフで図太いビートを孕んだ、そして見事にサイケな音が満載なのであります。1970年代にここまでやっていたとは、ってんじゃないんだ、そのような注釈抜きで素晴らしい出来上がりになっている。

 サイケなロックと言っても、多くはファンク色濃い仕上がりになっているのは、やはり黒人同志、その辺に親和性を感じちゃうんだろうか。とはいえ、やはりド真ん中に突き通っているのは凛としたロックのノリでありまして、こいつが迷いがなくて清々しいんだ。
 いやもうね、内ジャケに収録バンドの写真が載せてあるんだけど、連中のギターの構え方、ステージへのアンプの並べ方まで、”サイケの時代”の空気を知ってる私には深く共鳴させられるものを感じる。そうなんだよ、こんなノリだったんだ、バンドやってる奴らは皆、さ!

 ファズギターはグリグリゴリガリと凶悪なアドリブを繰り出して世界を切り裂き、オルガンは機材の都合で音はチープながらもジャズィに空間を泳ぎまわって極彩色の幻想を描く。エネルギッシュに暴れまわり、それを支えるベースにドラムス。ともかく思いっきりパワフルなサイケが次から次へと繰り出されてくる盤なのであります。
 ちょっと心動かされてしまったのは、収録メンバー中唯一の女性アーティスト、The Lijadu Sisters なるデュオなのでした。まあ、ピープル・ゲット・トゥゲザ~♪的なソウルっぽいメッセージソングを歌ってるんだが、ジャケに載ってる彼女らの、その面構えも加算してのロック姉ちゃんぶりが、男たちに負けていないナイジェリア女性の逞しさを感じさせて爽やかだったのでした。

 それと関連して。内ジャケに、70年代当時のナイジェリアで出されたシングル盤のジャyケが載せられているんだけど、気になる一枚が。野原で一人の女性が炎に包まれている姿がイラストで書かれていて、”ファイアー・ウーマン”なんて曲名が書かれている。
 これ、アジア・アフリカの旧弊な男尊女卑の社会習慣に囚われている社会のあちこちで行なわれている、女性の焼身強要に関する歌だったんじゃないか?
 たとえば、「今度来た、あのウチの嫁さんは実は処女ではなかったらしい」なんて噂が近所に立つ。あるいは、誰かと不倫しているとか。すると、噂の的となった新妻は野原で自らの体を炎に放り込んで、潔白を主張しなければならない。ならないったって、結果として焼身自殺させられて、やっと”潔白”を認めてもらったってしょうがないじゃないか。

 昔、テレビのドキュメンタリーやら現地ルポ本でそんな現実があると知り、やりきれない気分になったものだが、それに関する歌なら、気になるところだ。それについても触れておいて欲しかった。まあ、もしその種の歌なら、ということなんだけど。



南アフリカ、打ち込みと指笛

2011-01-21 02:25:12 | アフリカ

 ”NDZI TEKE RIENDZO NO.1 ”by FOSTER MANGANYI NA TINTSUMI TA TILO

 機械の打ち込みのリズムの感触を手動で真似てみた、みたいなカチカチした太鼓の音に導かれ。昨年、「なんじゃこれ?」と半分歓喜し半分首をひねったあのサウンド、南アフリカ発のテクノ・ダンスサウンド、シャンガン・エレクトロの第2派が早くも我が皇国の岸に到着した!
 とりあえず私も大いに面白いと思い、昨年の年間ベストに入れさえしたのだが、何だか得体の知れない奴らだなあ?との思い、聴くごとに深まるばかりで、確かに凄く面白い音を出す連中ではあるものの、どうもその正体がつかめない。
 前回のように、いくつかのバンド参加のオムニバスのような、でもその正体は皆、同じバンドかも?なんて謎をますます深めるような盤じゃなく、今回はFOSTER MANGANYIなる人物率いるバンドの音をじっくり味わえる盤であるから、これでやっと勝負は五分と五分(?)なのであるが。

 それにしても、先に述べた、なにやら人力による非常にご苦労さんなテクノ・サウンドの再現集団、との感触、このアルバムを聴きこむにつれ、ますます深くなってくる。いや、打ち込みの音も確実にバンドの音のど真ん中でクールなビートを刻んではいるんだけれど。
 パーカッションばかりじゃない、いかにもチープな音のキーボードもシンプルなフレーズを繰り返して、ミニマルを気取ってるし、一つの曲の演奏中、一音か二音だけを執拗に繰り返すだけの口笛、いや指笛だろうか、これは機械じゃなくてひょっとしてナマでやってないか?なんかえらい乗ってブロウ(?)しまくってくれてるけど。
 そしてそれに被ってくる、なにやら凄く暖かい響きに満ちた子供たち(女性たち?)のコーラス。クレイジーなバンドどころか、心温まってしまうぞ、これでは。

 さらに今回の盤、曲のタイトルが気になる。英訳されたものを見てみると、「天使たち」「主のために働く」「私の魂」「アーメン、アーメン」「私は祈り続けるだろう」と、ゴスペルかよ?と突っ込みたくなるようなものばかり。そもそもがそういう性格のバンドのうちで起きたムーブメントなんだろうか、シャンガンって?
 しかし、この指笛のパワーも凄いなあ。奄美~沖縄のシマウタ関係者、いずれ勝負の時が来るかも、ですぜ。
 と、こちらが「?」キーばかりを押しまくるうちにも演奏は続く。なにやらアフリカの村の集会場に打ち込みの機械を置き、そいつを囲んで盛り上がりまくる民俗音楽集団、なんて妙な風景ばかりが頭に浮ぶ。しかも、村の上に広がるのは強化ガラスの向こうの、見知らぬ宇宙の星々だ(”キリンヤガ”ってSF小説を読んだことありますか?マイク・レズニック著。まあ、関係ない話だけれど)

 と、いろいろゴタゴタまとまらない事を書いてるけど、You-tubeにはこの盤の音、貼られていないんで、聴いてもらうわけにも行かないのでした。似たような音さえ見つからないし。すいません、興味をお持ちの方、何とかしてこの盤を手に入れてください。損はさせません。
 しょうがないから以前紹介した盤の映像を貼っておくけど、この盤、これとはかなり印象は違うとお心得ください。



サハラの鎮守の神様の

2010-12-16 04:17:51 | アフリカ
 ”SYSTEM 5”by ALHAJI SAKA OLAYIGBADE

 それは遠い異国の土俗ポップスのことなんで、まあ、さすがに「もう大体分かった」なんて偉そうな事を言うつもりはなかったにしても、もう、現地に詳しい人々によって聴く価値あるミュージシャンは紹介済みなんだろうなあ、などと漠然と思っていたのだ。何の話かというと、この場合はナイジェリアのイスラム系ダンスミュージック、つまりフジやアパラなんかの事なんだが。
 この辺の音楽の、パーカッションとコーラス隊のみをバックに、イスラミックなコブシ回しを凶器にハガネの喉で吠えたくる、実にスリリングなノリにはタマシイごとのせられてしまうものがあって、たまらなく好きなのだった、私は。

 で、こんなのがまだ出て来るんだねえ。結構楽しめたんだ、この、ALHAJI SAKA OLAYIGBADEなる、どちらかと言えばトボけた顔をしたオヤジの音楽は。
 でも、今頃になってその音盤が日本初登場。ジャケを一目見てアナログ盤のCD化と分かるから、相当なキャリアはあるはずなんだ。何で今まで話題にもならなかったのかね?

 まあともかく、その音楽を聴いてみましょ。
 まず、このサカラなる音楽を特徴付けているゴジェ・フィドルなる民族楽器、つまりは一弦の原始的なバイオリンの音で始まる。そいつから鄙びた音で飛び出してくるのは、我が国の村祭りの笛の音と同じ音階の使われた祭囃子のメロディです。これ、ほんとに私の街の夏祭りのお囃子に似たフレーズがあり、本気で郷愁を感じたのだった。

 で、サカラと言うから私は、あのユスフ・オラトゥンジ翁がやってるみたいな激渋サウンドを想像してたんだけど、それはまったく違うのであって、結構生々しさに溢れてます。でも、フジやアパラみたいにドスの効いたノリじゃなくて、どこか独特の愛嬌がある。
 そして、なにやらヒョコタンヒョコタンしたリズムで始まるそのサウンド。よく、この辺の音楽は日本の河内音頭に喩えられるけど、このALHAJI SAKA OLAYIGBADEのサカラのサウンドが、それに一番近いんじゃないだろうか。
 なんかねえ、おなじみトーキングドラムや各種パーカッションによって織り上げられてゆく、そのリズムの中核にあるノリそのものも、我々が神輿を担いで練り歩く時に通じるような”練る”感覚が存在するような気がする。大地の上に粘りつきつつ躍動する、みたいな微妙なノリが。「ソイヤ!ソイヤ!」と掛け声が聞こえてきそうな、ね。
 ともかく不思議な郷愁と愛嬌を感じた一枚、というのが私の感想なのであります。

 これが、が今回手に入れたALHAJI SAKA OLAYIGBADEの3枚の内一枚目、そのタイトルも「システム5」なのであって。さて、あとの二枚はそれぞれ「システム7」と「システム12」と銘打たれているわけだけれど、どのような展開を見せてくれるのか。期待しよう。なんつって、聴いてみたらあんまり変わりませんでした、なんてのもワールドミュージックの魔境には良くあるお話なんですが。さて。

 さすがにYou-Tubeには、ALHAJI SAKA OLAYIGBADEの音は上がっていなかったので、「いわゆるサカラと呼ばれている音楽」の例を下には貼っておきます。




サイケデリック・アフリカンビート!

2010-11-30 03:17:44 | アフリカ
 ”PSYCHO AFRICAN BEAT”by PSYCHEDELIC ALIENS

 こんな音があったんだなあ!60年代末の西アフリカの夜を彩った最高にファンキーなバンド!なにしろサイケデリック・エイリアンズのサイコ・アフリカンビートなのである。他に何を言うことがあるだろう。あとはミニミニスカートでゴーゴーゴー!あるのみなのである。夏の太陽は待っちゃくれないぜ!
 暴れまわるリズムに煽り立てられるまま、エレキギターがオルガンがうねり、当時、いっちゃんナウかったオープンエアーのディスコの空気はますます熱く燃え上がっていった。

 その音が”アフリカのミーターズ”というべきサウンドになっていたのは、これ、偶然の産物なのだろう。メンバーが時流に乗りアフリカの血が騒ぐままに、”エレキでゴーゴーだ、ニューロックだっ!”と一発勝負に出た結果、このホットでクールな音空間が現出していた。
 これはカッコいいね。60年代から70年代へと歴史の扉がスイングする頃、当時の西アフリカのロックシーンは、こんな具合に盛り上がっていたんだ。ロックの”正史”からは見落とされたまま。

 まだ青かったロックとアフロの血が絡み合うままに黒いグルーブがのた打ち回り、ファズやらワウワウやらのかかったギターが切れまくり、最高クールに歪んだ音でハモンドが闇を切り裂く。
 なんか聴いているうちに「先祖がえりをしたアフロ・キューバン・ミュージックがどうのこうの」なんてお定まりのアフロポップ近代史の講義なんかぶっ飛ばせって気分になってきたのよな。ロックしかねえだろ、ええ?シェケナベイベ・ナウ!

 めちゃくちゃ凝った装丁のジャケから、この幻の西アフリカ・サイケバンドの発掘作業を行なった連中の気の入れようが強力に伝わってくる。欧米のマニア連中の、この”失われたアフロ音源”の探求、どこまで続くのだろう。こちらも、この世の果てまでつき合わせてもらう気でいるが。



アフリカン・サイケな夜

2010-11-19 02:24:30 | アフリカ

 ”INTRODUCTION”by WITCH

 あの”アナログ・アフリカ”のシリーズあたりを筆頭に、欧米人のアフリカにおけるマイナー盤狩り&CD化再発ブームもここに極まっている感がある。
 ネットのどこかで見たことがあるのだ、マスクやらマジックハンドやらで強力な汚れからの完全武装をした白人男が、倉庫だかゴミの山だか分からない場所を突き回している写真を。そこに無秩序に押し込められていた、年季の入ったゴミかと見えたのは、すべて薄汚れたアナログ盤だったのだが。
 記事のタイトルにはそれが、”アフリカにおける盤狩り”の風景であることが記してあった記憶がある。あんな風にして、禍々しいビートに黒光りした辺境ファンク音楽は歴史の闇から引きずり出されてくるのだろうか。

 さて、これもその一枚。アフリカの南の小国ザンビアの、こんなアフロポップス・レア盤発掘騒ぎがなければ時の流れにただ流され陽の目を見ることもなかったであろう、マイナー臭ふんぷんたる美味しい発掘物件である。
 と言ってもこの連中、アルバム冒頭に置かれたタイトルナンバーこそショーアップされたメンバー紹介など差し挟むソウル・ショーのオープニングめいた仕掛けのナンバーだが、その後に展開される世界はむしろロックバンドの姿をしているのだった。それも、60年代末によくあった、サイケの色濃いブルースロック・バンドの姿を。

 ブカブカと軽薄に鳴り渡るチープなオルガンの音がサイケ色に飾られた60年代っぽいライトショーの面影を運ぶ中、素っ頓狂なファズ(ディストーションなんてお上品なものではない)のかかったギターが寺内タケシもかくや、の露骨なペンタトニック・ケールで延々と狂おしいソロを弾きまくるのである。サイケなのである。
 そしてそんなサイケの祭りにも、どこかにマッタリとしたと言えば良いのか、悠揚迫らざるタイム感覚が横たわっているあたり、やはりアフリカであると言えようか。太陽の光を浴びながらどこまでも転がって行くサイケの魂なのである。

 それにしても凄いよなあ。次にはどんなものが、あのゴミの山かと見えた場所から発掘されてくるのだろうか。




インダストリアルロック・フロム・キンシャサ

2010-09-06 03:11:54 | アフリカ

 ”Assume Crash Position”by Konono No 1

 あのキンシャサの騒音王、コノノNo1の新譜である。彼らの「アフリカからのダイナマイトが150トン」とでも仇名したいような禍々しくも騒々しくも美しいデビューアルバムがリリースされた時、私は「こんなバンドを待っていた!」と狂喜して、私版年間ベストアルバムの第1位に選出したりもしたものだった。なんかあれからずいぶん長い時が流れたように思える。
 さて今回は。私的見解によると、ということになるのだが、より彼らの音に”テクノ度”が増した気がする。まあ、はじめから”人力テクノ”なんていわれていた連中なのであるが、その要素、より濃厚になった。

 まず、バンドの主役である親指ピアノの音色が、よりクリアーになった。初登場時の、歪みまくりザラザラと”障り”の音を振りまきつつ鳴り響いていた、あの特徴ある親指ピアノの音とはずいぶん違った印象となり、ピンポンホンコンと、カラーボールが跳ね回るような陽気なイメージを振りまいている。
 こいつがまず、今回のアルバムの”テクノっぽさ”を演出する。全体の音作りも大分風通しが良くなり、各楽器同士のフォーメーション・プレーも明確に見通せる事となり、そこで結構クールな彼らの音構造に、「こりゃテクノだなあ」と舌を巻く、という次第だ。

 親指ピアノがピキポコと跳ね回り、同じフレーズ、あるいはそのバリエーションの執拗な繰り返しを奏でて、次第にリズムは熱くなって行く。アフリカ音楽では定番の進行だが、バックで鳴っているギターはお洒落な音色で結構クールなフレーズを奏でていたりする。たびたび登場する親指ピアノとパーカッション群の絡み合いなども、熱狂的なようでいて実は冷徹な構成美の支配する世界だ。
 大作、”コノノ・ワワワ”の後半、各楽器が延々とフリーキーなフレーズで鳴き交し合う部分など、事情を知らない奴にそこだけ聴かせたらテクノバンドによるシンセの演奏と普通に信ずるんじゃないのか。まさか工事現場から拾ってきた廃材で作った楽器の集合体とは気が付くめえ。

 これは彼らの心変わりというより、アフリカ音楽が元々そのような要素を秘めていて、そいつが新しいアルバム作りの課程で表に出て来た、と考えるべきだろう。ふとスライの曲に”アフリカが君に語りかける”なんてのがあったよなあ、なんて関係あるようなないような事を思ってみたりして。なんかゾクゾクするなあ。こいつはいいよ。
 なにしろさあ、この自動車部品の林立する表ジャケや中ジャケの写真、考えてみれば相当にインダストリアルな代物だ。こうなったらヨーロピアン・ロック好きな連中に、むしろ薦めたく思う。いや、ほんとに。