goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ナイジェリアの青い空

2011-10-19 04:31:20 | アフリカ

 "Isese L'agba" by Asabioje Afenapa

 ナイジェリアの女性歌手のアルバム。ジャケ写真の印象が、あのビヨンセの振り真似をやる日本の女芸人に似ていて、ちょっと面白い。
 さっき、検索をかけてみたのだが、複数の人がこのアルバムをブログで取り上げている。が、その文章がどちらも、「ヨルバの伝統音楽」とか「ドスの聴いたいい声」とか「キズだらけながらも音とびもなく聴けるCD」など同じ文章、同じ内容、同じような長さであるのはなぜだ?謎ですわねえ。

 で、伝統だかなんだか知らないけどさ。聴いた感じ、これまで馴染んできたナイジェリアのヨルバ民族によるイスラム系大衆音楽、フジやアパラなんかに通じる構造の音楽だ。パーカッションのアンサンブルとラフでディープなコーラスをバックに、コブシたっぷりのボーカルがうねるように流れて行く。
 ただこのアルバムの歌手は、やたら明るい芸風の人で、そのスコンと空に突き抜けるような歌声は、フジやアパラの持っている地の底から聴こえて来るような、ある種不気味さとは逆の、ずいぷんポジティブなメッセージを伝えてくる感じだ。

 欧米の通販レコード店の紹介文には、”The inspirational and spiritual traditional Yoruba music that opens gates for prayers to Olodumare (God) ”なんて書いてある。宗教的なバックグラウンドがある音楽なんだろうか。
 ともあれ。その洗いざらしみたいな感触がなにやら眩しい、私にしてみれば意外な手触りの一作であるのでした。




エチオピア正教の音楽

2011-09-04 03:41:49 | アフリカ

 ”Mirtnesh - Mazmur”

 というわけで今回、エチオピアの宗教音楽であります。
 エチオピアといえば、イスラム教国ひしめく北アフリカにおいて国民の半数がキリスト教を信仰するという特異な国として知られております。エチオピア正教というのがありまして、これはキリスト教コプト派というんですか、なんかキリスト教の本家、バチカンからは”異端”との扱いを受けているんだそうですな。まあその辺の実態、異教徒の身としては、よく分からない、と言っておくのが無事であるかも。
 これはそのエチオピア正教会で歌われている宗教歌、「マズモル」と呼ぶんだそうですが、そいつを収めたもの。音を聞く以前に、ジャケの迫力に圧倒されます。初めてみる不思議な形の文字の乱舞、これがエチオピアの国語、アムハラ語なんでしょうか。そしてこれはエチオピアで描かれている宗教画であるようです。

 まず、中央にいます後光を背負ったイエス・キリストのありがたい姿。これは見慣れたものなんですが、それを囲んで、あるいは楽器を奏で、あるいはイエスを讃える歌など歌っているんでしょうな、聖歌隊の姿。中には背に羽の生えている者もいるんで、これらは天使たちなのかも知れません。
 そんな天使たちはすべて、黒い肌をしている。もう、顔の骨格からしてナイルの南、ブラック・アフリカの住民である黒人のそれなのです。
 すばらしい!これはワールドミュージック主義者としてはめちゃくちゃ血の騒ぐ話なんですが、収められているエチオピア正教の聖歌は、ますます興味深い響きを織り成しているのであります。

 ともかく私は「うわあ、ミャンマーの音楽に似ているなあ」と、まずそれに驚いた。後ろのほうで休みなく典雅なリズムを打ち出している複数の太鼓といい、竪琴、縦笛といい、時にガムラン音楽めきつつ、エキゾティックな迷宮の交響曲を奏でて行く。
 そして歌手の優雅に歌い上げるメロディの動きなども、まるで濃厚に南アジアの深奥の響きがしています。うわあ、なんでこうなるんだろう?この音楽を聴く、事情を知らない一アジア人の脳裏に浮かぶ風景は、キリストの受難というよりは、アンコール・ワットの遺跡とか、そんなものなのです。
 とはいえ、これも終始、後ろのほうで鳴り渡っております我々には奇矯に聴こえる喉笛などはまさしく北アフリカ独特のもので、また、歌手の歌声に応えて巻き起こる野太いコーラスなどは、いかにもアラブ文化の影響を受けたアフリカ特有のものだ。

 この文化の混交具合など、相当にこちらの知的好奇心を掻き立て、なにやらいてもたってもいられない気分になってまいりますが、いやいや、まだアルバム一枚聴いただけじゃないか、「非常に興味深い音楽に出会った」と、今日のところはこのくらいにしておいてやろうじゃないか。
 それにしてもこの不思議の大伽藍とも言うべき音楽が最後に、「アーメン」の一言で終わるのには、まるで念を押されたみたいな驚きを感じたものです。そりゃ、キリスト教の音楽なんだからそれでいいんだけれどね。




アフリカ色のセーターの夢

2011-07-11 04:21:28 | アフリカ

 ”The FirstAlbum”by Orchestre Poly-Rythmo de Cotonou

 もはやアフリカ音楽ファンにはおなじみ、ドイツのマニアックな音源発掘レーベル”アナログ・アフリカ”より発表される、アフリカのローカル盤再発シリーズ。その最新バージョンとして、シリーズ中ひときわ印象に残った西アフリカはベニンのファンクバンド、Orchestre Poly-Rythmo de Cotonou の、今回はオリジナル・ソロアルバムが登場である。

 それにしても暑苦しいジャケ写真ではある。ほぼ赤道直下といっていいようなロケーションにあるベニン、そんなところで、しかも人々が詰め掛け踊るライブ会場といえば想像するだに熱気に淀み、地獄の暑さかと思れるのに、ジャケに写っているボーカリストは、何やら暑苦しそうな厚手のセーターを着てポーズをとっている。
 こいつはもう、80年代にルンバ・ロックの帝王、ババ・ウエンバ一党などが、やはり灼熱のザイールの地で分厚い革ジャン姿で”サップール”を決めている写真を見て、「アフリカ人、おしゃれのためなら暑くても暑くない!」の打ちてしやまんの心意気、知っていたつもりであるが。それにしても暑いものは暑かろうになあと、おりしも7月になったばかりというのに、もはや真夏の暑さを記録する日本の地で思うのですな。

 さて、盤に収められているのも、ある意味同種の無理のある代物である。ビシバシの濃厚なるファンク・サウンドてんこ盛りなのだ。このアルバムのもともとの音源は1973年、現地ベニン産であるのだが、その視線はおそらく、アメリカのファンク・シーンしか見ていない。身は灼熱のアフリカの大地にあろうとも、わが魂はJBやスライといわんばかりのセーター姿なのである。
 無骨に揺れ動き、情け容赦もなくすべてを打ちのめすアフリカ=アメリカ・グルーブの嵐の中で、やはり当方が惹かれてしまうのはオルガンの響き。時にサイケ、時にスペーシーにと、チープな音色でガフガフと魂の遊泳を繰り広げる。そいつを聴きながら、ふと思い出すのは、「一週間ほど宇宙旅行へ。でも戻ってくるのは元の古巣さ」なる、バリー・マクガイアの60’sヒットの日本語詞。

 なんかねえ、「アフリカに先祖帰りしたアフロ・キューバン・サウンドがアフリカ式洗練を経て」なんてアフリカンポップス史の輪廻の蛇の堂々巡り話はもういい。同じ話を何度繰り返せばいいんだ。アフリカの根もクラーべのリズムも、もう飽き飽きだ。これからは勝手にやらせてもらうぜ!みたいな・・・これは完全に私の思い入れでしょうがね、そんなはねっかえりのやけっぱちの遁走劇みたいなものを勝手に彼らのファンクサウンドに読み取っていい気持ちになってる私なのでした。




アバウトなる”RAGGAE”の畔に

2011-07-01 03:01:14 | アフリカ

 ”RAGGAE ”by ALHAJI SIKIRU AYINDE BARRISTER

 さて、最近手に入れたフジのバリスターのCD化作品をまた一つ。いや、こんな作品が出ていたとは知らなかった。CDになったものを見て、はじめてその存在を知ったのだが、どうやら70年代末の作品のようだ。すでにあの鋼のコブシ・ボーカルのスタイルは出来上がっている。ハリのある声にリバーブ効かせて、艶々と響き渡る、あの歌声はすでにある。
 そして、バックのパーカッションのみのアンサンブルも、あの地の底から聴こえてくるような黒く熱いグルーブを形成しつつある、と言っていいだろう。まあ、完成まであと一歩、くらいのもので、いや、この段階だって聴いていれば十分に血は熱くなる。

 それにしてもタイトルの”RAGGAE ”って何だ?検索をかけようとするとパソコンが「それ、”REGGAE”じゃないのか?スペル違いだろ?」と気を利かせて訊いてくる。俺もそう思うんだけどねえ、ジャケには何箇所もはっきり書いてあるんだよ、”RAGGAE”と。調べてみるとご本家ジャマイカでも、そんなスペルを使うケースもあるみたいだが、特に深い意味があって使い分けているわけでもないらしい。
 いずれにせよ、これはバリスターがジャマイカのミュージシャンたちの活躍に敬意を表して表した”なにかしらレゲであるもの”なのであろう。あんまり真面目に考えたってしょうがないや、どうせ適当に思いつきでやってるのに違いないんだから。あ、この場合の”適当に思いつき”は、褒め言葉ね。クールなメディアって奴だよ。

 音を聴いてみると、まあ、トーキング・ドラムを中心としたパーカッションの組み合わせがズリズリと地を這いまわってリズムを織りなして行く、いつものフジ・サウンドであり、特にウッチャカウッチャカとナイジェリア人たちがジャマイカのリズムを演じたりしてはいない。
 それでもこの盤の冒頭で聴けるリズム・パターンは結構奇妙なもので、ドンツクツクドンツクツクと前に突込み気味な、どことなく某新宗教の太鼓の合奏など想起させるリズムが繰り出されている。ここは目新しいが、とはいえ、それがレゲに似ているかといえばそんな事はないのであって。
 いや、どうなのかな、この盤に関するバリスターのコメントなど残っていないんだろうか?ナイジェリア人の感覚からすると、レゲはこんな具合に聴こえている、なんてことはないんだろうか。あるいはヨルバ風に分解再構成するとレゲのリズムはこうも考えられるのだ、なんて話になったら面白いじゃないか。

 などと無駄な文章を書き連ねているうちに盤はアナログ盤時代で言えばB面の後半に差し掛かっており、いや、そのあたりのリズム隊が凄いリズムを燃え上がらせており、それに呼応してバリスターのボーカルも白熱化と。いやあ、やっぱりバリスターはこの頃、とんでもない世界へのステップに足をかけていたんだね、と改めて知らされた次第。

 さすがにこのアルバムはYpu-tubeにはないので、ほぼ同時期のものなど貼っておきますです。




フジ・ミュージック奥の細道

2011-06-20 03:08:10 | アフリカ

 ”E Je K'ayinde Gbaiye”by Ayinde Barrister

 ありがたいことに、ナイジェリアのフジ・ミュージックの第一人者(今年、悲しいことに”故”を付けて語らねばならなくなってしまったけど)であるアインデ・バリスターの、まだ聴いたことのなかった70年代録音盤が手に入った。今後もこのような奇蹟の入荷を神に祈りたい。
 77年盤だということだけど、自身のレーベル、シキル・オルヨレを立ち上げる寸前、といった時期なのかな?いずれにせよ、黄金の80年代、全盛期に突入しようとしている、まだ若く脂の乗り切ったバリスターの姿に接する事が出来るわけで、こいつはもう、いつものあのきったねえナイジェリア盤を手にしただけで血が騒ごうと言うものである。

 音を出してみると、むしろ抑制の効いたサウンド、という感じだ。冒頭の”ご詠歌大発声”みたいなユニゾン・コーラスに血が騒ぐが、その後はほとんどがバリスターのイスラミックなコブシのかかったボーカル一人旅であり、その後の録音盤に聴かれる、バックのコーラスとくんずほぐれつのやり取りはほとんど聴かれない。
 またバッキングも、かなり音数の抑制されたもので、各パーカッション間の丁々発止のリズムの絡み合いの場面もあまり見られず。
 わざとやっているのか予算等の関係でそうなってしまったのかもとより知らぬが、なにやら隙間の多い音であり、とはいえ興隆期のバリスターの録音、つまらないなんてことはまったくなし。十分に興奮させられる、地を這うリズムと重いコブシ回しだ。

 そしてむしろ、”語り物としてのフジ・ミュージック”の側面がクローズアップされる感じで、聴いている間、何度も河内音頭に連想が行ったものだった。
 さらに。ソロで延々、コブシコロコロと口説を続けるバリスターを聴いていると、なんだか追分とかそんなものを歌っているみたいにも。そこまで来ると私の悪乗りの暴走は、短歌や俳句のタグイをひねりながらお遍路するバリスター、なんてものまで脳裏に浮べてしまって。うん、いいんじゃないか、爽やかバリスター(???)

 さすがにこの盤のサンプルはYou-tubeにはない。まあ、ほぼその時期の、そこそこ似ているバリスターの音を貼るんで、特にフジとはどんなものかご存じない人、じっくりお聴きになってください。



アフリカの夜の翼

2011-06-09 05:06:47 | アフリカ

 ”Afro-Beat Airways: West African Shock Waves”

 あっと、この盤について、まだ何も書いていなかったっけ?こりゃいけませんなあと慌ててキイボードを前にしたんだけれど、いまさら説明するまでもない、皆さんもこのシリーズをきっと愛しておられるはずだ、そう信ずる。”アナログ・アフリカ”のシリーズ、今回は第8集、”アフロビート・エアウェイズ”である。

 1970年代の西アフリカはガーナやトーゴと言った国々の夜の大気をますます熱くやかましくかき回した、現地の名も無きバンドマンたちが地元のレコード会社に残した録音が、ビッシリとこのCD盤に染み付いている。そんな因果な記録を入手できて、今回も最高にご機嫌な気分である。
 正気の沙汰ではないアフリカ音楽の愛し方を実行する一人のドイツ人マニアにより発掘され、全世界相手に暴露される、このアフリカのローカルポップス。その実態はアフリカ風に誤読された狂乱のファンク・ミュージックだ。つまりは、本場アメリカの黒人たちより西欧風の常識からはより自由な立場で暴れ狂った者たちの騒動記である。

 聴いているとだんだん、ホーン・セクションなどの微妙なチューニングの狂いが妙にファンキーで心地良かったりするようになる。
 これはもちろん、彼らの演奏の稚拙部分を馬鹿にして言っているのではないよ。当然、本気で褒めているのでって(と、いちいち断らねばならないのが悲しい。文章表現を正面からしか読めない、想像力の乏しい人がいるんだよねえ)
 ともあれ。ファンとしてはむしろ、「正しいチューニングになんて合わせてやらねえっ」ってな心意気が嬉しくなるのだ。オザキユタカも歌ってるべ、「行儀良く真面目なんて出来やしなかった」とね。

 その、最高にご機嫌にチューニングがあやふやなホーンセクションのアンサンブルの中から唐突に、妙にスムーズなノリのジャズィーなアドリブが飛び出してくる唐突さが楽しい。こいつら、”いわゆるテクニック”は、あるのかないのか、どっちだ?
 ほんと、オモチャ箱をひっくり返したみたいな音楽なんだよなあ。
 そして、あちこちのバンドがフィーチュアしている、最高にファンキーなオルガン・ソロ。こいつはやっぱりこの世界の大看板と言えるだろう。

 豪華すぎるブックレットは今回も封入されていて、アフロ・ポップスの歴史が放つ臭気までも伝えてくる。とりあえずCDジャケの裏の写真はどうだ。精一杯着飾り、現地のバーで一杯やっているメンバーを挟んで座っているホステス風の女たち、こりゃどう見てもオカマでしょう。どういう会話がなされているんだろうなあ。
 その他、いかにもうさんくさいアフロ・ヘアーに裾広がりすぎのベルボトムのジーンズなどなど。メンバーのファッション・チェックもかかせません。ともかく、各場面のそこここに実にパワフルないい加減さが強力な芳香を放っている。

 それにしても。こんなに途方もない時間が、もう過ぎ去ってしまっているなんて。





売り売り帰るアフリカ瓜売りの声

2011-05-23 03:59:09 | アフリカ

 ”ALHAJI ODOLAYE AREMU / VOL.3”

 ナイジェリア西部の伝承芸能にエグングンという仮面舞踏があり、そこから派生したのではないかと想像されている”ダダクアダ”なる音楽を聴く機会を得た。
 音楽の形式はと言えば、毎度お馴染み、ヨルバ名物というか定番のトーキング・ドラムをメインに置いたパーカッション・アンサンブルと、それをバックにリード・ボーカルとコーラス陣がコブシのかかった掛け合いを聴かせる、という代物のようだ。実際、バンド(というのかどうか)のメンバーをずらりと並べたジャケ裏の写真など、アパラやフジのそれと、とりあえず見た目は変わるところはない。

 盤は、かってアナログ盤として世に出たもののCD化であり、オリジナル盤は1978年に世に出ている。ちなみに歌手は60年代から80年代にかけて活躍した人であり、すでに故人だ。
 伝承芸能より派生と言うことで、なんとなくご詠歌調の陰気くさい歌を聴く羽目になろうと想像していたのだが、実際に音を聴いてみると、意外に明るい声の調子に驚かされた。何かひょうきんな印象さえある。歌手たちは皆が終止、笑顔で歌っていると言われても納得出来る。

 この系列の音楽を代表するフジやアパラの重々しく影や険のある響きとはそのあたり、あきらかにタイプの違う音楽である。おめでたい陽性の響き。むしろ私などには、幼少期の記憶にある物売りの声や夜回りの声調を思い出していた。
 「火の用心、さっしゃりましょう~♪」とか、「金魚え~金魚っ♪」「玄米パンのホッカホカ~♪」などなど、記憶に残っている呼ばわりの声が、このとんでもない遠国の伝統歌謡を聴くうち、蘇ってきたのだ。
 あるいは昔、役者の小沢昭一が「日本の放浪芸」などと称し、街角で伝承されてきた角付け芸の呼ばわりの声などをレコードに収めていたが、そこで聴かれた、まだ家々の門口で新年の祝いなど演じていた頃の”漫才”などもこの音楽に近しいものと感じられた。
 この辺は、アフリカからユーラシア大陸を貫いて走るイスラム演歌連鎖域の可能性などと並べて考えてみたいところだ。これらの音楽も、何事かを寿ぐために奏でられていたのか?非常に興味深い。

 盤の2曲目、というかアナログ盤時代はB面だった部分が始まると、音楽はそれなりに高揚を迎える。
 伴奏のドラム陣も白熱化し始め、バックのボーカル陣が同じフレーズを何度も何度も繰り返してはリード歌手をけしかけ、また聴衆をシンプルな熱狂のほうに向けて導こうと企む。やはりだてに太鼓が並んでいるのではないなあ、いかに”縁起物”の響きがあろうと、これは大衆の間に生きて機能中のダンスミュージックなのだと、当たり前のことに気がつきつつ、とりあえず最初のレポートを終わっておく。しかしこれ、もっといろいろな盤を聴いておきたいね。




カミソリ野朗の帰還 at ナイジェリア

2011-05-19 00:19:45 | アフリカ


 ”SWEET SIXTEEN”by KOLLINGTON AYINLA

 あの1970~80年代、フジ・ミュージック全盛のナイジェリアにおいて、創始者アインデ・バリスターと火の出るようなイスラム吠え王合戦を演じ、フジ・シーンを大いに盛り上げていたカミソリ歌手、コリントン・アインラの、傑作と名高いアルバムがCD化され、こうしてここになんとか私も手に入れることが出来ているという事実を、とりあえず喜んでおきたい。

 CDを回転させると、まず飛び出してくるコリントンのアカペラ・ボーカルの、まさに鋼鉄の如き研ぎ澄まされたコブシ回しにドキリとさせられる。そうなんだよ、このヤバさが良い。フジとはこうでなくてはいかん。灼熱のナイジェリアの大都市ラゴス、その闇に蠢く人々の欲望を一固めに捏ね上げたようなヤバイ黒光りを込めて屹立する異物。その脈打つ禍々しさがフジの命なのだ、と遠方より勝手に決め付けさせていただく。
 バックに控える、トーキング・ドラムが引っ張るパーカッション群も、地獄の底から響いてくるようなディープな重苦しさを孕みつつのたうち、絡み合い、深いビートを織りなして行く。その重心の低さがもたらす強烈な覚醒に打ちのめされたまえ。

 良いねえ、この頃のフジは。無敵だった。

 やっぱり、という成り行きでナイジェリアにおける過去の名盤のCd復刻状況など、まるで分かりはしない現状なのだが、まるで噂を聞かなかったコリントンのアルバムも、最近になってCD化が行なわれ始めているようだ。私が入手できたのは今のところこの一枚だけだが、まあ、今後に期待をしましょ。これが内容の良い盤で、音も例外的に(?)良い、とのことなんで、何とか許せる気分。

 とはいえ、昔からのファンだってこんなタイトルのコリントンは知らない、と首をひねるのが当然で、実はこの盤は彼の82年度作品、“AUSTERITY MEASURE”がCD化に際して改題されたものである。このタイトルなら記憶にあるでしょ、あの植物繁茂するジャケ写真。私としてもこの盤はコリントンとの初対面だったので思い出は多い。
 それにしても何でこんなタイトルに変えたのかな?確かコリントン、80年代に、ある少女歌手との間にロリコン不倫疑惑かなんかがあり、いろいろマスコミの芸能面を騒がしていたんではなかったか。その辺のゴシップでまだ話題つくりをしているのか、とすると呆れるしかないが。なんせ相手はあのナイジェリア芸能界だ。そうでもしなければ商売にならないのかも知れないが。

 などと思いを巡らせつつ、オリジナルとはまるで様相の違うジャケ写真を見る。老醜、という表現を使うよりない年老いた今のコリントンの顔がある。こんなのだったら昔のジャケをそのまま使った方がマシだったじゃないか、なんてのも外野からの余計なお世話なんだろうけど。

 残念ながら、このアルバムの音はYou-tubeにはないようなので、だいたい同時期くらいのコリントンの盤の音を、下に貼っておく。



アフリカン・ファンクの面影

2011-05-06 04:28:35 | アフリカ

 ”Afro Beat Airways ”

 というわけで。もう当方にとっては「絶対はずれないシリーズ」と化している”アナログ・アフリカ”のシリーズより、また新しい物件が届いた。今回、アフロビート・エアウェイズとは、なんとも心広がるタイトルだろう。
 内容は、70年代の西アフリカはガーナとトーゴでご当地ローカルバンドとして活躍していた連中がその土地のレーベルに残した録音の復刻集である。どれも期待通りのぶっ飛んだアフロ・ファンクで、広大なイメジネーションとエネルギーの奔流の痛快さに喝采を叫ぶしかない。

 一見、田舎のうらぶれたファンクバンドの空騒ぎかと思わせて、青天井の粗末な下町のディスコから一気に宇宙まで吹っ飛んで行くようなスケールの大きな陽性のパワーの発露が楽しい。
 やはり当方の世代としては、各バンド、好んでフィーチュアする”コンボオルガン”のサイケなソロなどに興味が行ってしまうのは仕方のないところ。いや実際、当時の安物のオルガンの平べったい音が妖しげにアドリブのフレーズを繰り出すと、「おお、まるでレイ・マンザレクではないか。そうか、ドアーズは西アフリカの地に忍び込み、生きながらえていたのだ!」などといい加減な歓声も挙げたくなろうかというものなのである。

 それにしてもこの連中のこの音楽の流れと言うもの、どうして今日まで発展しつつ受け継がれなかったのか。今、彼らの音楽の継承者と言うのも見当たらないわけで。まあ、各国、いかにもアフリカらしい事情あり、なのは分かっているつもりだが、それにsても。
 なんて感傷的になってみると、なんだか永島慎二の青春ものの漫画など読んでいる気分になったりするのだった。彼らの音楽を、”どこにも行き着けなかった若者たちの夢の残滓”などと読んでみるとね。
 いや、こんな音楽を聴きながらそんなものを思い出すことはないんだが。




フジ・ミュージック恨30年

2011-04-22 23:58:18 | アフリカ

 ”Iwa ”by Sikiru Ayinde Barrister

 もう、この話は何度もしてきているんだけれど、かってワールド・ミュージックに”ブーム”と言えるほどの光が当たり、あちこちで各国を代表するミュージシャンが集合してのワールドミュージック・フェスティバルのタグイの大規模なコンサートが催された、なんて時代があった。今となっては現実とは思えないくらいなんだが。ともかくパキスタンのヌスラット師などという畏れ多い方のライブを当たり前の顔して見ていたんだから恐ろしいもので。
 その中でも飛び切りの大看板といえたのは、やはりナイジェリアからジュジュ・ミュージックを引っさげて世界に打って出たサニー・アデの来日だったろう。当時、普通の夕方のニュース枠で、民族衣装に身を固めたアデが成田空港に颯爽と姿を表す様子が報じられたのだから、とてつもない話。時は流れて今、サニー・アデが何をしているのかを、というか、その名を覚えている人もろくにいやしない。現実は過酷だ。

 そのアデ来日の頃、我が国の輸入レコード店にナイジェリアからの輸入盤が溢れた、なんて椿事もあった。アデ人気に当て込んで仕入れたのだろうが、結果はどのような収支決算となったのか。私などは砂糖壺に迷い込んだ蟻状態で、手当たり次第にそれらの、なにやらめちゃくちゃ汚れた埃だらけの盤を大喜びで買い込んでいたのだが、レコード店側の裏事情をご存知の方、どこかに追想録でもまとめてくれないものか。
 そんなナイジェリア盤の中から、たとえばフジ・ミュージックなどという怪物に出会い、すっかり魂を持って行かれてしまったのは私ばかりではないだろう。ボーカルとパーカッションのみ、という潔い楽器編成。ボーカリストの鋼の喉から搾り出されるイスラムっぽいコブシのかかった、しかも日本民謡と極似した音階を持つ、実に魅惑的なダンス・ミュージック。
 その、西欧音楽の影響をこれっぽっちも感じさせないワイルドで黒々としたアフリカ風美の洗練のありように我々は、こんな音楽があったのか!とすっかり魂を持って行かれたのだった。などと思い起こすだけでも、血が騒ぐ思いがするのだが。

 その当時、私が出くわした最初のフジ・ミュージックが、この”Iwa”だった。フジ・ミュージックの開祖、といわれるアインデ・バリスターが1982年、ナイジェリアはラゴスでリリースした、強力盤。私は、その地獄の底から響き来る悪鬼の蠢きみたいな険悪な気配に満たされたパーカッションのアンサンブルの迫力と、独特のエコーを伴ってのた打ち回る野太いバリスターの歌声にすっかり魅了され、フジのレコードを求めての、オノレこそが悪鬼であろう、と言われても仕方のないレコード店めぐりが始まった。
 そして時は流れ。なにやら今日のフジ・ミュージックは、かっての黒く重たいビートを捨て、非常にスピード感のある、だが妙に軽く薄味な方向に梶を切っている。と、私には思える。そうなってしまった音楽、私にはもう、フジ・ミュージックとは思えないのだが。
 先日、バリスターの訃報を聞いた。正確な彼の享年を知らないのだが、いずれ早過ぎる死であることは確かだろう。生涯現役ではあったが、もうすでに大御所のポジションにいたバリスターは今日のフジ・ミュージックのありようをどう思っていたのだろう?

 このたび、その思い出の”Iwa”のCDを手に入れた。こんなものが出ていたんだな。アナログ盤を買い集めていた当時、その埃だらけであちこち反っている盤を聴きながら友人と、「そのうち、ナイジェリア盤のCDなんてのが出てくるのかもな」などと、あくまでジョークとして言い交わしていたものだが。いつの間にかそいつは現実になっている。
 CDに姿を変え、久しぶりに聴く”Iwa”は、記憶の中で高熱を帯びて鳴り響いていた音より、幾分かクールなものとして聴こえた。まあ、こちらもアフリカの音楽はその後、それなりに聞き込んでいるからね。
 さまざまなリズムが交錯するメルティング・ポットと感じたパーカッション群は、むしろ整然として重く地を這う感じだ。ミニマルミュジック的、なんて言い方さえ出来そうだ。それは、姿勢を低くして対戦相手に接近する手だれの格闘家のすり足、なんてものを連想させる。
 そしてバリスターの歌声。最近のものと比べれば、相当に若く青い響きが、こちらをなにやらセンチメンタルにさせる。まだ若く、手に一物も持たない街角のヒーローたる青年、アインデ・バリスターの怒りに満ちた呻きが、イスラム仕込みのコブシとなって、脈打つリズムと共に灼熱のラゴスの街を流れて行った、そんな日々を思う。

 あれから。30年くらい、過ぎて行ってしまうんだよな、簡単に。